虚空を観じて

今感じたことを書くことは、年取った脳みそにいいんじゃないかと考えて認めています。日常の風景から、過去の記憶まで。

宗教化

2013年08月15日 | Weblog

エジプトの内戦は悲しい出来事だが、報道を見ていても、何故あそこまでやるのか、理解に苦しむ。

デモを排除するために武力を使う。デモ側も武器をつかって応戦。説明によると、簡単に武器は手に入ると言う。

死人が出るのも無理はない。

どっちの言い分にブがあるのか分からない。どっちにあっても、片方が了解しないわけだから、議論しても意味をなさない。

無理矢理鎮圧するか、再び革命を勝ち取るか、一方が相手の要求をすべて受け入れることはないので、

多くの犠牲者をだすことになる。

犠牲者は、結局は無垢な一般人が大半を占めることになる。

国が安定しないということの意味は、だから、悲しい結果しかもたらさない。

 

マクロの話で言えば、韓国の反日行動様式は、すでにタチの悪い宗教と化している。

宗教には証拠も、論理も、学問も関係ない。最初に自分たちが信じる結論があるのみである。

結論の前には、法律に違反することだって、国際条約だって、意味をなさない。

反日無罪は、好例で、そのうち事実としてそうなってしまうことを恐れる。ミクロではこんなことは事実として茶飯事だろうと想像している。

反日教育は、つまり反日教だろう。

 

国が安定しているというのは、歴史的にも滅多にあることではなく、有難いことなのだと、映像を見るたびに思う。

今の日本は、誰もが一応腹いっぱい飯が食える時代だ。しかも、治安は安定している。

こんな時代は、日本列島の歴史上、滅多になかったろう。

2000年の歴史の内、僅かな期間だ。得難い期間だろう。

日本は、ずっと昔から日本だった。こんなことは世界のどの地域を見ても、滅多に見つかるものではないだろう。

誰が政権をとってもいいが、今の時代を崩さない、日本がすすむべき道を誤らない、安定、安穏を維持して欲しいと思う。

コメント
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