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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

靖国参拝問題 (日中関係 その4)

2005-04-26 | 日中関係
昨日の続きです。

今回は靖国参拝問題。

靖国問題はいくつかの議論が錯綜しているように思う。

① A級戦犯を合祀している靖国神社に首相が参拝するのは、戦争責任を自覚していない
② 靖国神社は1宗教法人であり、公式参拝は憲法の政教分離の原則に反する
③ 公式参拝でなければ信教の自由だ
④ 戦争犠牲者を慰霊すること自体悪くはないはず 
⑤ そもそも東京裁判自体が正統性がないのでA級戦犯というくくりはおかしい

で、僕の考え


1 戦没者の慰霊と靖国神社
戦没者を慰霊するというのはあった方がいいだろう。戦争自体は国民にとっても不幸な歴史であるし、それを繰り返さないためにも、戦争犠牲者に思いを致すというのは必要だと思う。
もっとも、それは宗教的な祭祀では信教の自由との問題が出ると思う(強制的に埋葬するとかはやりすぎ)

靖国神社の問題はただ、特定の(しかも軍国主義体制の一翼を担った)宗教法人が慰霊者というのはよくないと思う。
政教分離という憲法問題だけでなく、国民のガバナンスの効かない特定の法人に委ねるのはそもそもおかしいのではないか、と思う。


2 公式参拝の問題点
なので、靖国神社が当然に戦後も国民を代表して戦没者慰霊をする権利を独占するのはおかしいし、したがって首相が公式参拝するのは国内的にも適当でないと思う。
私的な参拝、信仰は自由(ブッシュの教会での礼拝と同じ)だとしても、小泉首相は以前は参拝していなかったのだから、それはやはり言い訳に過ぎない。


3 中国との関係
したがって、中国やその他アジアの国が批判するしないにかかわらず、首相の靖国参拝はやめるべきだと思う。
そして、中国に対しては、日本国としては戦争責任は認識している事、一方で(靖国参拝は政府としても不適切だと思うからやめるが)国家としては戦没者を慰霊する意思のあること、を表明すべきだと思う。


4 では、「慰霊」の対象は?-将来に向けて
つまり、個人的には靖国神社に代えて将来公営の「戦没者慰霊館」のようなものがを作る必要があると思うが、それができた場合に、「戦没者」の対象をどうするのかが問題になる。

ひとつは戦争責任の問題
極東軍事裁判の正統性は議論があることは承知しているが、じゃあ、日本人は誰も悪くなかったのか、というと、さすがにそうは言えまい(一方で今更昭和天皇一人に責任を押し付けるわけにもいかない)。
この点、ナチスという「絶対悪」があったドイツは明快に処理ができたわけだが、極東裁判(=戦犯の戦争責任)も天皇の責任も否定する(または全面的にそれらの人々の責任にすることはしない)場合、国家としてあらためて歴史を総括する必要が生じる。
ここは個人的にも考えが整理できていません(でも、「一億総懺悔」は違うと思う)

次に、「合祀」の対象の問題
靖国神社でも問題になった台湾・朝鮮人軍属の問題や、日本人においても、非戦闘員の犠牲者と軍人・軍属・公務員はどう違うのか、ということも問題になると思う(軍人・公務員だけなら、軍人恩給や公務員共済の予算から出せ、という主張もありえよう)。


うーん、そう考えると、結局戦争責任を国内的にもどう総括するか、という問題になるんですね。
これは日本政府としても正面から向き合ってこなかっただけに、難しいですね。


※ つぎには安保理常任理事国入り問題の順番ですが、元をたどると中国と戦争補償とサンフランシスコ平和条約あたりまで遡りそうなので、ちょっと時間がかかると思います。
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信教の自由は人権問題 (玄倉川)
2005-04-28 00:59:46
「自称リベラル」の私としては個人の信教の自由を最優先に考えます。

「総理大臣は国益のために自らの信教の自由を制限すべきだ」という考え方には同意できません。

> 小泉首相は以前は参拝していなかったのだから

一部でそういうことがいわれているのは知っていますが、私は信じていません。

もし事実だったとしても、「総理になって国を背負ったとき、英霊(あまり好きな言葉ではありませんが)の前で不戦の誓いをする必要を感じる」というのは個人の宗教心としておかしなものではないでしょう。

私的参拝と明言していないから公的参拝だ、というお考えのようですがむしろ私はそういう考え方に危険を感じます。

法律によらず、本人も公的な行為だと言っていないのに公的とみなすのはインフォーマルな権力を増大させるのではないでしょうか。

その方向に行けば、総理が個人的な意見を述べても権力の行使と受け取られ、法治ではなく人治に近づきます。



人さまの宗教心に他人が口出しするのは余計なお節介だと思います。

この意味で「首相は靖国に行くべきではない」も「英霊のために公式参拝しろ」も違いはありません。

もし小泉首相の靖国参拝が国益を損なっているのなら(私はそうは思いませんが)、日本国憲法に明記された信教の自由を重んじる人の言うべきことは「参拝するな」ではなく「国益を損なう総理は辞めろ(辞めさせろ)」であるべきです。

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信教の問題でしょうか・再投稿 (kobanto)
2005-04-28 20:52:42
すみませんでした。ヘンな記号を使ってしまったようで、一部だけ投稿されてしまいました。やり直しますので、前回のは削除していただければと・・・(ゴメンナサイ2度目ですね)

・・・・・・・・・・・・・・・

人様のブログへのコメントに対して、おせっかいですみませんが、ここによく来る者の一人として、私の意見を述べさせていただきます。





「法律によらず、本人も公的な行為だと言っていないのに公的とみなすのはインフォーマルな権力を増大させるのではないでしょうか。」

 一国の首相による、最新の国家間の戦争の当事者が神として祭られている神社への参拝は、本人が「公的だ」と言うのを待つことなく、公的な行為とみなされて当然のものではいでしょうか。また、そのことは首相の権力に伴う責任を強調はしても、権力自体を増大させる作用はないと思います。「公的とみなす」ということと「その意見に従う」という事は別です。



「その方向に行けば、総理が個人的な意見を述べても権力の行使と受け取られ、法治ではなく人治に近づきます。」

 総理大臣の料理に関する意見になら、「個人的な意見」も大いにあり得ますが、総理大臣の政治に関する意見に「個人の意見」はあり得ないと思います。



「人さまの宗教心に他人が口出しするのは余計なお節介だと思います。

この意味で「首相は靖国に行くべきではない」も「英霊のために公式参拝しろ」も違いはありません。」

 確かに「参拝するな」も「しろ」も、「人様の宗教心に口出しする事」ですが、それは「人様」が首相でなかった場合に限ります。その人が日本の首相だった場合、それは「単なる宗教心」などと言うものではありえません。それ自体「国策」というべきものではないですか?参拝するかしないかが、同じものとなるという事は不可能だと思います。

返信する
私の考えを補足します (go2c→玄倉川さん)
2005-04-29 00:47:46
コメントありがとうございます。

私の意見について若干の補則をさせていただきます。

※kobantoさんの最初の投稿は草稿段階のものの操作ミスとのことで削除させていただきました。





>> 小泉首相は以前は参拝していなかったのだから

>一部でそういうことがいわれているのは知っていますが、私は信じていません



>私的参拝と明言していないから公的参拝だ、というお考えのようですがむしろ私はそういう考え方に危険を感じます。

>法律によらず、本人も公的な行為だと言っていないのに公的とみなすのはインフォーマルな権力を増大させるのではないでしょうか。



靖国問題については、私自身は「私的参拝・公式参拝」という区別は外交的には説得力を持たないのではないかと思っています。

仮に、公的私的の峻別という歴代首相の戦術が有効だとしても、小泉首相については、首相になってはじめて参拝を始めたという事実(だと思います)によって説得力を失っているのではないか、と言いたかったのです。(その意味では「実は昔からこっそり参拝していたとか信仰して」としたとしても、そこは同じですね)

つまり「本人も公的な行為だと言っていないのに公的とみなす」のではなく「本人が公的な行為だと言おうが言うまいが外交的には公的とみなされる」と言っているわけです。





>人さまの宗教心に他人が口出しするのは余計なお節介だと思います。

>この意味で「首相は靖国に行くべきではない」も「英霊のために公式参拝しろ」も違いはありません。

>もし小泉首相の靖国参拝が国益を損なっているのなら(私はそうは思いませんが)、日本国憲法に明記された信教の自由を重んじる人の言うべきことは「参拝するな」ではなく「国益を損なう総理は辞めろ(辞めさせろ)」であるべきです。



私としても、当然小泉首相の内心の考えに口出しする気はありません(と言うか、しようがないですもんね)。

また靖国参拝という宗教的行為をするのも自由だと思います。

ただ、内閣総理大臣としてそのような宗教的行為をするのが適切か、というとそれは疑問だと思う、ということです。

その意味では玄倉川さんの言う「国益を損なう総理は辞めろ(辞めさせろ)」

というのが「内閣総理大臣の行為としては適切でない」という意味であれば、私はそう考えているといっていいと思います。





ではなぜ小泉首相の靖国参拝が適切でない(国益を損ねる)のかについては、元の記事を書きながら考えたところでは

1 いままで「戦争責任」というと他国に対する責任は議論されてきたが、日本国として、戦争責任は国内的にどこにあるのか(「国民全員連帯責任」「誰にも責任がなかった」、という議論もあると思います)を総括してこなかったために(ドイツのような「ナチスが悪い(それを容認した国民も反省すべき)」というような明快さがなく)、そのような状態で、大日本帝国が「国家護持」し軍人・軍属だけを慰霊する靖国神社において「不戦の誓いをする」というようなことが、諸外国(特にアジア各国)に説得力を持たないのではないか

2 外交関係においては、相手方(または第三国)を納得させられる程度の合理的な説明が必要であり、また、いたずらに敵対心を刺激するのは得策でない



つまり



「これこれだから靖国神社を参拝するんですよ」という説得力のある理屈がない中で「俺の勝手だ」と言い放つという外交姿勢は日本の国際社会での信頼に対して悪影響を及ぼす(=国益を損ねる)のではないかということです。





いろいろな意見を拝見して、私の見解も変わるかもしれませんが、今のところはこんな風に考えています。

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