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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

「みんなのミシマガジン」

2013-06-12 | 乱読日記
自由が丘(と京都)の小さな(失礼!)出版社ミシマ社がWebでやっているみんなのミシマガジンのサポーター会員というものになった。

サポーターというのは、同期と結果を逆にして経済事象面だけでいえば紙版のミシマガジンを前払いで年間購読することでwebの運営費用の一助にしてもらおうというもの。(詳しくはこちら参照)


早速紙版の「ミシマガジン」が送られてきた。

Webのコンテンツ同様の日めくりカレンダー風の仕立て。ちょっとおまけがついている。

毎日アクセスするのも面倒だし場所も選ばないので個人的にはwebよりも読みやすい。
また、スマホで読み飛ばす時よりもいろんなことに考えが広がるので、アナログ(かつ初期老眼)な人間にはうれしい。


サイズと厚さが似ていたので、昔の「本の雑誌」を思い出した(今は知らない)。
昔というのは80年前後の頃。
まだ池袋西口には芳林堂書店があって、「本の雑誌」や「広告批評」という当時まだマイナーだった雑誌が置いてあった。

なんとなくそれと同じような熱量を期待したのだが、もっとスマートな感じ。


一番の違いは、編集者の「我」が表に出ていないこと。

それは出版社の編集者と雑誌の編集者の違いなのかもしれない。

webコンテンツでの連載が面白ければ書籍化するという目論見も当然あるのだろうが、それはあくまでも結果であってほしい。

出版を目的にしてしまうと、下手をすると「小説新潮」などの小説雑誌(売れているのだろうか)と同じようなものになってしまいかねない。

サポーターとしては、せっかくなら、もっとミシマ氏や他のスタッフの趣味趣向が前面に出たほうが、もっと面白いと思う。


「みんなのミシマガジン」でなく「俺のミシマガジン」くらいがちょうどいい。



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『学び続ける力』

2013-06-10 | 乱読日記
学生や社会人になりたての20代の若者にはいい本だと思う。
ハウツーでなく動機の部分を読み取ってほしい。


オジサンとしては、オジサンの側から若者にわかりやすく伝える見本として参考になる。


著者ほどの実績や信頼がないときにうまくいくかは別問題だが。


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『企業家たちの幕末維新』

2013-06-09 | 乱読日記
幕末から明治にかけて、江戸時代の商家の盛衰をわけたもの、維新後の企業の盛衰の歴史を、企業家・人材に焦点をあてて書いた軽く読める本。

明治初期は政府の予算が乏しく、資本市場も未発達の中で企業が事業を行うには、少数の発起人とその縁故と信用に依存せざるをえず、必然的に企業でなく個人が注目される時代であった。
その中で、資本家や財界、政府を媒介する役目として渋沢栄一のような「財界人」が登場した。
そういう時代背景から、活躍した企業家-財界人だけでなく財閥を形成した資本家や経営のプロとしての企業家など-を幅広く取り上げている。

「個体発生は系統発生を繰り返す」とすると、新興国でのビジネスは、日本の明治初期のような資本が乏しく個人の信用に依存した時期と、海外での国の資金調達が可能になった日露戦争、世界銀行の融資で新幹線や首都高速ができた第二次世界大戦後、そして金融市場がグローバルにつながった21世紀がギュッと圧縮して、しかも順不同で現出するわけで、一概に「人脈中心の社会で遅れている」などと評価しないほうがいいかもしれない。

逆に本書で取り上げられている明治の企業家達も、資金調達方法が多様にあり、個人資産の海外で有利な運用先があり、安楽で楽しい生活ができる時代であれば、個人資産の事業への再投資をしなかったかもしれない。また逆に、資本側が強い状況では、こういう企業家がは出られないのかもしれない

「明治の人は偉かった」とよく言われるし業績から見ればそのとおりだが、現代に引き直すときには新興国・発展途上国を比較対象にしてみると、何が日本の閉塞感を生んでいるかも含めての頭の整理になると思う。


もっともそんなことを考えずとも、明治初期や江戸時代に創設した歴史のある企業の人と話すときのネタ仕入れという使いかたができる本でもある。



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ジョン・ル・カレ

2013-05-20 | 乱読日記

『裏切りのサーカス』を観て、改めてジョン・ル・カレを読んでみようと思った。

そこで、代表作の『寒い国から帰ってきたスパイ』と、「スマイリー三部作」の一作目『ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ』が上の映画の原作だったので二作目『スクールボーイ閣下』から。


1970年代冷戦華やかなりしころの国際情勢についての記憶はほとんどないので、ドキュメンタリー番組や本による後付けの知識しかないのだが、それら以上にリアリティを感じる出来になっている。

綿密な取材と経験に加え、人間性への深い洞察と現実を見据えるシニカルな視線が、作品を魅力的なものにしている。
特に『スクールボーイ閣下』はベトナム戦争時の香港からベトナム・タイ・カンボジア・ラオスが舞台になっており、「悪所」であったころの香港の描写、タイ・ラオス国境の緊張感など、現在へのつながりを考えるのも一興。


『スクールボーイ閣下』には、有名な

“A desk is a dangerous place from which to watch the world.”
オフィスの机は、世界をながめるには危険な場所である。

というくだりが登場する。
IBMのCEOだった時のガースナーも机の上に掲げていたという。(参照

それ以外にも箴言・警句がちりばめられていて楽しめる。

こんなくだりも。

年寄りは他人の話をするとき、薄れた鏡のなかにそのイメージを追いながら、自分自身のことを語るのが常である。


気をつけよう。




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『MAKERS』

2013-05-14 | 乱読日記

オープンなネットワークと製造技術のデジタル化でモノづくりの仕組みが変わっていくというのは、実家が零細町工場だった身としては感慨深いものがある。

サプライチェーンといえば聞こえがいいが、昭和の町工場はそれぞれの技術や製造設備で作った部品や半製品を順々に後工程の会社に納品し、最後に最終製品を製造する企業におさめるという、言ってみれば食物連鎖のようなピラミッドを形成していた(今でも大半はそうだと思う)。
実家は最終納品者からの仕事が比較的多かったのだが、その分頂点の企業も大きくなく、ロットも小さい仕事になる。
さらにそこから業容拡大しようとすると、機械設備や要員(営業・製造)への投資が必要でさらには手狭になると工場の拡張が必要になる。それは経営規模の小さな(大概は家族経営の)町工場にとっては大きな賭けになってしまう。
当然のことながら賭けに連続して勝つことは難しいため、零細企業から中小企業へのハードルは高いことになる(ひょっとすると中小企業から大企業に成長するハードルより高いかもしれない)。

本書の提示する世界-中規模ロットやカスタム品のマーケットの可能性-はそんな日本の町工場にとっても魅力的なものだと思う。
商品スペックと簡単なコミュニケーションがメールを介してできればそこに参入することはできるし、その程度の英語力についていえば、日本の英語教育も馬鹿にしたものではないと思う(自分の経験上)。
また、日本でも「ビット」と「アトム」を横断するコミュニティができる素地はあると思うし、それがいちばんだと思う(既にあるのかもしれないが)。

ただ、本書で紹介されるような「こういうことができたら面白い・便利だ」と思ったらとりあえずやってみる人々がいて、それらがネットワークになって何かを生み出していく、というダイナミックな広がりができるには、日本のビジネスマンは忙しすぎるのかもしれない。
「ボランティアで協力すると言っても残業が・・・」という声が聞こえてきそうだ。
「ワーク・ライフ・バランス」という言葉が流行りだが、仕事と家庭生活・余暇のonとoffだけでなく「趣味と仕事の間」というのを許容、それ以上に推奨することが必要かもしれない。
労務管理や人事評価の手抜きのための方便でもある「副業禁止」や「職務専念義務」は、そろそろお蔵入りにしたほうがいいかもしれない。

そして、グローバルな「MAKERS」のネットワークを前提にすると、通関手続きとかEPA・FTAにおける原産地証明のルールとかも変える必要が出てくるのかもしれない。


いろいろな方向に考えが広がる刺激に富む本でもあるし、読んでいて自分も元気になるのがとてもいい。



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『日本防衛論 グローバルリスクと国民の選択』

2013-05-04 | 乱読日記
幅広く勉強していてよくまとまっているが軸がないのが残念。

副題にあるようにグローバル・リスク=世界が直面しているリスクとその日本に与える影響について触れている。

ただ、幅広いのはいいのだが「X大学のA教授が・・・」「Y研究所のB所長が・・・」「経済学者のZ氏によれば」という専門家の説の紹介・羅列が多く、なぜ著者がそれをピックアップしたのかという著者の視点が見えない。

最後に少しだけ今後の日本の取るべき方策についての提言があるが、「リスクに対処しろ」という以上のものにはなっていない。
それぞれの論点は既に多くのところで言われているものであり、せっかく並べるならそれらを俯瞰した視点での対応(の難しさ)についての分析などがほしかったところ。


amazonのレビューなどを見ると著者は若手の論客らしいので、もう少しテーマを絞った本を読んだほうがよかったのかもしれない。





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『おどろきの中国』

2013-04-24 | 乱読日記

引き続き中国関係。

こちらは橋爪大三郎、大澤真幸、宮台真司の中国をめぐる鼎談。

まず本書は、中国とはなにか。西洋の社会学の枠組みは、2000年以上前に広範囲な規模で統一がされた中国を分析するにあたって有効ではないのではないか、というところから出発し、近代化・中華人民共和国の誕生を日本の近代化と比較しつつ語り、さらに毛沢東という圧倒的な権力を誇り今も権威を維持している存在の謎に迫り、最後は日中間の問題を語る、という、盛りだくさんの本です。

前段の議論は、毛沢東(そして小平)がなぜあそこまでの権威を持てたのか、そして、日中の歴史認識問題や領土問題は、事実認識の問題ではなく、事実をとらえる前提としての「認知地図」に違いがあるのではないか、というあたりでつながってきます。

この「認知地図の違い」というのは中国・対中関係を議論するにあたって、けっこう大きなポイントではないかと思いました。

(中澤)
 まず、橋爪さんがおっしゃったように、日中関係を歴史的に見たら、中国にとって、日本はあきらかに辺境でしかない。だから、日本と中国が対等なパートナーになるという図式自体が、中国にとってはあまり説得力がないんだと思う。でも、それは日本にとってはちょっと受け入れがたいことですよね。  しかも、日本は中国のことをリスペクトしているかというと、そんな気持ちはほとんどない。アメリカに対してはいくら悪口を言っても、やっぱちアメリカに代表される価値観に日本人は魅了されているから、どこかに尊敬する気持ちがありますよね。だけど、中国に対しては、われわれはおそらくもうこの百年くらいのあいだ、そういうほんとうの意味でのリスペクトを持っていないんですよ。むしろ、自分たちのほうが少し優等生だと思っている。そういう中で日中関係をよくするのは、非常に難しいような気がします。


(橋爪)
 個々人としての中国人と、個々人としての日本人を比べてみると、たいていの場合、一対一だったら力負けすると思う。とくにリーダー同士の場合。中国のリーダーは、ひとりの人間として、自分の拠って立つ価値基盤とか人生の目標とか仕事上の責任とか世界観とかを、自覚的・意識的に構成している。他者に対して自分の行動をどう説明するかも、いつも意識している。それは、本人は意識しないかもしれないが、儒教の行動原理。儒教は、個人プレーの集まりなんです。それに対して、日本人の場合はそういう習慣がない。大事なことは集団で決め、組織として行動するから、自分の考えや行動を相手に説明もできないし、自分で納得もできない。これでは負けてしまう。
 だからね、もっと中国の個々人や、それの集合体である中国という文明の伝統を、日本人はよく知ってリスペクトしなくちゃいけない。アメリカをリスペクトするんだったら、あんな二百年の歴史しかない国より、もっと中国を知るべき。中国は日本のルーツでもあるんだから。そのうえで、やっぱり価値観が一致しないということなら、それは話しあっていけばいいんじゃない?


社会学の研究者の話は、フレームワークが明快な分違和感が残ったり拒否反応が出たりすることもあるのですが、三者の鼎談になっている分、それが中和して読みやすいものになっています。
その分わかりやすい形で要約しやすいというものにはなっていませんが、頭の体操としては面白いと思います。

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『中国台頭の終焉』

2013-04-21 | 乱読日記

最近中国の成長の失速・限界について語る本や記事が多いですが、その中には人口オーナスとかルイスの転換点・中心国の罠、はたまた指導部の小粒化など一発芸の切り口によるものが多い中では真っ当な本だと思います。

改革開放政策下の経済成長で当初の「国退民進」が「国進民退」にとってかわられ、その結果、市場競争が減退し、リーマンショック後の4兆元投資や土地開発益が地方政府や国営企業(と、それらとつながりのある一部資本家)の懐におさまる一方で、不合理な税制ともあいまって民間企業の成長が阻害されていること、地方政府間の競争による野放図な投資と財政問題、都市・農村の二元構造問題と農民への戸籍・土地制度上の差別など構造的なひずみが増大してきていると指摘します。

著者は、中国が米国をGDPで追い抜くこうと今の路線を続けても、ひずみが拡大し成長への足かせとなるために、追い抜くことはできない、めざすべきは、中成長路線を目指す中で、分配の不公正の是正を中心とした改革を行うことだ、と説きます。

 「官」の力が強いせいで、中国経済の行方は共産党・政府の政策次第であるが、長く続いた高成長に慢心したせいで、いまは多くの点で「市場経済原理」を大きく逸脱している。何かというと、それを「中国の特色」と修飾したがるが、その少なからぬものは単なるプリンシプルの逸脱であり、「官」のl既得権益の別表現でしかない。いま中国経済はその「逸脱」の罰を受けようとしているように思える。  
 既にみたように、本書で提起した問題意識は、第18回党大会で一部既に取り入れられているが、残る内容、とりわけ「官」の既得権益にメスを入れる「国家資本主義」の逆転が受け容れられるか否かがカギである。このほど発足した習近平政権が担う10年間はこのような課題に取り組むことになる。  

結論よりも過程の議論をじっくり読んだほうがいい本だと思います。

最終章に日本企業は中国とどう取り組むべきかについても触れています。  
そこには起死回生の解決策があるわけではなく、至極真っ当なことが書かれています。それは中国が今後高成長軌道に戻ろうと低迷しようと共通することなのかもしれません。


 

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『常識としての保守主義』

2013-04-07 | 乱読日記

良書。

本書は拡散してしまった「保守主義」という言葉について、政治認識の視点の枠組みとしての「保守主義」の理解について最大公約数としての「共通の諒解(common sense)」「常識」(それが書名の由来)を提示しようとする。

ややもすると個別の政策に対する立ち位置で区別されやすい「保守」という立場を、政治に対する認識の仕方、立場の取り方に立ちかえって整理していてわかりやすい。

・・・社会革新の思潮に鮮明に現れる特徴は、先ず「より佳き社会」の実現に向けた何らかの「青写真」が提示され、その「青写真」に沿った単線的な試みが要請されるということである。社会革新への単線的な試みは、その「青写真」に沿わない層への偏狭さと表裏一体を成している。・・・片や、保守主義思潮においては、「より佳き社会」とは、様々な人々による多彩な「試行錯誤」の一応の所産と理解される。様々な人々の「試行錯誤」の過程で幾多の「経験」や「智恵」が蓄積され、その「経験」や「智恵」に基づいてこそ「より佳き社会」の内実に関する合意も次第に出来上がっていくというのが保守主義の想定である。・・・
 政治という営みは、人間の社会に絡む難題に対して決定的にして最終的な「解決」を与えることはできない。・・・保守主義の政治の条件としての「ダイナミズム」とは、そうした不完全性に耐えていく姿勢にも現れる。人間の営みとしての政治の「限界」に曇りなく眼差しを向けるのも、保守主義思潮の条件である。

保守主義の精神は、しばしば、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった言葉と重ね合わせて語られる。ただし、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった類の言葉を一種の「観念」として大上段に振りかざすことは、保守主義の趣旨には沿わない。保守主義の文脈で問われるべきことは、多くの人の普段の判断や活動に、どれだけの「信頼」を寄せられるかということであり、その判断や活動の「蓄積」の意義に対して、どれだけ「楽観主義」の姿勢で臨めるかということである。

安倍政権における規制改革、TPP論争、選挙制度改革、安全保障、憲法改正などをめぐる議論を考える視点のとしても有用だと思う。


本書は2009年から2011年まで自民党の機関誌「週刊自由民主」に連載された「よくわかる保守主義入門」が下敷きになっているとのことだが、2009年の政権交代をもたらした原因を自民党の「硬直性」-官や企業・支持勢力との相互関係、派閥と当選回数による党内秩序の固定化、郵政選挙後の当座の人気を重視した総裁選び-については手厳しく批判している。

本書の保守主義についての理解が自民党においても「常識」になっていないのであれば、なおのこと本書は価値があるのかもしれない。




 

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『沈黙の町で』

2013-03-24 | 乱読日記
地方都市での中学生の死をきっかけに、事故か自殺かの真相をめぐり、関係者が疑心暗鬼と混乱に巻き込まれていくという話。
朝日新聞の連載だったらしい(知らなかった)。

奥田英朗は、昔読んだ『最悪』では、登場人物の設定の妙、構成の上手さとスピード感が印象的だったが、構成の上手さは相変わらず。
特に今回は死んだ少年をめぐる中学生たちとその親、そして関係者という三層それぞれの中での利害関係・力関係のからませ方、そして話が進むにつれてその層がからみあってくるあたりは読んでいて引き込まれる。

最後に「真実」が明らかにされるのだが、真実それ自体よりも、それぞれの当事者がどういう風に考え行動するかというところのリアリティが、「いじめ」「自殺」というテーマを奥田流に料理した本書の味わいどころといえるのではないか。


新聞連載で読んでいたら登場人物と同時並行で一日一日が進んでいく感じがして面白かっただろうに。
そこが残念。




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『何者』

2013-03-16 | 乱読日記
就職活動をめぐる小説。

自分が就職活動をしたころはSNSはおろか携帯電話もインターネットも普及していなかったし、今や面接をする側に回ってしまったオジサンとしては、今風の「シューカツ」ってこんな風なのかと思いながら読んだ。

読みながら、そもそも就職活動って自分のことだし友人の活動とは独立した事象なんだから、友人と一緒に相談したり友人の動向を気にしながらやるもんじゃないだろう、という違和感を持ったり、若者の心の動きを描く題材にはいいのか、どの進路を選ぶかとかどの企業に就職するかよりも内定を取る事自体がとても難しくなっているから仕方ないのか、と思ったり。

で、その辺にからんだ落ちが最後にあって、結局就活を題材にしたプチ・ビルドゥングスロマンでした、ということになるのだが、その教訓は就活の時ではなく就職してからの人生においてのほうが、より意味を持つんじゃなかろうか。

社会人になって年を取ってからのほうが思うようにいかないことは多いわけで、ここで描かれているようなことがよりイタイ感じであらわれたりするわけで。
だから、人生が手垢にまみれてしまったオジサンとしては、簡単にまとめるなよ、と思うと同時に、(よく言われる教訓ではあるものの)ちょっと自分を顧みたりもするわけです。


なので、オジサンにとっては、青春の微細な部分についての微細な教訓を含む物語を垣間見る機会としてはそこそこ面白い本とはいえる。
作者は『桐島、部活やめるってよ』(映画しか見てない)も書いているので、もともとそういう世界が得意なのかもしれない。

ただ、そこから先に広がるにはちょっと構えが小さいかな、という感じだが、そこまで求めるのは酷か。



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『日本林業を立て直す』

2013-03-10 | 乱読日記

先日林業についてのセミナーで本書の著者が社長をつとめる三重県の速水林業のことが取り上げらtれていたので早速購入。

印象的だった部分をいくつか


日本の森林は今がいちばんいい状態

江戸時代は木材の需要が多く、無計画な伐採がされたため、森林は悲惨な状態だった。
* 屋久島に行った時にかなり高いところにある「天文の森」が天文年間の切り出し所だと知って驚いたことがあります。博物館では江戸時代には屋久杉の伐採はほぼ山の頂上近くまでおこなわれ、禿山に近くなってしまった歴史が展示されています。

明治になって植林が始まったが、第二次世界大戦でまた大量に伐採された。 戦後は伐採と同時に造林が進められ、現在日本の森林は2500万haと終戦時の2倍になり(うち1000万haは人工林)、現在は日本林業の最も豊かな状態にある。
しかし皮肉にも  

戦後、延べ10億人の人間を使い、現在の金額に換算して約25兆円分の投資をしたにもかかわらず(日本林業経営者協会の試算)、木材価格が安いためにビジネスとして林業が成り立ちにくくなっている


広葉樹が善玉で針葉樹が悪玉というわけではない

戦後のスギ、ヒノキという針葉樹中心の植林が山を崩れやすくしたと言われる。
もちろん広葉樹もある多様性のある森林は重要だが、植物の多様性や土砂流出防止には下草がしっかり生えていることが大事で、そのためには適切な手入れが必要。(コナラやブナなど広葉樹の一部にはアレロパシー(他感作用)という他の植物を寄せ付けない性質を持つものもある)  

ある単一樹種を植える林業は、針葉樹であっても広葉樹であっても、その段階ですでに生態を破壊している。それは日本の林業の前提である。だからこそ、林業は植物の多様性に可能な限り配慮しなければいけないのである。


社会的循環と生態的循環

リサイクルというが、金属やコンクリートなどは製造過程で膨大なエネルギーを消費している(だからこそリサイクルが必要)。
一方で木材は生態系の循環の中にあり、CO2の循環も含めて自然界の中でリサイクルされているもので、バイオマス全体がもっと評価されるべき。



志の高い著者の熱気が伝わってくるだけでなく、日本の林業について、産業として、治山・治水、そしてCO2排出などの環境問題の歴史から現状まで幅広く、かつわかりやすく語れらていて、林業、森を守ることなどに関心のある方にとって非常に参考になるだけでなく、トレッキングなどの際にも森への理解が深まると思います。


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『会議の政治学』

2013-03-03 | 乱読日記

bizlaw_styleさん経由。

「あるある」とニヤリとしながら楽しむもよし、「高級社畜」の参考書としても役に立ちます。

本書は東京大学公共政策大学院初代院長をつとめ、現学習院大学法学部政治学科教授の森田朗氏が、政府の審議会の委員や座長を多数つとめた経験から、政府の審議会の運営の実態や会議運営のノウハウについてエッセイ風にまとめたもの。

第一章の「会議の政治学」は会議運営の手続きと手法について、第二章「会議の行政学」が事務局の役割と行動について、第三章「会議の社会学」は世論やメディア対応について、と、タイトルだけでなく細かいところまで(ちょっと乾いた)ユーモアが行きわたっています。
さらにご丁寧に巻末に索引(これもネタだと思う)までついているので、作者の意図を考えながらこちらを先に読むのもいいかと。


内容も、委員のタイプを「バランス配慮型」「自己主張型」「自己顕示型」「専門閉じこもり型」「理念追求型」「無関心型」「拒否権行使型」の7つに分け、毒にも薬にもなりうるそれぞれのタイプを扱い、配合するコツを語っていたりと、政府の審議会に興味がない人でも、会議全般に通じる知見・分析は企業などでも参考になります。

そして、座長に求められる資質を語っている部分  

諮問した役所の意向・・・を重視しすぎると「隠れ蓑」批判を招くことになるが、・・・で述べたように、そもそも答申を受けた役所が実施できない、あるいは実施する気になれないような答申を出しても、せっかく出した答申が画餅に帰すことになりかねない。実行可能性のある提案をするには、座長は単なるまとめ役だけではなく、それなりの考え方を持っていなくてはならない。かつ、役所の言いなりにもならず、一定の見識を示すことが大切である。  

「諮問した役所」を「上から降りてきたお題」、「隠れ蓑」を「茶坊主」や「社畜」と言い換えれば企業にも共通しますね。  

その意味では、組織人全般への参考書としても有用かと思います。


 

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『ハピネス』

2013-02-28 | 乱読日記
桐野夏生は、日常の不安感や焦燥感、イライラ感を会話と登場人物の思いの微妙なすれ違いで浮き彫りにするのが上手い。

今回はタワーマンションを舞台としたママ友の話。
モデルになったと思しきマンションに知り合いが住んでいるが、取材が行き届いていてリアリティがある。
他の作品に比べて毒気は少ないが、徐々に毒が身体に回っていくような怖さがある。
実際の「ママ友」もこんなもので、日々こういう日常を生きている人にはインパクトは少ないのかもしれないけど(そのことの是非はさておき)。


男女、年齢、置かれた状況によって受け取り方が異なる作品だと思う。
逆に言えば、どこの部分を受けとめようとするかによって意味合いが違ってくるのかもしれない。
姉の結婚を違う立場から切ったという見方もできるか。


終章は雑誌連載から単行本化にあたって新たに加筆したようだ。
確かにこれがないと名人の語りだけでインパクトが足りないので謎解きの要素も入れた「下げ」をつけて一つの作品にまとめたのだろうか。
その結果読者は最後に一定のカタルシスを得られるが、中途半端なまま放り出しても面白かったかも知れない。





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『日本の自殺』

2013-02-24 | 乱読日記

この本のやっかいなところは、読者それぞれの思う「正しい日本の姿」が異なっていても、声をそろえて「その通り、今の日本は問題だ!」と皆が言い出しそうなところ。
それはかえって本書が危惧する結果につながりかねないのではないか。

その意味で、著者が存命であれば、自由民主党の日本国憲法改正草案についての感想を聞きたいと思った。


本書の元は1975年に文芸春秋に掲載された論文。
昨年朝日新聞で取り上げられ話題になったのを受け出版されたもの。

解説によれば、当時は革新勢力による政権交代期待がメディアでも多数であった時代であり、発表時も議論を巻き起こしたらしい。
1975年といえばサイゴンが陥落しベトナム戦争が終わった年なので、そういう時代だったのだろう。


本書はトインビー、オルテガ・イ・ガゼットやローマ帝国の衰退をひきながら、日本が内部から崩壊しつつあることを警告している。  

諸文明の没落の歴史を辿っていくと、われわれは没落の過程で必ずといってよいほど不可避的に発生してくる文明の「自殺のイデオロギー」とでも呼ぶべきものに遭遇する。それは文明の「種」により、また時代によってさまざまな形をとってはいるが、それらに一貫して共通するものは極端な平等主義のイデオロギーであると言うことができる。この平等主義のイデオロギーは、共同体を解体させ、社会秩序を崩壊させ、大衆社会化状況を生み出しつつ全社会を恐るべき力で風化し、砂漠化しtげいくのである。

そして「戦後民主主義」という名の疑似民主主義のイデオロギーは現代日本の「自殺のイデオロギー」として機能している、と指摘する。

著者は疑似民主主義の特徴として次の6点をあげる。
1.独断的命題の無批判な受容
2.画一的、一元的、全体主義的性向
3.権利の一面的強調
4.批判と反対のみで建設的な提案能力に著しく欠ける
5.エリート否定、大衆迎合的性格
6.コスト的観点(すべての社会的、政治的問題の解決には何らかのコストが必要)の欠如  

真の民主主義の本質のひとつは、多元主義の承認である。ところが、疑似民主主義は本来、多元主義のための一時的かつきわめて限定された調整のための手段、便法として工夫された多数決を、一元主義、画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用するのである。


冒頭にふれた自民党の憲法改正草案に戻ると、方向性、国家観の是非(安全保障とか緊急事態宣言とか天皇とか)は脇に置くとしても、国民の権利・義務のところで多用される「公益及び公の秩序」というところが気になる。

「公益及び公の秩序」の定義がなされず、しかも憲法改正要件が緩和されると、大衆迎合的、かつ画一主義・全体主義的な政党が政権をとった時に、筆者のいうように日本の自殺は加速されないだろうか。

自民党が必ずそういう政策をとる、と言っているわけではない(そうでないことを祈る)。
一方、起草者は当然自民党なら「公益及び公の秩序」などについて適切な判断のもとに政府を運営できると思っているのだろう。

しかし、起草者は将来他の野党が政権をとった時にこの改正草案がどのように機能するか、を考えたことがあるのだろうか。
自民党は長年政権の座にあったとはいえ、今後もまた長期政権が続く保証は全くない。
しかも本書の著者に言わせれば、1975年の日本には大衆迎合型の疑似民主主義がはびこっていたし、その指摘は今でもかなりの部分妥当するように思われ、選挙のたびに振り子の振れ幅は大きくなる可能性がある。
となれば、近い将来大衆迎合型の政党(具体的な政党を指してはいないし自民党も該当するかもしれない)が政権をとることも考えられる。


憲法は「不磨の大典」である必要はないが、政権交代ごとに変えるものでもない。
少なくとも誰が政権をとったとしても安定的に機能するものである必要があると思う。
 
そういうものとしてこの改正案が相応なものと思うか、著者が存命であれば(解説によれば婀主たる執筆者は逝去されているらしい)、ぜひ意見を聞きたいと思った。


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