へそ曲がりおじさんのひとり言

常識にとらわれるのが嫌い。
他人と同じ事が嫌い。
世の中、別な角度から見ると新しい物が見えるから。

無縁社会

2011年02月12日 05時32分33秒 | Weblog
今まで「無縁社会」は高齢者が抱える問題だと思っていたが、最近は「若年層」にまで広がっているらしい。

私も「無縁」に近く、言わば「孤独死予備軍」でもあるのだが・・・・。

昔は「無縁社会」などという問題は余りなかった気がするのだが、いったい何が原因でこのような事になってしまったのだろうか。

様々な問題が複合的に絡んで起きた問題だろうが、その一つに「物質的に豊かな時代になった」と言う事があると思う。

「天は二物を与えず」と言うように、物質的に貧しかった時代は「人々の心が豊かだった」のだが、科学技術の進歩(発達)に伴い「物質的豊かさを手に入れた」のと引き換えに、「心の豊かさを失ってしまった」のではないだろうか。

物質的に貧しかった時代は「みんなが協力しないと生きてゆくのが難しかった」のだが。科学技術の発達とともに「人がやっていた事を機械が代行する」と言う事になったのだが・・・・。

それに負い打ちをかけるように「効率優先(無駄の排除)」と言う考え方が重要視されるようになってしまう。

その結果、人と人の繋がりの間に「機械」と言う物質が割って入るようになり、気がつくと「無縁社会」が出来上がっていたのである。

殆どの人は「科学技術の発達を喜ぶ」のだが、これもまた「諸刃の刃」でしかないのである。

だいぶ前の事だが、ある人に「諸刃の刃ってどういう意味?」と聞かれたことがあるのだが、別の表現をするなら「光と影」「表と裏」「効果と副作用」「薬も量を間違えると毒になる」「塞翁が馬」など、様々な表現が出来るのだが、要は「単純に喜んでいると落とし穴が待っている」と言うようなものである。

若い頃はそれほど考えてもいなかったのだが、最近良く考える事に「進化は退化」だと言う事である。

そして、「進化(発達)すればそれ相応の問題が発生する」と言う事である。

ついでに言うなら「物質的に豊かな世界=お金が無いと生きてゆけない世界」でもあるのだが・・・・。

「物質的に貧しい時代」は「お金の値打ちも余り無い(お金があっても物が買えないのだから)」のだが、物が溢れるような時代では「お金の有る無しで大きな差がつく」と言う事になり、人々は金儲けに奔走するようになるのである。

しかし、誰でも金儲けが出来るわけではないから困るのである。

この結果「格差」というものが発生し、「格差の下位」にいる人は否応無しに「無縁社会」に追い込まれてしまうのである。

私も無縁社会から抜け出したいとは思うのだが、非常に残念ではあるが「先立つものが無い」のである。

「国や行政の支援を!」と言う人も多いのだが、現実は「財源(先立つもの)不足で期待する事はできない」のである。

「税金の無駄をなくせば財源は確保できる」と言う人もいるだろうが、「税金の無駄をなくす」と言う事も「諸刃の刃」だと言う事に気がつくべきだろう。

多くの人は、単純に「無駄」と言うのだが、その「無駄」で生きている人もおり、単純に無駄をなくせば「その人たちが生きてゆけなくなる」と言う事になり、またもや新たな問題が発生してくるのである。

正に「諸刃の刃」そのもので、「完全無欠の解決策」どころか、「有効な解決策」さえ見つけることは出来ないのである。

このように、もはや国や行政に頼る事は困難で、残された解決策は「自助努力」だけであろうが、はてさて、いったいどんな自助努力をすればよいのやら・・・・。



コメント
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