一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『常識としての保守主義』

2013-04-07 | 乱読日記

良書。

本書は拡散してしまった「保守主義」という言葉について、政治認識の視点の枠組みとしての「保守主義」の理解について最大公約数としての「共通の諒解(common sense)」「常識」(それが書名の由来)を提示しようとする。

ややもすると個別の政策に対する立ち位置で区別されやすい「保守」という立場を、政治に対する認識の仕方、立場の取り方に立ちかえって整理していてわかりやすい。

・・・社会革新の思潮に鮮明に現れる特徴は、先ず「より佳き社会」の実現に向けた何らかの「青写真」が提示され、その「青写真」に沿った単線的な試みが要請されるということである。社会革新への単線的な試みは、その「青写真」に沿わない層への偏狭さと表裏一体を成している。・・・片や、保守主義思潮においては、「より佳き社会」とは、様々な人々による多彩な「試行錯誤」の一応の所産と理解される。様々な人々の「試行錯誤」の過程で幾多の「経験」や「智恵」が蓄積され、その「経験」や「智恵」に基づいてこそ「より佳き社会」の内実に関する合意も次第に出来上がっていくというのが保守主義の想定である。・・・
 政治という営みは、人間の社会に絡む難題に対して決定的にして最終的な「解決」を与えることはできない。・・・保守主義の政治の条件としての「ダイナミズム」とは、そうした不完全性に耐えていく姿勢にも現れる。人間の営みとしての政治の「限界」に曇りなく眼差しを向けるのも、保守主義思潮の条件である。

保守主義の精神は、しばしば、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった言葉と重ね合わせて語られる。ただし、「国家の尊重」や「民族への愛着」といった類の言葉を一種の「観念」として大上段に振りかざすことは、保守主義の趣旨には沿わない。保守主義の文脈で問われるべきことは、多くの人の普段の判断や活動に、どれだけの「信頼」を寄せられるかということであり、その判断や活動の「蓄積」の意義に対して、どれだけ「楽観主義」の姿勢で臨めるかということである。

安倍政権における規制改革、TPP論争、選挙制度改革、安全保障、憲法改正などをめぐる議論を考える視点のとしても有用だと思う。


本書は2009年から2011年まで自民党の機関誌「週刊自由民主」に連載された「よくわかる保守主義入門」が下敷きになっているとのことだが、2009年の政権交代をもたらした原因を自民党の「硬直性」-官や企業・支持勢力との相互関係、派閥と当選回数による党内秩序の固定化、郵政選挙後の当座の人気を重視した総裁選び-については手厳しく批判している。

本書の保守主義についての理解が自民党においても「常識」になっていないのであれば、なおのこと本書は価値があるのかもしれない。




 


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