きまぐれ発言

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オバマ大統領のプラハ演説!

2009-05-06 17:25:30 | Weblog
オバマ大統領のプラハ演説!       (009.05.06.)

オバマ大統領は4月1日にロシアのメドベージェフ大統領との会談で新しい核兵器削減条約を話し合ったのに続いて5日のプラハでの演説では、「アメリカは核兵器国として、核兵器を使ったことがある唯一の国である、核兵器国として行動する道義的責任がある」と明確に言及し、日本の広島、長崎に投下した原爆に対する道義的責任を認めた事は、アメリカとしては初めての事で、今までは「原爆投下のお陰で第二次世界大戦を終結させる事が出来た」と肯定的な考えを通していたのとは対照的な変化である。

オバマ演説は、その中で、三つの領域での取り組みが必要であると述べて具体的には。
1)「核軍縮の前身」:米ロの核兵器削減条約、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効、
  兵器用核分裂物質の生産禁止(カットオフ)条約の交渉。
2)「核不拡散体制の強化」:不拡散条約(NPT)違反国への制裁の強化、
3)核物質管理の厳密化:世界的な核査察の強化、核物質の厳格な警備保障

これ等をテーマにし「核の無い世界」を目指してサミット開催を提案している。

提案そのものに付いては、特に目新しいものではないが、なぜ今まで、それに皆が真剣に取り組まなかったかと言うことに問題がある。それは、核兵器や、核物質に制限を加える内容に公正差を欠く問題が多々あり、国際的差別構造への途上国の不満がある。例えば核査察の強化が言われるが、核保有国の核兵器や兵器用核物質は計量されないし、査察を受けない、そのために査察の強化は核保有国の特権化に繋がっている。

昨年の9月にブッシュ大統領が原子力供給グループ(NSG)会議で「核不拡散条約」(NPT)に不参加であるインドを、特別例外扱いにして核関連設備の輸出を認めると言い出したのも、NSGに参加の45カ国の全会一致で承認された事になっている。

これも可笑しな話で、聞くところに拠ると、ニュージーランド・オーストラリア・アイルランドなどは不満であったが承認を強要させられているようだ。

日本も態度不明にしていたがアメリカの強要で承認したのであろうと思うが、この様な例外扱いが通るようなことは、今後パキスタン・北朝鮮・イランに対しても示しの付かない事で、それが「核兵器のない世界」を目指すと言っても、空々しく聞こえる原因になっているようである。

しかし、今回のオバマ演説はそのことを百も承知の上で、「核兵器のない世界」を目指して正面から取り組み。その姿勢を以下の演説で訴えている。

「実現出来そうもない目標を設けることの意味を疑う人も居るだろう。しかし誤ってはならない。我々はそうした道がどこへ至るかを知っている。国々や人々がそれぞれの違いによって定義されることを認めてしまうと、お互いの溝は広がってゆく。我々が平和を追求しなければ、平和には永遠に手が届かない。協調への呼びかけを否定し、諦めることは簡単で、そして臆病なことだ。そうやって戦争がはじまる。そうやって人類の進歩がおわる。

我々の世界には、立ち向かわなければならない暴力と不正義がある。それに対し、我々は分裂によってではなく、自由な国々、自由な人々として共に立ち向かわなければならない。私は、武器に訴えようとする呼びかけが、それを置くよう呼びかけるよりも、人々の気持を沸き立たせることが出来ると知っている。だからこそ、平和と進歩に向けた声は、共にあげられなければならない。

その声こそが、今なおプラハの通りにこだましているものだ。それは1968年の(プラハの春の)亡霊であり、ビロード革命の歓喜の声だ。それこそが、一発の銃弾を撃つこともなく核武装した帝国を倒すことに力を貸したチェコの人々だ。」(以下省略)

この様な演説の中に、オバマの信念が感じられる。あのビロード革命の歴史の街で訴えたことは、非常に歴史的な意義があると思う。

「核兵器のない世界」の実現に我々も真剣に取り組み核兵器に依存しない選択肢の道を選びそれが、「核攻撃を受けた唯一の国」日本の道義的責任ではないでしょうか。
(えびなたろう)


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