一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「悪い意味でのサラリーマン根性」と「悪い意味での専門家の留保」

2011-12-12 | コンプライアンス・コーポレートガバナンス

オリンパスの調査委員会報告書は要約版をざっと読んだのですが、印象に残ったのは報告書がJ-Soxの枠組みにのっとってオリンパスの内部統制を評価していたこと。

J-Soxに基づく全社的内部統制の整備は、制度導入時にもともとそれぞれの会社にあった制度をリファインしながら監査法人のOKが出る程度の及第点をとろうという形で導入したところが多いと思います。ただ、一度枠組みとしていろんな基準が出されると、評価の枠組みとしてはとても便利なものになってしまい、「教科書どおり」に形を整えたはずが、その教科書が今回は断罪する側のテキストになっているという笑えない感じもします。

逆にその分J-Soxの枠組み・用語に見られる「よそ行き」感が調査報告書にも出ている感じもしなくはありません。
たとえば飛ばしのスキームとそれを阻止できなかった態勢については言及しているものの、関与した外部の関係者を含む背景事情についてはスルーしているところとか・・・


本件は経営トップの不正というわかりやすい話なので、形式的にもカタをつけやすいのですが、「ビジネス法務の部屋」でオリンパス社の全社的内部統制と「悪い意味でのサラリーマン根性の集大成」としてtoshiさんが違和感を述べておられていて、そこについては共感するものがありました。

この報告書でも述べられ、また経済団体や日本監査役協会でもコメントが出されておりますが、「オリンパス事件の教訓は、形式的なガバナンスの仕組みよりも、むしろ取締役や監査役の倫理感、使命感やその職責を担う覚悟の問題」であり、これが最も重要である、とのこと。
(中略)
取締役の資質や倫理感、覚悟、というのはもっともだとは思いますが、それらが取締役や監査役に備わっていることと、「経営トップにモノが言える」こととはダイレクトには結び付かないわけでして、その間を結ぶ「何か」を試行錯誤しなければ問題解決にはならないと思います。

タイトルにもある「悪い意味でのサラリーマン根性」というのはここに出てきます

第6 本件事案発生の原因分析

1 経営トップによる処理及び隠蔽であること 
・・・オリンパスにおいては、このような会社トップや幹部職員によって不正が行なわれることを想定したリスク管理体制がとられておらず、これらに対する監視機能が働かなかった。経営中心部分が腐っており、その周辺部分も汚染され、悪い意味でのサラリーマン根性の集大成ともいうべき状態であった。  

ここのところだけ珍しく温度の高い言葉が続きます。さらに

2 企業風土、意識に問題があったこと 
会社トップが長期間にわたってワンマン体制を敷き、これに会社内部で異論を述べることがはばかられる雰囲気が醸成されていた。歴代の社長には、透明性やガバナンスについての意識が低く、正しいことでも異論を唱えれば外に出される覚悟が必要であった(そのことはウッドフォードの処遇を見てもわかる。)。役員の間に社長交代のシステムが確立されておらず、恣意的にこれを占めることが可能となっていた。風通しが悪く、意見を自由にいえないという企業風土が蔓延し、株主に対する忠実義務などの意識が希薄だった。

でも、J-Sox導入前の時点で現在と同程度に経営トップの不正を想定した管理体制を構築する法的義務があったのかというのはちょっと疑問ですし、厳密そのような態勢をとっている企業はどれくらいあるのでしょうか。また「社長交代のシステムが確立されていない」というのは委員会設置会社以外の会社はほとんどそうなのではないでしょうか(委員会設置会社だとしても執行側から完全に独立して候補者を選定しているところはほとんどないと思います)

ここをダメ出しされてしまうと大半の企業が困ってしまうので「倫理観や使命感」の問題にしたいという気持ちもわかります。個人的にも画期的かつ有効な代替案があるとも思えないので。


ということで、態勢構築という大所高所の話だけだと空中戦になってしまいますが、改めて本文を読んでみておやっと思ったのが、同じ「第6 本件事案発生の原因分析」にある

6 外部専門家による委員会等が十分機能を果たさなかったこと 
・・・しかしその報告書は多くの留保条件をおいた不完全なものであり、到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった。監査役会、更に監査法人は、この報告書の結論のみに重きを置き、その内容や留保条件に立ち入った検討を行なわなかった。

確かに実際は結論ありきの形式的な調査を依頼したような印象を受けますが、では 「公正中立な第三者の意見」というのは論理的に可能なのでしょうか?   

そこで本文を見るとあずさ監査法人からの指摘を受けた監査役会が外部調査を依頼した「2009年委員会」の報告書についてこう記載されています(p151~)   

同委員会は、報告書の冒頭において、調査の前提としてオリンパス又はあずさ監査法人より提示された事実及び資料等について、独自の調査、検査、ヒアリング等による事実確認や資料の正本の確認等を実施しておらず、その点において事実関係の正確性及び証拠評価等について何らの意見を表明する立場にないこと、調査期間が極めて限定されていたことから、開示資料(特に英文の契約書類)について網羅的な精査ができていないほか、ヒアリング対象者も極めて限定されており、より広い範囲で開示資料の検討やヒアリングを実施し、あるいは十分な時間をかけて開示資料の検討やヒアリングを実施していれば発見できたであろう事項が発見できていない可能性も十分にあることを断っている。

でも、公認会計士や弁護士の意見書は多かれ少なかれこのような前提条件や留保が書いてあります。本件は結論ありきの依頼だったので、委員会のほうもより厳しめ(腰を引き気味)のトーンで書いていたのかもしれませんが、その行間を読めよ、ということなのでしょうか。

そして、委員会の調査結果の概要は以下の通りとなっています。  

a アルティス、NEWS及びヒューマンラボの各株式の取得について、報告書作成時点までに委員会が開示資料及びヒアリング結果を検討した限りにおいては、オリンパス取締役に、本件国内3社の一連の株式取得に違法もしくは不正な点があった、または善管注意義務違反があったとまで評価できるほどの事実は認識できなかった。  
b ジャイラスの株式取得に係るアドバイザリー報酬について報告書作成時点までに委員会が開示資料及びヒアリング結果を検討した限りにおいては、オリンパス取締役に、アドバイザリー報酬の支払に違法もしくは不正な点があった、または善管注意義務違反があったとまで評価できるほどの事実は認識できなかった。

一方で、ウッドフォード前社長が依頼したPwC Legal LLP.の中間報告はつぎのようになっています(p117)

「我々は不適切な行為が行なわれたと確信することはできないが、支払われた総報酬金額が今までになされたいくつかの非通例的な意思決定を考慮すると、現段階では不適切な行為が行なわれた可能性を排除することができない」「さらに、不適切な会計処理や財務アドバイス、取締役の忠実義務違反を含む、他の潜在的な違法行為がある」

トーンはずいぶん違いますが、意味している内容は実は「善管注意義務違反や違法行為はあったとは断言できない」という点で同じです。

結局外部の専門家も責任を負わされたくないので(契約書を結ぶ場合にはあきれるくらいの免責条項があったりします)、断言は避けて婉曲な表現をすることになります。
調査委員会の報告書は「その報告書は多くの留保条件をおいた不完全なものであり、到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった。」といいますが、私は多くの留保条件をつけていない専門家の意見書というものにはめったにお目にかかったことがありません。

一方で、報酬を払う依頼者から「適法だという意見書をくれ」とか「違法性を指摘してくれ」というように何らかの意向を伴った依頼を受けるので(そういう動機がなければそもそも意見書とか調査報告書は依頼しないですよね)、専門家としては依頼の前提にあるトーンを基調に報告書を書くことになります。

そのとき適法・違法がはっきりしていればいいですが、解釈の幅があったりする場合には前者の依頼ならいくつかの留保条件をつけたうえで「違法ではない」という2009年委員会のようになるし、後者の依頼ならPwCのようになると思います。
ところがその報告書を援用した監査役は「報告書の結論のみに重きを置き、その内容や留保条件に立ち入った検討を行なわなかった」と断罪されるとすると、専門家の意見書を求める意味がなくなってしまうことにならないでしょうか?

確かに最後に善管注意義務違反の責任を負うのは取締役・監査役個人ですので、自らの法的責任について取締役・監査役としての自覚が足りなかった、という意味では「サラリーマン根性」があったといえるとは思います。
ただ、(今回のケースは完全なアリバイ作りだったのかもしれないので)一般論として専門家の意見書・報告書を信用することが取締役・監査役の責任につながるとするならば、そしてほとんどの意見書に留保がつくとするならば、取締役・監査役は何を頼りに判断すればいいのでしょうか。報告書に言う「立ち入った検討」も自分以外に依頼した場合は同じ問題が生じるので、結局全て自分で調査しなければいけないというのでは、かえってチェック能力が低下してしまいます。

本件も2009年委員会がもっとはっきりと「資料も時間も不十分なので意見表明はできない」とか「明確な証拠はないので断言できないが心象としてはクロ」と言っていればここまでには至らなかった可能性があります。
しかし調査委員会は2009年委員会のメンバー自身の「到底中立公正な第三者の意見として信を措くことのできるものではなかった」ような報告書を作成した責任は指摘せず、それを採用した監査役の責任のみを追及しています。
そこも「行間を読めよ」というところなのかもしれませんが、お仲間に手心を加えるところは専門家のよくないところではないかと思いますし、そこを放置すると専門家や第三者委員会の意見書の存在意義への疑問にもつながってしまうと思います。


専門家も意見を求められた場合には、責任回避のための留保だらけの報告書ではなく、素人にも判断のしやすい明確な(一歩踏み込んだ)意見を表明すること、それがtoshiさんの言われる「その間を結ぶ「何か」」の一つになるのではないかと思います。



余談ですが、昔大規模の投資案件のリスク精査の作業をしていたとき、役員から「万が一損失が生じた場合の代表訴訟のリスクも入れろ」と指示をされたので、作成した資料の当該項目に「当該リスクは厳密に言えば会社のリスクではないが」という脚注を入れたことを思い出しました。
そもそも厳密に言えば「善管注意義務違反はないか?」というような意見書や調査も、取締役個人としてのリスクヘッジを目的とするのであれば費用も会社からではなく取締役個人が支払うべきなのでしょうが、そこまで依頼内容を厳密に精査している会社も弁護士もいないと思います。それは、「上手くビジネスがいくような適切な意思決定をする」という点では本来会社(法人)も取締役も同じ船に乗っているわけですから(エージェンシー問題については脇に置くとして)。

さて、脚注の顛末ですが、その結果私は「外に出された」わけでもなく、指示した役員も苦笑いしていただけなので、オリンパスよりはまともな会社だったようですし、役員もサラリーマン根性はなかった、ということでしょうかw



(参考)
第三者委員会調査報告書 要約版
第三者委員会調査報告書 01
第三者委員会調査報告書 02
第三者委員会調査報告書 03
第三者委員会調査報告書 別紙

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2 コメント

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2009年報告書 (toshi)
2011-12-13 00:48:23
ごぶさたしております。今回は力作のエントリー、参考にさせていただきます。実は私も拙ブログのコメント欄に少しだけ書きましたが、go2cさんと同じ感想をもっておりまして、2009年報告書の存在を続編で書こうかな、と思案していたところでした。基本的にこの甲斐中報告書はよくできているなあと思っています(とくに海外の株主への配慮がすごい)。
その2009年報告書にツッコミをいれるのをためらっているところが悪い意味での弁護士の村社会の集大成だったりするわけでして(^^;
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Unknown (go2c)
2011-12-13 19:57:48
toshiさん
コメントありがとうございます。
toshiさんの「間を結ぶ何か」という言葉がすっと入ってきたので、その正体を考えながら書いていて長いものになってしまいました。
disclaimerでいえば、弁護士より公認会計士のほうがひどいという印象を持ってます。
M&AのFAのレポートなどは、disclaimerを文理どおりに真に受けたうえでしかも結果を事後的に裁かれるリスクを考えるとしたら、×ソの役にも立たないんじゃないかとw
今回はおそらく明らかな故意に基づくものだ思うので、2009年委員会についても「アリバイ作りに過ぎない」くらいに切って捨てればよかったものを、専門家の意見書の利用の仕方の一般論になっていたので引っかかった次第です。
続編のエントリ期待しています。
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