へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

見たくも無い国会中継

2012年03月12日 18時49分03秒 | Weblog
NHKは公共放送であるためだろうが、最近やたらと国会中継をしている、が・・・・。
その内容たるや「お粗末」と言うほか無いのである。
これまで私はしばしば「茶番劇」と言う表現をしているが、これからは少し表現を変えてみようと思う。
それではナント表現するか・・・・。
それは「選挙に向けた有権者に対するパフォーマンス」である。

一部の人は気がついているだろう。
国会答弁の殆どは「水掛け論」なのである。
何故水かけ論になるかと言うと、その根底にあるのは「有権者(民意)の視線」なのである。
冷静になって考えてみればわかるだろう。
議員たちにとって次の選挙は「最重要な問題」なのだから。
議員が選挙で落選すると言う事は、サラリーマンが失業するのと同じで、由々しい問題なのです。
議院は特別な人だと思っている人も多いようだが、「小泉チルドレン」たちを考えていればわかるだろう。
これも以前に書いているが、議員と言う職業はタレントたちと同じ「人気稼業」でしかないのである。

ただ、タレントとは少し違う部分はある。
タレントたちは人気が落ちても直ちに失業するわけではなく、細々としてでもやってゆくことは可能なのだが、議員はそうも行かないのである。
だからこそ「有権者に対するパフォーマンス」が必要なのである。

そして、この有権者も大きな問題の原点であろう。
かつて私は「有権者はダボハゼ」だと書いたことがあるが、最近のダボハゼは以前程えさに食いつかなくなっている。
財政悪化でえさの質が落ちたことが最大の要因であろう。
犬や猫でも同じで、一度美味しいえさになれると他(質の落ちる)のえさを食べなくなるように、美味しいえさばかり追いかけるようになる。
無党派層が増えたのは「美味しいえさが見つからない」と言うことが最大の原因で、議員たちは彼らに振り舞わされているのである。

何度も繰り返すようだが、日本社会を良くするためには「有権者(民意)が変わらなければ無理」だと言う事に気がつくべきだろう。
政府が変わろうとしても民意が反対すれば無理なのだから。
民意が変われば嫌でも政府は変わるのに・・・・。

しかし・・・・。
その先にあるものは「民意に都合の悪いもの」が殆どである。
だから民意は変わらないのである。

成長路線などもう無いのに・・・・。
夢を追いかける時代は終わっているのだが・・・・。
コメント (4)
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