貴族階級は決してその権力の絶頂にはおらず、抑圧だの搾取だのといった直接の原因はもはやまったく存在しなかったからである。一見したところ、まさに誰の眼にも明らかな権力喪失が民衆の憎悪をかきたてたのだ。
ハンナ・アーレントの『全体主義の起源』で紹介されている、トクヴィルのフランス革命の初めに突然堰を切った貴族階級に対する民衆の憎悪についての分析。(孫引きの孫引きですが)
絶対的な権力が絶対的でないとわかったとき、憎悪を抑制するものがなくなり、一気に攻撃が加速するということです。
思い返すと2011年はさまざまな場面でこの現象が見られた年だったと思います。
長期独裁政権が覆しうるとわかった瞬間にアラブ諸国で革命の動きが連鎖しました。
一方で苛烈な弾圧を続けているシリアのアサド大統領は、そのメカニズムを知っているからこそ強権行使以外の選択肢を持ち得ないのだと思います。
絶対的な権力をアピールし続けるという点では、北朝鮮の政権承継も、そしてある意味ロシアのプーチンも同じ状況にあるのかもしれません。
日本でも、小泉政権以降の現政権の不人気というのも同じメカニズムなのかもしれません。
橋下大阪府知事の強引なスタイルは、既存の権力を攻撃する側に回るという戦略と同時に、少しでも弱みを見せると危ないと自覚しているのかもしれません。
政治だけでなくでも、原発事故以来安全神話が崩壊し、電力会社に対して責任の追及や発送電分離の動きなどが起こっています。
そして大王製紙やオリンパス事件によって、企業経営者や監査法人も非難の対象になっています。
そのうち「第三者委員会」や「社外役員」もたいしょうになるかもしれません。
そして、権力ではないものの震災・原発事故で様々な安全神話が崩壊したことが、被災地の復興と津波リスク、原発事故に伴う被曝リスクや食の安全、原発の運転再開について過剰な不安や逆に判断停止を生んでいるように思います。
権力・権威が喪失した時に起きる攻撃は往々にして過剰な攻撃を生んで生産的でない結果を生み出します。
一方で、別のものを妄信したり判断停止してしまっては単なる先祖返りです。
今ある権力・権威を検証し続け、一方で自らの反応が過剰でないかをチェックし、そして代替の権力・権威についても妄信せずに検証し続けることが2012年には求められると思います。
難しいですけど。