へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

無縁社会   その3

2011年02月14日 05時23分23秒 | Weblog
若年層の「無縁化」が問題化しているが、それを解決するのは容易な事ではないだろう。

そもそも「無縁化」する理由は様々で、極端な言い方をすれば「一人ひとり条件が違う」のである。

更に困った事には、科学技術の発達とともに「自助努力」と言う事が疎かになり、いつの間にか「依存体質」になっているのである。

「政府に何とかして欲しい」とか「自治体に・・・・」とか言うばかりで、自分では殆ど何もしようとしないのである。

私も同じような立場におかれているのだが、冷静に現状を考えれば「望むのは酷」だと思っている。

本音は「何とかして欲しい」とは思うのだが、「少子高齢化」「財源不足」「個人第一主義」など、現状の問題を解決するには「現状を大きく変えなくてはいけない」と言う事で、「無理な相談」だと思っている。

現在は健康で問題なく過ごせているのだが、いつ何時問題が起きるかわからず、内心はかなり不安なのは事実であるが・・・・。

全くの一人暮らしなので、万一の場合は「孤独死」と言う事になるのだろうが、「死後数ヶ月経って発見される」と言うような事だけは避けるよう手は打っている。

新聞を購読しているのがその対策の一つなのだが、単に購読しているだけではないのだ。

朝刊は無理だが、夕刊は可能な限り「手渡し」で受け取るようにし、「ご苦労様」と声をかけているのだ。

このため、配達する人に覚えてもらうことが出来るだけでなく、万一の場合も「新聞がたまる」と言う事によって「何かあった?」と思ってもらえるのである。

郵便配達の人にも声をかけるようにしているので、「郵便配達の人が気がつく」と言う可能性も期待できるだろう。

「無縁社会」をなくすためには、「一人ひとりの努力の積み重ね」が必要だが、科学技術の発達がそれを阻害しているのだ。

「便利な世の中」=「楽しい世の中」とはならないことに気がつかなくてはいけないのだが・・・・。
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