面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

「幸福のスイッチ」

2006年10月15日 | 映画
自分にとって社会人としての出発点であり、自分の営業スタイルの原点でもある和歌山県田辺市を舞台にした、ほんのりココロが温まる佳作。


稲田怜(上野樹里)は、田舎(和歌山県田辺市)の電器店で儲けにならない仕事ばかり請け負う父親・誠一郎(沢田研二)に反発して東京へ出てきた、デザイン会社に勤める新人イラストレーター。
しかし自分が思い描いていたような仕事はできず、上司と衝突して会社を辞めてしまう。
同僚で彼氏の耕太(笠原秀幸)のなだめにも悪態をついてしまい自己嫌悪に陥る。
再就職もままならない最悪な状況の中、妹の香(中村静香)の“策略”に乗せられ急遽帰省することになった怜は、身重の姉・瞳(本上まなみ)の頼みもあって骨折して入院した父親が戻るまで家業を手伝うことになり、不機嫌が増幅していく。
更には父親の浮気疑惑まで再燃し、「もう最悪ーっ!」
しかし、慣れない家業を手伝っているうちに、父親の仕事ぶりや人柄は地元の人々にとても愛されていることを知る。
そして父親の愛情の深さや家族の絆のありがたさに気付き、人々に感謝される仕事の喜びに目覚め、頑なな心が徐々にほぐされていく…。


蛍光灯の電球交換の注文を受けながら、募ったイライラが暴発してサボってしまった怜。
一日過ごした浜辺から家へ戻る途中、点滅する蛍光灯の灯りが漏れる客先にたどり着いたのは日もとっぷりと暮れた頃。
電球を交換した部屋に入ってきた客が、とても嬉しそうにしながら、「人生が明るくなる」と感謝を述べる。
思いも寄らない言葉に触発される怜に、過去の自分が重なる。
サービスに満足した顧客のうれしそうな笑顔に触れ、営業という仕事の面白さがカラダに染み込んだ時のことを思い出した。

突然の雷雨に故障が多発し、留守電いっぱいに修理依頼が吹き込まれる。
病院を飛び出してきた誠一郎とともに一軒一軒回って行った中のある家で、買ったばかりのプラズマテレビが故障し、直せなかったら返品する!と悪態をつかれる。
理不尽な物言いにも関わらず、丁寧な物腰で応対する誠一郎。
返品てなんやねん!(故障はウチのせいちゃうやろ!)
客の態度に憤る怜を誠一郎がなだめる。
「お客さんの話を聞くのも仕事や。いろいろあるんやろ。」
そう、その通り!
ちょっとしたことで呼びつけては、ネチネチ文句を言う客がいる。
なにがしか怒っている顧客には、まずは話をひたすら聞くことが大事。
相手が怒っているときは、つい言い訳や反論をしたくなるのが人情だが、絶対にやってはならない。
些細なトラブルでもきちんと相手の話を聞き、一つ一つ丁寧に対応していけば、その顧客との信頼関係はどんどん深まっていく。
「クレーム」が「感謝」に変わった瞬間の感動も、営業の醍醐味の一つだ。

誠一郎「ウチは売った後のサービスが売りなんじゃ!お客さん第一の店なんじゃ!」
怜「そのやりすぎで火の車なんやろ!そんな効率悪い商売、コンビニでもやった方が儲かるんちゃうん!?」
“お客様第一”を掲げる企業は、日本中に掃いて捨てる程あるだろう。
しかし、イナデンのように本当に実践しているところは皆無に近い。
大企業になるほど、限りなく0に近づくと思われる。
それは、怜の言葉が象徴するように、効率が悪いからだ。
効率だけ考えれば、商品・サービスを購入するだけでアフターサービスを必要としない顧客が、最も望ましい。
しかしそれでは、購入した商品・サービスへの満足による顧客の笑顔に、後日触れることから得られる感動を味わうことはできない。
効率一辺倒の営業には、深い感動などあり得ない。
そんな仕事が本当に楽しいだろうか?

一日の生活のうち、大半を占める「仕事」。
その「仕事」の面白さとは何だろうと、改めて考えさせてくれる映画でもある。
今の「仕事」に疑問・違和感がある、今の「仕事」を辞めたいと思っている、あるいは「営業という仕事」に意義を見出せない、などなど、「仕事」の面白さが見えなくなっている人には、ぜひご覧になることをお勧めする。


頑なな心ゆえに周りを受け入れられず、またそのために周りにも受け入れられない悪循環。
そしてその悪循環からくる居心地の悪さ。
母親が死んでからの田辺での生活と東京での生活で、怜が感じている孤独感は、この悪循環が生んだもの。

入社して最初の配属が田辺とされたときの左遷されたような感覚。
大阪に配属された仲間から取り残されるような焦燥感。
さっさと定時で退社しては、毎日のように飲み歩く先輩社員が自堕落に見え、最初は田辺にいることがイヤでイヤで仕方なかった。
週末が待ち遠しく、金曜の夜には定時で退社して、大阪の実家、京都の友人・知人宅へと飛んでいき、日曜の深夜に戻ってくるという生活を続けていた。
正直、「こんな田舎にいてられるか!」と、自分から田辺を拒絶していた。

しかし、大阪からたった一人で縁もユカリもない田辺にやってきた自分を、温かく迎え入れてくれた先輩社員に囲まれるうち、週末は必ず京阪神に戻らなければ、という気持ちは薄れていった。
そうして田辺に自分からなじみ始めると同時に、自分を贔屓にしてくれる顧客も増えていった。
そしてどんどん仕事も楽しくなっていき、また楽しい仕事を任されるようにもなった。
周りが受け入れてくれたことで自分も周りを受け入れることができ、全てが楽しい方向へと加速していった。
「受け入れる」ことの大切さを教えてくれたのは田辺だ。


「やにこい」「もじける」「なっとしょう」「ほいてよぉ」。
出演者の紀南弁(田辺弁)が懐かしく、心地よい。
また、怜と香が一緒に訪れた、独り暮らしの野村のおばあちゃん宅。
マッサージ機を移動してくれという注文だったが、テレビや家具の移動までさせられ、挙句に部屋の掃除までやった後、手渡される御礼としてのネギの束。
自分も客先で、特産のみかんのほか、キウィ、キャベツに刺身用のマグロの身まで、いろんなものをもらったことを思い出して、これまた懐かしい。

天神崎、扇ヶ浜海水浴場、上秋津の風景、梅林、みかん山…。
冬でものどかで温かい田辺各地の風景。
田辺の空気が、この作品を更に味わい深いものにしている。


…ちょっと思い入れが過ぎたかな?(苦笑)
しかし、特に疲れた都会人には観てほしい一本であることは間違いない。


幸福のスイッチ
2006年/日本  監督:安田真奈
出演:上野樹里、本上まなみ、沢田研二、中村静香、林剛史、笠原秀幸、石坂ちなみ、新屋英子、深浦加奈子、芦屋小雁

甲子園ラストゲーム⑤

2006年10月14日 | 野球

片岡の引退セレモニーの前に行われたのだが、甲子園最終戦恒例の一軍選手総出での整列。
ライブで観るのは生まれて初めて…だったと思う。
ちょっと曖昧なのは、21年ぶりのリーグ優勝を飾った1985年、甲子園球場で讀賣をメッタ打ちにして快勝した試合後、吉田監督(当時)を胴上げし、チャンピオンフラッグを持って場内を一周するナインをスタンドから見守ったのだが、あれが最終戦だったかどうかが定かでないためである。
それはともかく、甲子園の最終戦の場合、試合終了後はマウンドでナインが整列し、監督の挨拶があるはずだが、今日は片岡引退セレモニーが後に控えていたので、取りやめたんだろう。

それにしても今年の9月以降の戦いぶりは見事だった。
9月以降を20勝5敗という驚異的なペースで中日を追いかけたことは、やはり賞賛に値する。
そして、我々ファンに楽しい時間をありがとう。

甲子園ラストゲーム④

2006年10月14日 | 野球
「あれだけ怖かったファンが、温かく見守ってくれた…」
タイガースで思うような成績を残せなかった片岡。
この5年間は苦しいことの方が多かったはず。
それでも、胸を張って幸せだと言えるというのはファンとしては嬉しいが、プロ野球選手として引退試合を用意してもらえる幸せを噛みしめていたということもあるかもしれない。
大勢のファンの声援を受けながら現役生活にピリオドを打てるというのは、やはり感無量だろう。
13日、同じく町田が引退を表明したが、その引退試合が無いのとは好対照である。

片岡の引退試合を観ていてふと思い出したのだが、監督である岡田は、自身の引退試合はタイガースでは行われていない。
現役の最後をオリックスで過ごした岡田であるが、オリックスでも引退試合が催されたかどうか、記憶が定かではない。
少なくとも岡田には、小さい頃から憧れてきた阪神の選手としての引退試合は無かったのだ。
そんな自身の過去の経緯もあって、片岡の引退試合はことのほか大事に思っていたのではないだろうか。
そんなことをふと…

甲子園ラストゲーム③

2006年10月13日 | 野球
↑片岡選手、お疲れ様でした

片岡の引退セレモニーはつつがなく進み、場内一周後に三塁ベース付近で胴上げされた。
赤星選手会長が花束贈呈に参加してもらった中日の3選手に声をかけ、敵味方入り乱れての胴上げ。

片岡にとって、タイガースに来たことは幸せだったのだろうか。
2001年のシーズン終了後、FAにより日本ハムからやってきた彼。
日本ハムで骨をうずめるか、地元でもある関西のタイガースに移籍するか、かなり悩んだとか。
タイガースでの5年間、満足いく成績を残せなかったことがほとんどで、辛かっただろう。
引退セレモニーでも彼は、何度も泣きながら甲子園を後にしたと言っていた。
選手としてのピークを過ぎてからの移籍は、困難だらけだったに違いない。
しかし、「日々新た、チャレンジ!」として頑張ってきたのだろう。
真摯な練習態度は、若手選手の見本にもなっていた。

今年、日本ハムはプレーオフでもホークスを破り、パ・リーグの覇者となった。
北海道に移転して地元に根付き、今や札幌ドームに5万人近い観客が押し寄せるまでになった。
片岡が日本ハムにとどまっていれば、生え抜きのベテラン主力選手として、人気選手になっただろう。
しかしタイガースに移籍してきたことで、甲子園で連日5万人近い観客の前でプレーすることができ、2度の優勝を経験できた。
引退後は評論家として、関西のスポーツ紙に記事が載り、テレビやラジオで解説が聞けることだろう。
タイガースの人気選手だった彼は、関西マスコミ界では引く手数多に違いない。

日本ハムにとどまったにせよ、タイガースに来たにせよ、いずれにしても彼は多くのファンに支えられるという幸運に恵まれた彼は、幸せなプロ野球人生だったと言えるだろう。
(彼にすれば大きなお世話だが)

優勝争いには関係のない甲子園の最終戦であったが、片岡の引退をライブで見届けることができたのは幸運であった。

甲子園ラストゲーム②

2006年10月13日 | 野球
↑旧友・立浪から花束贈呈

試合は、スタメンから福留、ウッズが外れたうえにほろ酔いの中日を順当に倒して5対1で勝利(勝たなファンが暴れるちゅうねん)

試合終了後、選手整列による挨拶の後、片岡の引退セレモニーへ移行。
タイガースからはもちろん(下柳・赤星・今岡による)から花束が贈呈されたが、中日からも花束が贈られた。
プレゼンターは選手会長の井上、PL学園の後輩・福留、そしてPLの同級生で共に春夏連覇を達成した立浪。
立浪とは花束贈呈とともに固く抱擁(いやらしい意味は全くない)。
熱い友情が見てとれて感動的であった。

思えば、立浪も今年はレギュラーを剥奪されて代打に甘んじていたが、シーズン終盤は代打の切り札として活躍した。
残念ながら片岡は“立浪にはなれなかった”ことが、タイガースの最近の伝統に則して言い換えれば、真弓、田尾、八木にはなれなかったことが、引退を早めることとなった一因と言える。

甲子園ラストゲーム①

2006年10月13日 | 野球
↑一目で片岡とわかる打撃フォームも見納め

優勝を決めた中日を迎えての甲子園ラストゲーム。
タイガースファン仲間から手回った、内野指定イエローシートのチケット。
手配を依頼したときは、まだこの試合が「最後の決戦」になる確率が残っていた。
それが結果的には消化試合に…。

しかし、タイガースにとって甲子園最後のこの試合は、片岡の引退試合としてセッティングされることとなり、当初の目論見とは異なるも、意義深いものとなった。

片岡は6番サードとして先発出場し、タイムリーヒットと二塁打を放ち、自ら有終の美を飾る活躍を見せた。

「ワールド・トレード・センター」

2006年10月12日 | 映画
2001年9月11日の朝。
ニューヨークのワールド・トレード・センター北棟に航空機が激突、続いて南棟にもう一機激突した。
港湾局警察官(PAPD)のジョン・マクローリンとウィル・ヒメノは、同僚達と共に現場に急行し、ビル内に残された人々の救助のために内部へ入った。
酸素ボンベなどの救急備品を運び出し、救助活動に取りかかろうとしたその時、轟音が鳴り響いたかと思うと、ビル全体が崩壊を始めた。
奇跡的に生き残った2人だが、地上から6メートルほどの地中で、どちらも瓦礫の下敷きとなり、身動きできない状態となる。
誰にも気付かれそうにない絶望的な状況の中、それでも愛する家族のことを思い、救出を信じて生き延びようとする2人だったが、地表では付近のビルも崩壊し、容赦なく瓦礫や炎が降り注いだ…。

2749人が亡くなった大惨事からの生還者のうち、二人の警察官に焦点を当てた物語。
しかしそのたった二人の救出だけでも、何十人、何百人という人々の勇気と善意が必要だったのだ。
二人の話だけに的を絞ることで事件の悲惨さがより際立つとともに、奇跡の事実が更に浮き彫りになる。
そしてその奇跡を支えた家族愛が輝きを増す。

これ以上ない悪意によってもたらされたこの世の地獄の中、確かに人々の善意があった。
どちらも人間の行為の結果であるのに、この違いは何なのか。
「華氏9.11」は国家規模の“悪意の結果”に対する為政者の無能ぶりを問い、「ユナイテッド93」は“悪意の結果”がもたらす悲劇の過程を見せ、「ワールド・トレード・センター」は“悪意の結果”の中でも消えることのない人間の善と愛を描く。
こういうテーマの映画が邦画には無いのはなぜだろう?

ワールド・トレード・センター
2006年/アメリカ  監督:オリバー・ストーン
出演:ニコラス・ケイジ、マイケル・ペーニャ、マギー・ギレンホール、マリア・べロ、スティーブン・ドーフ

悔しさを糧にして

2006年10月11日 | 野球
フジの「すぽると」と、テレ東の「スポ魂」が同時に中日の会見やっていた。
これがタイガースの会見とビールかけだったなら、一晩中寝ぇへんくらいの勢いで優勝特番見まくりやのに!と思ったりすると、また悔しさもひとしお…。

まあ、それにしても今年はよく「ここぞ!」というところで負けた。
逆に中日は、終盤はともかく、シーズン中は「ここぞ!」という場面で勝ってきた。
この彼我の違いはなんだったのか?
冷静に、チーム全員でしっかり振り返ってほしいもの。
「いや~、終盤の追い込みは凄かったよな!選手は皆、ほんとにようやったよ!オレもようやったやろ?あははははは♪」
と脳天気に笑うだけで終わって欲しくない(誰とは言わんが…ねぇ平Tヘッドコーチ)

チーム力を比較しても、優勝した中日との間に大きな差は無い。
確かに中日は、最多勝利投手に最優秀救援投手、首位打者、本塁打王に打点王がいて、優勝に最も近い“記録”を残している。
しかしこれらは今年たまたま中日の選手達にタイトル獲得のチャンスが巡っているだけのことで、タイガースの選手達も十分に狙える力を持っているのである。
では、先に述べた「ここぞ!」の試合で出た“違い”は何なのか?
選手達は、まず自分達に何が不足していたのか、もっとできることは無かったのか、をしっかりと自省してもらいたい。

タイガースに不足したもの。
それは決して「赤星の長打」や「藤本の本塁打」ではない。
桧山や片岡が“八木”になれなかったことや、今岡の“天才肌”ならではのアグレッシブさの欠如は当てはまる。
矢野の、相手中心打者に対する内角の厳しいコースへのリードも、不足の部類に入る。

中日との比較でタイガースに不足したものを見てみると、まず福留や荒木、井端のような走塁が大いに不足している。
彼らは常に次の塁を窺い、相手にスキあらば、すかさず単打を二塁打にした。
また、チャンスに見せたウッズのしぶとさは見事だった。
いずれも、勝負に対する執念と集中力の差であるが、これらは中日メンバーをして
「キャンプでこれだけ練習したチームは他に無いのだから自分達はやれる!」
とカッコたる自信を植え付けるに十分な練習量からくるものだ。
今オフ、秋、春のキャンプをぬかりなく、そしてどこよりも多く練習した!と誇れるように、選手達には過ごしてほしいものだ。

とは言え、終盤の追い込みは確かにようやった。
その点では選手達にエールを送りたい。
ことに2002年以前の万年Bクラスの頃を思えば夢のようである。
しかし!これが本来のタイガースなのである。
讀賣に次ぐ常勝チームというのが、讀賣に次ぐ古参チームであるタイガースの「あるべき姿」なのだ(今、讀賣に往年の常勝チームの面影は無いが)
その本来の姿にようやく戻ることができただけの話であり、更にその上を行く本当の意味での常勝チームとして、より一層のレベルアップを望む。

今シーズンのタイガースは、確かに「ようやった」のだが、今一歩足りなかった部分を埋めるべく、若手メンバーにはこぞって「オレがオレが!」と出てきてもらいたい。
今シーズン、新人選手は誰一人として一軍に昇格しなかったという事実を、フロントには真摯に受け止めてもらいたいし、次代を担う選手を輩出すべきファームの首脳陣には猛省を促したい。
スカウト面については、かつてのように「ドラフトで獲りやすい選手」を指名していないか?
鳥谷以来、超が付く大物を獲得すべく動いているように思えないが、スカウト活動の現状はどうなのか?
ファームコーチ陣については、ファームチームとしては日本一になったものの、新人に限らず1軍レギュラー陣を脅かすような強力な若手選手が出てこないのはなぜか?
また、逆指名で獲得した関大の岩田や、最年少プロ野球選手として話題になった辻本など、ファームの試合でさえ満足に出ていないのはどういうことか?

現状のコーチ陣でいいのかどうか。
病気療養中の島野2軍監督にいつまでも多くを望んでいるわけにはいかない点も踏まえ、しっかりフロントと岡田監督とで議論して、来季だけでなく将来を見据えたチーム作りを視野に入れて検討してもらいたいものである。

眠れぬ秋の夜長のよしなしごと…

確定

2006年10月11日 | 野球
中日が東京ドームで讀賣を撃破し、優勝した。
落合監督が泣きながら胴上げされ、優勝インタビューでも泣いていたシーンは印象的だった。
いつも冷静沈着(を装っていた)彼には珍しいシーンであったが、あれでナゴヤのファンの心をだいぶ掴んだのではないだろうか?
しばらく「落合政権」が続くだろう。

この試合も今年を象徴するような試合だった。
今の讀賣には、中日に必死に追いつくことで精一杯。
延長12回までたどり着いて力尽きた…という感じである。

その讀賣に対戦成績でタイ(11勝11敗)で終わったタイガースはどうよ!?
ここにも、今年優勝を逃した要因が見て取れる。

これで12日の甲子園最終試合である中日戦は、完全な消化試合となった。
しかし、甲子園の最終戦。
試合終了後には岡田監督の挨拶もあるだろう。
負けてセレモニー突入などというカッコ悪いことだけは、是が非でも勘弁願いたい。

もっとも、そこで負ければ、それはそれでまた今年を象徴する試合となるのだが。

終戦/ツキと濱中

2006年10月10日 | 野球

選手達には悪いが、ロクでもないこの試合、周りの風景は非常に印象深かった。
夕焼けもそうだったが、試合の中盤、大銀傘から顔をのぞかせた見事な満月。
月齢からは満月の翌日なので、正確にはまん丸の満月ではないのだが、見た目には全くわからない。

ランナーを2塁に置いて打席に立った濱中を見守る月。
しかし、初回の一死満塁を一瞬にしてゲッツーで潰し、その後の守備ではライト前ヒットを後逸して打者を3塁まで進めた彼を、この試合のツキは既に見放していた。