このblogであまり政治的な議論はしたくないのですが、中国との問題を考える上でいくつか整理しなければいけない問題があると思いますので、ちょっと踏み込んでコメントします。
僕の今の時点での考えは
1 尖閣諸島は日本の(固有の、とか古来の、ではないが正式な)領土である。
2 小泉総理は靖国神社に参拝すべきでない
3 日本の国連安全保障委員会常任理事国入りについてはよくわからん(知識不足で判断保留)
というものです。
(途中で挫折しなければ)何回かに分けてUPしたうえで、その後、なんでいつも日中関係がこんなに感情的になるんだろう(国内で意見表明する自体でも上のような注意書きを書きたくなるような雰囲気って何なんだろう)、ということについても考えてみたいと思います。
まずは尖閣諸島問題
これは僕の知識では、国際法上は比較的明快に日本の領土であるはずです。
1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを確認したうえで沖縄県に編入した。国際的にも異議は申し立てられておらず、日本の領土と認められてきている。
「固有の領土ではなく」と留保をつけたのは、「固有の領土」という言い方が北方領土問題とリンクされ、感情的なトーンが出ているから。(そもそも領土って共有ってないわけだし)
また、古来の、ではないというのは、そもそもこの辺はそれ以前は琉球王国の支配地域だったことにある。
琉球王国は17世紀から江戸幕府の許しを得た薩摩藩に侵攻され、江戸幕府に使節を送ることを義務付けられるようになった(実質上の属国)。一方で中国の清朝に対しても朝貢貿易を継続し(これを実質的にコントロールしていた薩摩藩の大きな収益源だったという事情もあるのだろう)、形式的には朝貢国を2つ持つ王国という状態だった。
しかし、日本の明治政府は近代化を目指し、国際社会の仲間入りをもくろむ中で、国際法上の手立てをきっちり打つことの必要性を意識したのであろう、最終的に琉球王朝を日本国に編入した。
これについて清国は反撥し、日清戦争、その講和としての下関条約につながる。
このように日本は、明治時代に沖縄やその他周辺の島々(竹島など)も日本の領土として着々と宣言し、国際的な承認を得ていた。
(このあたり詳しくはWikipediaなどをご参照ください)
そこは近代国家として日本は同時代の清朝よりはしっかりしていたし、力があったわけだ。
その後、沖縄と南西諸島についてはサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの信託統治となり、その後日本に返還されてしまった。
結局中華人民共和国にしてみれば「琉球王朝は日本と中国に朝貢していたのに、結局ちゃっかり日本国に・・・」という不満もあるのだろう。
しかし、先に囲い込んだ方がズルイ、とかルールを勝手に作ったのがずるい(これは「グローバル・スタンダード」について日本のマスコミがよく言う文句でもあるのだがそれはここではおいておく)といっても、国家間の約束事はどこかの時点を基準にしなければならないし、歴史的には加速度的に国際関係が緊密になっている以上、「気に入らない」からといって過去の条約などの国家間の決め事を無視するというのも通らないと思う。
そもそも中華人民共和国も
① 清国の英国への99年間の香港租借の約束の効力を認め、しかも自らをその正当な承継者として認めて、香港の返還を受けた。
⇒ならば、他の清国の締結した条約を認めないのは筋が通らない。
② チベットは1912年に清国勢力を掃討して以来、チベット王国の統治下にあったにもかかわらず、国家として国際的に承認される手続き(条約の締結や大使の交換など)を怠っていたのをいいことに、中華人民共和国はチベット王国に武力侵攻し、チベット政府の外交団と無理やり(本国政府の承認なく)『チベット解放十七箇条協定』を締結させ、以来「固有の領土」と主張している。
※ この辺は「ダライ・ラマ自伝」やジル・ヴァン・グラスドルフ「ダライ・ラマ その知られざる真実」に詳しい。
⇒ならば、国際的に承認手続きを取った先後で、文句を言うのも筋違いではある。
話がそれてしまったが、尖閣諸島自体は日本の領土であると主張する根拠が十分にあると思います。
いろんな問題にかこつけて(多分ここのところが日中関係の一番のポイントなのだろう)言われたとしても、この点については毅然とした態度で臨むべきでしょう。
逆に他の問題を、きっちりしないといけないですね。
※ 長くなってしまったので、続きは明日以降。
僕の今の時点での考えは
1 尖閣諸島は日本の(固有の、とか古来の、ではないが正式な)領土である。
2 小泉総理は靖国神社に参拝すべきでない
3 日本の国連安全保障委員会常任理事国入りについてはよくわからん(知識不足で判断保留)
というものです。
(途中で挫折しなければ)何回かに分けてUPしたうえで、その後、なんでいつも日中関係がこんなに感情的になるんだろう(国内で意見表明する自体でも上のような注意書きを書きたくなるような雰囲気って何なんだろう)、ということについても考えてみたいと思います。
まずは尖閣諸島問題
これは僕の知識では、国際法上は比較的明快に日本の領土であるはずです。
1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査し、いずれの国にも属していないことを確認したうえで沖縄県に編入した。国際的にも異議は申し立てられておらず、日本の領土と認められてきている。
「固有の領土ではなく」と留保をつけたのは、「固有の領土」という言い方が北方領土問題とリンクされ、感情的なトーンが出ているから。(そもそも領土って共有ってないわけだし)
また、古来の、ではないというのは、そもそもこの辺はそれ以前は琉球王国の支配地域だったことにある。
琉球王国は17世紀から江戸幕府の許しを得た薩摩藩に侵攻され、江戸幕府に使節を送ることを義務付けられるようになった(実質上の属国)。一方で中国の清朝に対しても朝貢貿易を継続し(これを実質的にコントロールしていた薩摩藩の大きな収益源だったという事情もあるのだろう)、形式的には朝貢国を2つ持つ王国という状態だった。
しかし、日本の明治政府は近代化を目指し、国際社会の仲間入りをもくろむ中で、国際法上の手立てをきっちり打つことの必要性を意識したのであろう、最終的に琉球王朝を日本国に編入した。
これについて清国は反撥し、日清戦争、その講和としての下関条約につながる。
このように日本は、明治時代に沖縄やその他周辺の島々(竹島など)も日本の領土として着々と宣言し、国際的な承認を得ていた。
(このあたり詳しくはWikipediaなどをご参照ください)
そこは近代国家として日本は同時代の清朝よりはしっかりしていたし、力があったわけだ。
その後、沖縄と南西諸島についてはサンフランシスコ平和条約第3条でアメリカの信託統治となり、その後日本に返還されてしまった。
結局中華人民共和国にしてみれば「琉球王朝は日本と中国に朝貢していたのに、結局ちゃっかり日本国に・・・」という不満もあるのだろう。
しかし、先に囲い込んだ方がズルイ、とかルールを勝手に作ったのがずるい(これは「グローバル・スタンダード」について日本のマスコミがよく言う文句でもあるのだがそれはここではおいておく)といっても、国家間の約束事はどこかの時点を基準にしなければならないし、歴史的には加速度的に国際関係が緊密になっている以上、「気に入らない」からといって過去の条約などの国家間の決め事を無視するというのも通らないと思う。
そもそも中華人民共和国も
① 清国の英国への99年間の香港租借の約束の効力を認め、しかも自らをその正当な承継者として認めて、香港の返還を受けた。
⇒ならば、他の清国の締結した条約を認めないのは筋が通らない。
② チベットは1912年に清国勢力を掃討して以来、チベット王国の統治下にあったにもかかわらず、国家として国際的に承認される手続き(条約の締結や大使の交換など)を怠っていたのをいいことに、中華人民共和国はチベット王国に武力侵攻し、チベット政府の外交団と無理やり(本国政府の承認なく)『チベット解放十七箇条協定』を締結させ、以来「固有の領土」と主張している。
※ この辺は「ダライ・ラマ自伝」やジル・ヴァン・グラスドルフ「ダライ・ラマ その知られざる真実」に詳しい。
⇒ならば、国際的に承認手続きを取った先後で、文句を言うのも筋違いではある。
話がそれてしまったが、尖閣諸島自体は日本の領土であると主張する根拠が十分にあると思います。
いろんな問題にかこつけて(多分ここのところが日中関係の一番のポイントなのだろう)言われたとしても、この点については毅然とした態度で臨むべきでしょう。
逆に他の問題を、きっちりしないといけないですね。
※ 長くなってしまったので、続きは明日以降。
よく考えて「その5」か「その6」あたりで言及できればと思ってます。