何時の時代でも言われる事に「今時の若い者は・・・・」と言う言葉が有るのだが、法律的には、「20歳になれば大人として扱われる」と言う事が思わぬ誤解を生む事も多いので有る。
確かに、20歳になれば法律的には大人なのだが、いわば「大人の1年生」でしかなく、十分な経験をつんだ大人たちと同列にするわけにはいかないのであるが・・・・。
これを書く気になったのは、知り合いの職人の嘆きを聞いたからである。
その人は40年以上も同じ仕事をしており、正にベテランなのだが、先週有る現場で「若い職人のために大損害(100万円以上)を被った」と言っていたのである。
この不始末をしでかした職人は、親方の言う事を守らず「今日やってはダメだ!」と言う仕事を、翌日自分の都合で仕事を休みたいばかりに、「皆が帰った後にコッソリやった」のだそうである。
翌朝「休ませてください」と言う電話が有ったのだそうだが、不審に思った親方が現場に行ったところ「見るも無残な現場」を見ることになったのだそうです。
1日置かなければ十分な強度が出ないため、次の仕事をしてはいけないところに次の仕事を無理にすればどうなるか・・・・。
ある程度経験を積まなくてはわからない事もある事が理解できなかった事が起こした事件で、「若さゆえの過ち」とも言えるだろうが、今の時代は私たちの時代と違って「タメ口が当たり前」の時代で、「タメ口を利く」と言う事は「自らの未熟さがわからなくなる」と言う問題も起き、「未熟なままの大人」が増え続けることだろう。
そしてこの「未熟なままの大人」が増える事によって、最近問題になっている「キレ易い人」が増えているのだが、これは若い世代ばかりでなく「高齢者」にもいるのだが、この「キレ易い人」は「我慢(耐える事)をする経験をしたことの無い人」と言うことも出来、昔であれば「我慢(耐える事)をするのが当たり前」の時代であったが、これからは「我慢(耐える事)するのが当たり前」と思う時代の人がどんどん減ってゆく。
その結果として「些細な事でキレて争いが起きる」と言うことが多発する事も覚悟しなくてはいけないと思うのだが・・・・。
「若さ=活力が有る、最新の知識が有る、・・・・」と、良い事ばかりが強調されているが、「若さ=未熟」と言うことも十分に理解しておく必要が有ると思うのだが・・・・。
確かに、20歳になれば法律的には大人なのだが、いわば「大人の1年生」でしかなく、十分な経験をつんだ大人たちと同列にするわけにはいかないのであるが・・・・。
これを書く気になったのは、知り合いの職人の嘆きを聞いたからである。
その人は40年以上も同じ仕事をしており、正にベテランなのだが、先週有る現場で「若い職人のために大損害(100万円以上)を被った」と言っていたのである。
この不始末をしでかした職人は、親方の言う事を守らず「今日やってはダメだ!」と言う仕事を、翌日自分の都合で仕事を休みたいばかりに、「皆が帰った後にコッソリやった」のだそうである。
翌朝「休ませてください」と言う電話が有ったのだそうだが、不審に思った親方が現場に行ったところ「見るも無残な現場」を見ることになったのだそうです。
1日置かなければ十分な強度が出ないため、次の仕事をしてはいけないところに次の仕事を無理にすればどうなるか・・・・。
ある程度経験を積まなくてはわからない事もある事が理解できなかった事が起こした事件で、「若さゆえの過ち」とも言えるだろうが、今の時代は私たちの時代と違って「タメ口が当たり前」の時代で、「タメ口を利く」と言う事は「自らの未熟さがわからなくなる」と言う問題も起き、「未熟なままの大人」が増え続けることだろう。
そしてこの「未熟なままの大人」が増える事によって、最近問題になっている「キレ易い人」が増えているのだが、これは若い世代ばかりでなく「高齢者」にもいるのだが、この「キレ易い人」は「我慢(耐える事)をする経験をしたことの無い人」と言うことも出来、昔であれば「我慢(耐える事)をするのが当たり前」の時代であったが、これからは「我慢(耐える事)するのが当たり前」と思う時代の人がどんどん減ってゆく。
その結果として「些細な事でキレて争いが起きる」と言うことが多発する事も覚悟しなくてはいけないと思うのだが・・・・。
「若さ=活力が有る、最新の知識が有る、・・・・」と、良い事ばかりが強調されているが、「若さ=未熟」と言うことも十分に理解しておく必要が有ると思うのだが・・・・。