一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『東京裁判』

2009-02-13 | 乱読日記

いままで東京裁判についての本はきちんと読んだことがなかったので、年末年始に読もうと思って先送りにしていた本。  

東京裁判について、特定の政治的立場に立たずに史料を丹念に分析し、「裁かれる側」だけでなく「裁く側」の背景にある国際政治や各国の国内事情など多面的な切り口で東京裁判の始まりから戦犯の釈放までを分析した良書です。  

連合国側の東京裁判に関する各国の思惑、ニュールンベルク裁判や戦時国際法との法理論上の整合性、被告人と弁護団の中での「国家弁護」と「個人弁護」の対立、検事の無能、判事団の中の対立など、確かに単純に決め付けられない問題であることがよくわかります。

末文が印象的です。

 ここで注目すべきは、日本の行動を一番大目に見たアメリカにして、犯罪を消し去る「大赦」をついに認めず、「司法的解決」の建前を断じて崩さなかったことである。
 理由は明白、アメリカの「正義」を守るためであった。この基本姿勢は、おそらく現在でも生きている。冷戦期のアメリカは、日本側が多少調子に乗って釈放要求を強めても、「西側の結束」という現実的要請から日本の戦争責任追及を停止し、戦犯釈放にも応じた。
 しかし冷戦後は、そうもいかない。それこそ、われわれ日本人が用心すべき点であろう。東京裁判は国際問題であり、国内問題として完結することはありえないのだから。

 




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