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一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『股間若衆』

2013-02-16 | 乱読日記

少し前に公園のダビデ像「下着をはかせて」…町民が苦情 というニュースがありました。


そこで






本書は、駅前などにおかれている男性彫刻の股間表現はなぜ曖昧模糊(モッコリ?)としているのだろう、と疑問に思った著者が、男性彫刻とその歴史を遡った快作(怪作)。

もとは雑誌『芸術新潮』に「股間若衆-日本近現代彫刻の男性裸体表現の研究」として世に出た論文とその続編「新股間若衆-日本近現代写真の男性裸体表現の研究」に、書き下ろしである「股間漏洩集」を加えた三部仕立てになっています。
この、古典を引用しつつ硬軟両様の表現を使い分けるところが芸術表現と股間の一物の関係をあらわしており、明治以降の性表現への官憲の取り締まりへの対応の暗喩にもなっています。(もっとも「股間漏洩集」は前の2作とのつながりがないと「和漢朗詠集」でなく単なる失禁を連想してしまいますが...)


明治以降、裸体表現をめぐって美術界と警察の「風俗紊乱」取り締まりとのせめぎあいが続いてくる中で、特に男性の裸体は突起物がある分、股間の表現が難しく、そのために様々な工夫(中には珍妙なものや涙ぐましいものもあります)がこらされてきました。

そして、芸術の裸体表現は展示会だけでなくやがて出版物へ掲載されるようになると、それが美術界の中だけの問題にとどまらず、社会問題となります。

ついに朝倉文夫の女性裸体像「時の流れ」を写真掲載した愛知新聞が新聞紙法違反に問われた裁判で、画期的な大審院判例が出ます。  

右夫人の局部に相当する部分には何物の之を隠蔽するものなき事原判決の如くなるも、之と同時に其部分は人の注視を促すに足るべき何物の描写せられたるものなきのみならず、右婦人の姿勢表情共に閲覧者をして羞恥厭悪の念を発起し道義上良心を攪乱せしむるに足るものあるを見ずして単に藝術美の表題を認識し得るに過ぎざるを以て、之を風俗を害する挿画なりと為すを得ず
(大審院 大正7年2月13日判決)

ここから「藝術製品の陰部にあたる部分は何も隠す必要はないが、特殊感情を集中させるような技巧をこらしてはならないという鉄則」が打ち立てられ、局部の表現の仕方、局部を構成するディテールが問題となり、しばらく前まで続いていた「陰毛の有無」基準ができたそうです(なんと今から95年前の基準なんですね)。  

たとえ如何なる藝術品といへども局部に陰毛や陰裂を描いたものは、局部の一点に観る人の特別な好奇心を集中して淫汚な感覚を唆るから、総合的に見て、すべて、これを猥せつとすることになったのであって、この標準は今日迄一貫して維持されて変らないのである
(馬屋原成男『日本文藝発禁史』(注:著者は当時の東京高等検察庁の検事だそうです))

今では桜田門の警視庁の入り口に、朝倉文夫の「競技前」という男性裸像参照が置かれているのは歴史の皮肉です。 (これについては、雑誌『薔薇族』初代編集長伊藤文学が警視庁に出頭したときのエピソードでも触れられています(伊藤文学のひとりごと))


また本書は、わいせつ表現問題だけでなく、芸術作品としても男性の裸体はいかに女性の裸体表現に比べて日陰の存在であったかについて、彫刻と写真表現を中心にその歴史を振り返っています。  

そして、戦後になり、彫刻は戦後復興のシンボルとして、多くの「股間若衆」が作成され駅前に置かれる一方で、写真の分野では、芸術写真自体戦前から女性ヌードに大きく遅れをとっていたうえに、戦後のアマチュア写真時代になると、男性のヌードは日陰の身になってしまうという対比は印象的です。

また、巻末におまけとしてある全国各地の小便小僧が、小さな一物を露出しながらも(することで?)市民に愛されているのを見ると(たとえば浜松町駅の小便小僧を参照)、禁忌の感覚の微妙さを一層感じます。


本書を読み終えたあなたは、街角に立つ股間若衆に温かい眼差しを送っている自分に気づくことでしょう。

 

 

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『ブラック企業 日本を食いつぶす妖怪』

2013-02-11 | 乱読日記
本書は「ブラック企業」が極端な例で入社してしまったのが運が悪かった、というのではなく、今や経営戦略として一部の企業に定着しつつある社会的問題であると指摘するとともにそれへの対処法も語っています。


いわゆるブラック企業は、日本企業の「メンバーシップ制」という雇用形態--雇用契約が職務の限定のない企業のメンバーになるための契約であり、メンバーには長期雇用、年功賃金という恩恵を与える--(『日本の雇用と労働法』参照)への期待を逆手に取り、新卒を大量採用して極限まで使い尽くして辞めさせることで利益追求を戦略的に行っている、といいます。
特に、日本の労働法制では正社員を大量に解雇することはできないので、解雇せずに「自己都合退職」という形で辞めさせる技術を極端なまでに組織化していることが特徴とされます。

これらの企業は、健康を害した若者を社会に放り出すことで、社会保障だけでなく企業への若者の信頼を失わせるという面で社会全体に大きな損害を与えている、と説きます。

一方で、対処法も述べられていますが、それらの人的資源は限定的であり(本書で言及されているほど個人加盟のユニオンは常に労働者の利益を第一に考えているわけではないような事例もあるようですが、頼る人がそれだけ少ないというのは問題)、ブラック企業に働き、そこでの流儀にはまってしまっている人には難易度が高いように思います。

結局、就職=就社という考えを変える、というのが一番の方法とも思われますが、そうやって若者の側が企業を冷静な目で見るようになることが、正社員の過剰な優遇を改め、雇用の流動化につながることになるのかもしれません。


これから就職活動をしようという大学生には就職・就活を考えるいい機会になる本だと思います。

また、企業のオジサン管理職にとっては本書を批判的に見るだけではなく、知らず知らずのうちに「ブラック側」に落ちないようにという意味でも読んでおく価値はあると思います。





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『収奪の星 天然資源と貧困削減の経済学』

2013-02-03 | 乱読日記

タイトルからは天然資源の収奪が自然破壊と途上国の貧困をもたらしている告発本風ですが、原題の副題"How to Reconcile Prosperity with Nature"(成長と自然をいかに和解させるか)が本書の内容をより正確に伝えています。

著者は経済学の視点から自然資源のレント(超過収益)を産出国、産出国の政府と国民と企業、産出国以外の先進工業国・発展途上国、そして現在と将来の人々の間でどのように配分するのが合理的か、という分析から、天然資源を収奪に終わらせるのでなく途上国の成長と貧困削減につなげる方法を考察しています。

最貧国に必要なのは高度成長である。そしてこのことが、貧困の削減と自然の保存を対立させる結果を招いている。環境保護主義者は、経済成長と環境の持続可能性を両立させなければならないと主張する点で正しい。経済学者は、持続可能性とは必ずしも保存を意味しないと指摘した点で正しい。環境保護主義者が自然をそっくり保存することに固執するなら、世界の貧困との闘いにおいて、彼らはまちがった側につくことになる。

そして自然資産を持続可能な開発のために活用する方法について考察しますが、同時にその難しさ、それゆえに今まで実現できなかった理由も指摘します。

政府がここまでに三つの決定をうまく下してきたとしよう。第一に、地質調査を行って資源の存在を裏付ける十分な情報を収集し、資源発見の高い採掘権を入札にかけて高値で落札させた。(*1)第二に、自然資産の経済価値の大半を捕捉できるような税制を設計し(*2)、税収のかなりの割合を貯蓄しながらも、将来世代に対する義務は果たせると判断したうえでいくらか消費を増やした。(*3)そして第三に、国内インフラ投資のリターンは外国の無リスク資産のリターンよりはるかに高いことを理解し、それを活かせば将来世代に対する責任をより効率よく果たせると気づいた。(*4)となれば残る環はただ一つ。その国内投資を実行することである。

(注)
*1 これにより情報の非対称性や賄賂により企業に不当な安値で採掘権を与えるのを防ぐ。
*2 商品相場の変動リスクを企業と応分に負担する安定的な税制をつくることは、採掘権を取得した企業の安定的な経営と不正への誘因を減らし、国への安定的な税収をもたらす。
*3 持続的成長のためには、枯渇性資源からの収入は浪費してはならない。
*4 資源収入を国内投資にふりむけ、持続可能な収入につなげる必要がある。

しかし、この3つのハードルを乗り越えたとしても、そもそも公共投資の収益性の低さに加え、さらに政府支出に群がるロビー活動と汚職、未熟なプロジェクト推進体制、輸入資本財の高騰などっ国内投資にも多くの問題を抱えるため、資源保有途上国が持続的成長軌道に乗る処方箋を実現するのは困難を極めます。
そこでは途上国自身の統治構造や制度自体が問われることになります。
(「ナイジェリア無敵艦隊(Cement Armada)」のエピソードは笑うに笑えません)

本書の話は、漁業資源の問題や、最近ブームの小規模農家の礼賛や遺伝子組み換え作物禁止、バイオ燃料への異議などさらに広がります。


終章では著者の主張が運動論として語られています。
ナイーブになりすぎることなく、かつ希望を持ち続けて国際社会に働きかけていく姿勢は日本も大いに学ぶべきだと思います(そのまえに国際社会に顔を売ることが必要ですけど)。

 新興市場国は、富裕国の責任を言い募ることをいつまでも逃げ道にするわけにはいかない。富裕国と同じく、新興国市場でも政府に説明責任を果たさせなければならない。多くの新興市場国、とりわけ中国では、市民にそのような経験がほとんどない。だが、国境をやすやすと飛び越えてしまう技術の力を使えば、他国の経験から学ぶことができる。
 
 富裕国がかつてやったことをわれわれがやってなぜ悪いのか--新興市場国のこの主張がもはや通じないことを、私は本書で示そうと試みた。・・・安い自然が豊富にある時代は終わったのである。私たちは、自然が貴重になった時代の世界共通のルールを作る必要がある。

 


 

 

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『デフレ化するセックス』

2013-01-29 | 乱読日記

風俗産業の是非を云々する前に、身も蓋もないけど直視すべき現実が描かれています。

(概要)
 一人暮らしする独身女性の3人に1人が貧困状態(年間の可処分所得112万円以下)にある現代の日本。「性風俗」や「援助交際」は、非正規雇用で低収入のまま働く女性たちの「副業」として一般化している。女性の著しい供給過多により、風俗店では応募女性の7割が不採用、20~30代女性の半分は売春しても1万円以下ーー腹をくくってカラダを売る道を選んでも、安く買い叩かれ、もしくは買い手がつかず、貧困から抜け出せない現実がある。本書は現代の性風俗・援助交際を知る入門書であると同時に、カラダを売る女性たちから、現在の社会を読み取ろうという試みでもある。

著者は風俗ライターとして風俗に従事する女性を数多くインタビューしながら、その目線は冷静です。

風俗産業においても女性が供給過剰になり、競争が激化していること、その結果容姿・年齢などで働く業態や場所が限定され、収入も規定される。そしてその底辺にある出会いサイトには暴力団が網を張っている、という現状が実例をもとに理路整然と語られるのは衝撃的でもあるとともに、逆に妙に納得してしまいます。

都市部でないと安定した雇用は少ないが、競争が激しく、家賃も高い。 そこで風俗を選択しても、そこでの競争に勝ち残らないと安定的な収入は得られない。 そこはもはや「風俗に身を落と」せば高金利の借金を返済できるという場ですらなくなっている。 ましてや薬物依存、性格的に問題のある女性はまともな風俗店では雇ってすらくれない。

この現実は、一言「デフレが問題」というのでなく、正規雇用・非正規雇用の賃金だけでなく社会保障費などのフリンジ・ベネフィット面での差、家を借りる際のハードルの高さ(賃借人は借家権で守られるので保証人・入居審査が厳しい)、資金繰りに窮した時の調達の難しさ(サラ金の年収規制)など、今の世の中で特段のスキルがない人が一人でだれにも頼らず安定的に生活をしようとするのは如何に難しいか、セーフティネットを含めた社会制度の在り方がバランスを欠いているのではないかという問題意識を呼び起されます。

著者は一方で高齢者デイサービスセンターを運営していますが、ヘルパーなど時給ベースの人を雇っていることからもそういう問題意識があるのかもしれません。


生活保護の水準や不正受給の問題が議論されていますが、セーフティネットの少し上の水準の生活の人が安定した生活を送れ、所得を向上する機会を与えられ、セーフティネット側に落ちていかない社会を作ることがより大事なのでしょう。


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『アフリカ 動き出す9億人市場』おまけ

2013-01-21 | 乱読日記

『アフリカ 動き出す9億人市場』からのメモ

外国からの支援が助けになることは間違いないが、中国、インド、ベトナムの変革は対外援助だけでなく国内改革に基づいて実現したということを思い出してほしい。

・・・ウガンダが1962年にイギリスから独立したとき、そのGDPは、ウガンダより5年早く1957年にイギリスから独立したマレーシアと同程度だった・・・今、マレーシアのGDPはウガンダの20倍もある。イディ・アミンによる抑圧的な独裁政権はその要因のごく一部にすぎない・・・。マレーシアは自国の工業化を促進するような経済的インセンティブや政策を実施してきたのだ。

ふりかえって日本はどうだろうか。
先進国への階段を先に上ることができたので、さらに進化するための努力を怠り、踊り場で一息ついて従来の延長線上での「成長戦略」で安心してしまっているのではないだろうか。

2005年にエチオピア政府は国内三か所のコーヒー生産地域(イルガチェッフェ、ハラール、シダモ)の名前を商標登録するべく、米国特許商標局に申請を行った。問題は、スターバックスがすでに「シルキナ・サンドライ・シダモ」という商品でシダモの名前を商標登録申請していたことだ。・・・2007年には合意が成立し、スターバックスは同年11月、エチオピアに農民の収益性向上を支援するセンターを開設すると発表した。

中国で「青森」などの商標が登録されていた件を思い起こします。
スターバックスのように実際に商品化されているともっとややこしくなるので、日本を世界に売り込むなら、このへんは要注意です。
(「ロッテガーナチョコレート」とかって大丈夫なんだろうか)

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『アフリカ 動き出す9億人市場』

2013-01-19 | 乱読日記

積読していた2009年発行の本でしたが興味深く読めました。

アフリカといえば、BOP (Base Of the Pyramid)ビジネスが話題になっていますが、本書(著者はインド商科大学院の学部長を経てテキサス大学の経営大学院の教授をしているインド人)は、現地での詳細なリサーチをもとにアフリカの市場としての可能性をより多面的に語っています。

そこには、貧困・汚職・貧弱な指導層ばかりをとりあげる「CNN版アフリカ」にはない、活力あふれるアフリカの姿があります。

アフリカには表題の9億人の人口だけでなく、ピラミッド型の年齢構成、統計に表れない非公式経済の規模(逆に言えば統計の捕捉率が低いために実態よりも低く評価されている)、外国への出稼ぎ者・移住者からの送金(2005年の在外ガーナ人の仕送りは国の輸出金額より多かった)など、一般に思われている以上に豊かで潜在力があると指摘します。

そして、権力こそまだ握っているものの過去にとらわれている「カバ世代」から携帯電話の普及でスピードとネットワークを駆使する企業家精神あふれる「チーター世代」が市場を切り開いている様子が描かれます。

起業家精神は、アフリカで健在なのだ。起業家は問題を解決する。電力がなくなれば、発電機やインバーターを売る。金融システムが不安定になれば、外国為替投資で稼ぐ、雇用がなくなれば道端で雑貨屋を開く。起業家精神と消費市場の発展は、政治改革よりもずっと明朗で、安定した、強力な長期的進展の駆動力なのかもしれない。

そしてアフリカの抱える問題は、ビジネスチャンスをも生み出せる。アフリカ各地における安定的な電力供給の欠如から、発電機や太陽電池の市場が生まれた。不安定な金融システムは、携帯電話の通話時間を交換するシステムやマイクロファイナンス、携帯電話による銀行システムなどを生み出した。エイズからマラリアまでさまざまな健康問題により、新たな治療法やジェネリック医薬品、検査器具、保険に対する需要が生まれた。


本書で取り上げられている起業家の話は、わくわくさせられるものばかりです。

想像ですが、終戦直後の日本もこんな感じだったのではないでしょうか。
(松下幸之助の二股ソケットなんか「足りないところを補う」典型的ですよね。)

今の日本に必要なのは、「出来上がった」先進工業国としてBOP市場の攻略を考えるだけではなく、この人のようにアフリカの若い起業家精神を自らにも取り込むことなんじゃないかと思いました。


本書の末文です。

アフリカの市場は発展を続けている。今からでもアフリカの成長に携わることはできる。古いアフリカのことわざにこのようなものがある。
「木を植えるのに一番いい時期は、20年前だ。二番目にいい時期は、今だ」


 

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『税務署の裏側』

2013-01-08 | 乱読日記

単なる内幕暴露本ではないが・・・

著者は東大卒で元国税調査官になったものの4年で退官、在職中に合格した税理士資格を取得し、税理士とともに税理士向けの税務調査対策コンサルタントなどをやっている人です。

本書は著者の税務署職員時代に感じた違和感と税理士になって直面した理不尽とも思える税務署員の行動について、税務署の実態から解説しています。

残念なところは、「税務署はこんなに楽」という勤務条件や福利厚生面での記述が多いことで、読んでいて「それは地方公務員とか国家公務員の一部にも言えるだろう」ということに多くの紙幅が割かれていることです。
(そして、昭和の頃の銀行の支店とも似た雰囲気を感じました)

参考になったのは税務署員の行動原理について触れた部分です。
中でもなるほど、と思ったのは「挑戦的課税」

これは、脱法的だがグレーゾーンの節税に対して、とりあえず税金を課税しちゃえ、という傾向を言います。
一番いい例が武富士事件です。
挑戦的課税の一番の目的は、勝ち負けに関係なく、世間の注目を集めて法律の抜け道がクローズアップされることで、法改正を実現させることにあるといいます。

・・・国税局の幹部職員が、研修で以下のような話をしていました。
「法律を変えるのは大変だし、実際に法律を作成する主税局の職員は忙しいから、法律の抜け道に対して、適宜ブロックする法律が成立しないことを責めることはできない。むしろ、悪いのは法律の抜け道を利用しようとする納税者で、法律を変えるためには、勇気を持って勝ち目のない裁判をしても致し方ない

武富士事件は結果的に国が敗訴し、課税した1500億円に対する利息相当の還付加算金が約400億円というのですから、立法コストとしては相当高くついたわけです。
税金を掛け金にしてギャンブルをするような「挑戦的課税」が起きる一番の問題は「主税局の職員は忙しいから・・・」という上には物申せない文化にあるように思います。

後半は税理士を目指す人へのアドバイス(税理士事務所につとめるより税務署職員のほうが勉強時間もあるし、永年勤続すれば科目免除や試験自体免除の特典もあるetc.)が主になるので、興味のある方は。

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『がん保険のカラクリ』

2013-01-06 | 乱読日記

正月休みに保険を見直そうかと購読。

がん保険だけでなく医療保険や年齢・ライフステージによる必要な保険の考え方が整理してあって参考になりました。

僕が若かった頃はまだ、実家の知り合いの外務員などに説明を聞きながら入っていたものでした。
ひどいものでは、新入社員の研修で保険の勧誘をやらされていて成績次第で配属先が決まる、と同級生から泣き落としを受けて入った(しかもそいつは数年後に転職してしまったw)A生命なんてのもありました。

そんなこともあったので、死亡保障については2度ほど見直しをして整理がついた状態なのですが、がん保険もあまり深く考えずに入っていました。
本書にもAFLACは企業の代理店を通じてに営業をかけて顧客を拡大したとありますが、まさにその術中にはまったわけです。
しかも毎年に近く新しい特約やらの新商品ができて、ついつい何年に一回かは付加してしまったりした結果、入院保障とがん以外の疾病のときの特約については確かに過剰感がありました。
まあその辺、ライフステージに応じて徐々に減らしていこう、という計画を立てられたのが一番の収穫でした。
(なので、著者が副社長をやっているライフネット生命には入らないけどご勘弁を)

契約の時には合理的な判断ができないのが生命保険の特徴だとAFLACの創業者も言っていたようですが、本書は一般人が陥りやすい思考の誤りを指摘してくれています。

いずれにせよ、保険を選ぶ際にもっとも大切なのは、「いくら払って、その代わりに何を保障してもらえるか」という算式である。高い確率で起こる事象を保障してもらうためには、その分保険料は高くつく。保険料を低く抑えようと思えば、その分保障範囲を限定しなければならない。その点において「お得な保険」なんてものは存在しないのである。

これは理屈ではわかっているし、自動車保険などではけっこう実践しているのですが、生命保険だと情報が得にくいこともあり、合理的な判断は難しいですね。

それから、言われてみてなるほど、と思ったのは

・・・保険の本質は「発生する確率は低いが、起きたときに大きな経済的損失を被る可能性がある事故に備えるため、大勢で少しずつお金を出し合って備える仕組み」である。・・・
 これに対して、「自分の身に起きる確率が高い事象」については保険ではなく貯蓄等の資産形成によって準備されるものである。子供の教育費、老後の生活費は必ず必要になることがわかっているお金である。「偶然の事故に備えて大勢で少しずつお金を出し合う仕組み」である保険には適していない。
 (中略)
 この点、老後の生活に入ってからの死亡や病気は「発生確率が低い現象」とは呼べないのではないか。・・・
 したがって、老後の生活において私たちにふりかかる死亡・病気等の事象に対しては、原則として保険ではなく貯蓄による現預金で対応すると考えるべきである。

まったくその通りだと思います。

特に日本は健康保険制度が充実している(=掛け金を負担している)ので、自己負担はさほど多くないという現実をきちんと認識して判断すべきで、本書はその点の説明も充実しているので、保険を見直そう、新たに検討しようという方にはオススメです。



 

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『地域を豊かにする働き方』

2012-12-26 | 乱読日記

長年地域の産業振興に携わってきた研究者である著者が、東日本大震災の被災地復興の現場から、地域産業の復興へのポイントと課題を語ります。  

著者は「人の姿の見える地域」という単位の重要性を語ります。
「人の姿の見える地域」とは一つの地勢的、経済的、文化的まとまりをもった範囲で、人々が生まれ、育ち、暮らし、都会に出た人が戻ってくる単位を言います。
そこでの産業振興とは、500人、1000人という規模の工場を誘致する(それは現実的でない)のでなく、50~100人規模の地元企業や中堅・中小企業の拠点展開が重要で、それらの拠点と地元の人材との相互作用で産業を振興することで持続的な成長が可能になると説きます。

本書では、被災地でいち早く復旧した地元企業とそれらを支援する企業のネットワークの事例が紹介されています。  

著者は以前から地域経済の置かれていた厳しい現状とそのなかでの自律した取り組みの萌芽を知っているだけに、持続的な復興の難しさも承知のうえで、それに取り組むことが日本の将来にとっても重要だと言います。

 常日頃、私は周りにいる日本の若者たちに「現在、世界で最も熱い『現場』に身を置きなさい」と忠告しています。少し前までは、それはイコール中国の「現場」ということでした。
 (中略)
 現在、「世界で最も熱い『現場』」は東日本大震災の被災地なのです。そこに身を置き、暮らしとは何か、生きるとは何か、地域とは何かを考え、自らの進むべき道を見定め、そこに向かって行くことです。
 日本は戦後、思いもかけぬ経済的な成功を収めました。冷戦構造の中でアメリカの傘の下に身を置き、「若くて貧しかった」父親世代がひたすら「アメリカの背中を見て頑張る」という構図でした。汗の量がポイントであり、汗を多くかいた人が経済的に成功するあたかも「一次方程式」の時代でした。それは85年のプラザ合意の頃まで続きました。20世紀後半型の発展モデルというものでした。
 しかし、冷戦が終結し、バブル経済も崩壊した以降、日本は以前とは全く異なった枠組みの中にいます。 ・・・かつての「アメリカ」「若くて貧しい」という「一次方程式の時代」から「アジア」「豊かで、高齢」「IT」「環境」という四つのキーワードから構成される「連立方程式の時代」に踏み込んでいるのです。  
 しかも、この「連立方程式」は自分で作っていかなければならないのです。・・・この「問題発見」「連立方程式」に踏み込む場合、かつての単純な「一次方程式の時代」を生きてきた前の世代は対応できそうにありません。以前の成功体験が強すぎるのです。新たな「問題発見」をし、前例のない「連立方程式」を組み立て、それを解いていくのはバブル経済も経験していない新たな世代に違いありません。そして、そのきっかけになるのが「世界で最も熱い『現場』」ということになります。


私自身も、ここでいう「一次方程式」すなわち昭和のビジネスモデルの末端で恩恵を受けた世代でもあり、来年は、もっと若い人にチャンスを与えることに貢献せねばいかんなと思う年の瀬であります。



そして、実はより大きな問題は、著者の期待している20代、学生の世代でなく、もうすぐ40歳を迎える就職氷河期の世代だったり、バブル期に大量採用されて企業の中でポスト不足に直面している世代だったりするわけで、団塊の世代が逃げ切りをはかる中で、中間の我々の世代がどう身を処すかというのは、世代論としても、個人の生き方としても大事なんですよね。

 

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『史観 宰相論』

2012-12-25 | 乱読日記

文庫版解説の北岡伸一の言葉を借りると  

昭和の政治史については、清張の代表作は『昭和史発掘』であり、専門家から見ても、いまだに教えられることの多い傑作である。本書における昭和の宰相論は、この『昭和史発掘』を裏側から見るような観がある。

松本清張は推理小説、サスペンスのほかにも、歴史、特に近現代の政治・社会運動についての著作でも有名で、 特に『昭和史発掘』はそこで取り上げられている事件自体がすでに取り上げられることが少なくなっている中では貴重な本だと思います。  


松本清張は反権力、政治家・財界などの「巨悪を暴く」姿勢を一貫してきましたが、同時に小説で人間の欲、情念、コンプレックスなどを描いてきました。  

本書では大久保利通以後の明治の元勲から戦後の吉田茂までの宰相について触れられていますが、やはり清張流のメリハリをつけ、業績だけでなく、個人としてのアクの強さ、複雑な人格と人格形成に至る背景を持っている人により焦点をあてています。
そして随所にちりばめられている人物評が本書の魅力です。  
たとえば  

西郷は倒幕までは素晴らしかったが、維新となりその体制や組織が整うにつれあたかも痴呆症の如くになった。かれは破壊には強かったが、建設された組織の運用には弱かった。それもひっきょうは西郷が近代化についてゆけなかったからである。その点、西郷と毛沢東とは似ていると思う。--西郷隆盛論をするつもりはないが、「大久保宰相」論を云うためには、どうしても西郷を引き合いに出さねばならない。敢えて西郷鑽仰者流の美化に反することにする。  

当時の新聞・雑誌記事に加え、本人や関係者の日記などを丹念にあたり、意思決定プロセスだけでなく人間像を描き出す手法は、最後の評価の部分について清張の目が入ったとしても、説得力のあるものになっています。  


橋下市長についての週刊朝日記事などを思うと、こういう丁寧な仕事をする人が少なくなったなという別の感慨も持ってしまいます。
(佐野眞一氏も、人格形成に迫る手法は同じにしても、ダイエーの中内功を描いた『カリスマ』などの頃は良かったと思うのですが、どうしてしまったのでしょうね。)


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『日本政治の崩壊』または安倍内閣の課題

2012-12-17 | 乱読日記

自民党の圧勝という選挙結果をうけて安倍内閣発足ということになるわけですが、引き続き、本書の「新政権の外交課題」という前回の安倍内閣の発足時に書かれた評論(2006年10月8日 読売新聞掲載)から。

・・・(安倍)首相が祖父を深く尊敬していることは、よく知られている。安部外交が、どの程度、岸外交をモデルにしているのかまだわからないが、今後の安倍外交を考えるうえで、岸外交の出発を振り返ることは意義のあることだと考える。
 (中略)
 岸には、一方でタカ派のイメージがあり、他方で、「両岸」という言葉があるように、曖昧な態度で様子を見る日和見主義者というイメージがあったが、実際の行動から見る岸は、明確なヴィジョンをもち、実務的にこれを実行に移す、きわめて有能なリーダーだった。
 岸の行動から、どういう教訓が読み取れるだろうか。時代も環境も違うので、自明の教訓が出てくるわけではない。しかし、私は次の点に注目したいと思う。
 第一は、その実務的性格である。岸はイデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施し、外遊などの行動によって、その方向を示した。第二に、防衛力整備と対米協力が不可分であることを理解し、これを推進したことである。第三に、対米協調とアジアとの協調の関係である。アジアとの関係の強化が、対米関係強化につながり、また日本の独自性を維持するに資すること、そして対米関係の強化が対アジア関係の強化につながることを、岸は理解し、実践した。第四に、国連の重視である。アメリカとの関係を強化しつつ、独自性を維持するために、岸は国連に注目した。これらはいまなお注目するに足るポイントであるように思われる。
 安倍首相は所信表明演説で、アインシュタインの言葉を引用して、「日本人が本来もっていた、個人に必要な謙虚さと質素さ、日本人の純粋で静かな心」を二一世紀に維持したいと述べた。結構なことである。よき伝統を維持することが保守の本質である。
 しかし、安倍首相に対して寄せられている懸念は、保守でなくて、復古反動ではないかというものである。そういう人たちに取り囲まれているではないかという懸念である。アインシュタインの言葉は、1922年のものである。しかし、満州事変以後の日本人が、そして日中戦争以後の日本人が、いわんや日米戦争期の日本人が、それほど「謙虚」で「静か」だったろうか。
 安倍首相の課題は、こうした懸念に応えて、彼が保守しようとしているものが、こうした時期の日本ではないこと、そして複雑な国際協調であることを示すことではないだろうか。その要素は、すでに所信表明演説の中にある。あとはこれを静かで着実な行動で示すことである。

最後の「しかし」以降は今回の選挙のときの安倍総裁に対しても妥当する指摘のように思います。

前回の首相だった2006年に比べ、外交では中国の存在感がより強まり、経済・財政問題もより厳しさを増し、さらに原発・エネルギー政策が加わる中では、謙虚で静かな心を持って「イデオロギー的な主張を声高に叫ぶのではなく、必要な政策を迅速に実施」することを期待したいと思います。
 

 

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『日本政治の崩壊』またはこの6年間のおさらい

2012-12-16 | 乱読日記

北岡伸一氏の2006年9月から2012年3月までの評論集。
ちょうど安倍内閣から福田→麻生→鳩山→菅→野田内閣までの間にあたります。

選挙に行く前に振り返りをかねてざっと目を通しました。

まえがきでのこの内閣の変遷がいいまとめになってます。

・・・しかし、小泉内閣は真の改革には取り組まなかったように思う。自民党の最も強い基盤である公共事業については、道路特定財源への切込みを一時考えたものの、すぐに断念してしまった。・・・いずれにせよ、小泉は自民党の崩壊過程を推し進めたが、再生にまで至ることはなかった。
 ・・・安倍首相にはリアリズムとイデオロギー的な保守主義が同居していた。また「戦後レジームからの脱却」という大きな目標を掲げながら、これを実施する態勢をもっていなかった。
 ・・・福田は近年まれにみる知性の持ち主だったが、周囲に首相を支える政治家があまりに少なかった。
 (中略)
 こうして2009年9月鳩山由紀夫内閣が成立した。・・・しかし民主党は、国民の高い期待に応えられなかった・・・
 民主党は野党として反対することは知っていても、与党として意見を集約して決定する経験に乏しかった。また、政治主導を標榜して官僚の行動を封じたため、さらに政治を麻痺させてしまった。・・・自民党モデルが崩壊し、いまだ民主党モデルがない状況で、政治は漂流せざるを得なかった。
 ・・・菅は日米同盟の堅持(普天間基地の移設の実現)、財政健全化(消費税増税)という方向をとり、その点で鳩山・小沢との反対の立場となった。しかし、菅の発言は一貫性に欠け、国民の信頼を得られず、民主党は七月の参議院選挙で敗れてしまった。自民党時代の衆参両院のねじれは、今度はまた逆転して続くことになった。
 (中略)
 東日本大震災は、日本の政治の弱点を直撃した。自民党時代から、日本は危機への対応を苦手としていた。首相の周辺に自衛官出身の秘書官がいないことに象徴されるように、非常時を想定しないのが、日本の政治なのである。しかも民主党になって、政治主導のもとで政治と官僚との関係は、きわめて疎遠となっていた。
 (中略)
 八月・・・野田佳彦が代表・首相に選ばれた。ここに、ようやく民主党は日本が抱える大きな課題に前向きに取り組み始めたように感じられる。野田首相はTPP(環太平洋経済連携協定)協議参加を決断し、社会保障と税の一体改革に取り組んでいる。
 (中略)
 野田内閣は野党の協力を得て前進できるだろうか。もしできなければ、既成政治勢力は外部の厳しい批判にさらされるだろう。一つはマーケットの攻撃により、国債が暴落する可能性である。もう一つは、橋下徹大阪市長の率いる「維新の会」などの新しい勢力の急速な台頭である。それは別に日本の終わりを意味するわけではないが、大きな痛みを伴う大変革になるだろう。 

このまえがきは今年の3月に書かれたのものですが、その後消費税法案は成立し、社会保障とTPPはこれから(?)という状態で、今回の総選挙になったわけです。

こんなことを振り返りつつ、投票に。



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『ケインズはこう言った』

2012-12-04 | 乱読日記

本書はいわゆるケインジアンの主張ではなく、「多様で複雑な 現実を念頭に置きながら、政策の効果が実際にどうなるかを論じる」 ケインズだったら今の日本経済をどうとらえただろう、という切り口の本。

帯に「これがケインズの経済学だ!」とありますが、ケインズ以外についても言及している奥行きの広い本になっています。  

逆にケインズ以外のところが面白く、今の新自由主義者の主張はハイエクの主張とは異なるという説明なども興味深く読めます。  

ハイエクは、政府よりも市場の方が経済的に効率的だからという理由で、「民間にできることは民間に委ねればよい」とは言わなかった。 また、規制や保護よりも「自由な市場にまかせるほうが高い成長を実現できるから競争は望ましい」とも言わなかった。
・・・いかなる人間知性であろうとも社会の運行を司る知識をすべて理解することはできない。だから、人間の裁量的な判断(政府) に依存しない自生的なルールに基づく、非人格的なメカニズム(市場)が必要だ。−−これがハイエクの主張である。  
・・・何が最適な生産技術であり、どのような価格が需要と供給を均衡(一致)させるかを誰も知らないから、それを見つけるために 情報を普及させることが競争の意義だ。−−これがハイエクの意見である。

 ハイエクの唱えた真の新自由主義と、偽りの「新自由主義」との間には大きな違いがある。「政府は非効率、民間は効率」というドグマ(独善) によって、市民の安全や安心を守ってきた規制や保護まで撤廃したり、あらゆる分野において自由化や民営化を進めたりすることに 経済学的な根拠も、また社会的な正当性も一切存在しない。

さて、本題。  

著者は現在の日本はケインズが言う非自発的失業でなく、逆に古典派の言う均衡賃金以下で 働くことを選択せざるを得ない「非自発的雇用」が存在する状態だと主張します。


その理由を解き明かすために、本書はケインズやハイエクだけなくマルクスにまで遡ります。  

 使用価値が異なる二つの商品の価値が等しくなる理由を、マルクス以前(ケインズの時代よりもさらに古い時代) の古典派は、一台の机と二個のイスに投入されている労働の量が等しいからだと説明した。 ところが、マルクスは逆に一台の机と二個のイスが市場で等しい価値を持つ商品として交換される結果として、 両者に投入された抽象的な労働の量は等しい関係になると喝破したのである。
 ここで一台の机を人間の労働力に、二個のイスを賃金に置き換えてマルクスの「商品」の理論を適用すれば、 賃金と交換される労働力の価値は、その労働力を再生産するために必要な貨幣の価値と等しいのではなく、 実際に支払われた賃金の価値が結果的に労働力の価値に等しいと結果的に評価されたことになる。  

 つまり、マルクスにしたがえば、非自発的雇用とは労働の苦痛よりも賃金の方が低い状態ではなく、 企業が労働力の価値を、雇用者が実感する苦痛よりも低く評価する状態なのである。  

そして、企業が労働力の価値を再生産可能な水準よりも低く評価する自由を得ている状態では、 「自発的雇用」はゼロ金利でも、財政支出でも解決できない、と言います。  

私たちはここで岐路に立つ。なお、成長の可能性に雇用の安定と暮らしの安心を求めるのか、 それとも成長に固執せず働く機会の確保と暮らしの安心を求めるのか。  

そして著者は、非自発的雇用の解決には経済成長を目指すよりも法定労働時間数の大幅な短縮などにより人為的に労働需給の逼迫を作り出す ことが有効だと主張します。

その分析には納得する部分もありますが、企業活動がグローバル化している現状では、一国だけで「人為的に労働需給の逼迫を作り出す」 ことが可能なのかどうか、賃金の安い国の労働者に職を奪われる(著者流に言えば、企業が賃金の安い国の労働者と同等の評価をする) という状態が問題の深刻なところなのではないかと思います。

 そのあたりは新書版としての本書の問題提起のつぎにくるものと期待したいですと思います。


 

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『外交的思考』

2012-11-03 | 乱読日記

北岡伸一氏のForesightなどへのエッセイをまとめたもの。
こういう本を読むと、きちんとした専門家って必要だよな、と思います。

「北岡伸一」で検索すると、あらあら・・・という感じの評価というかレッテル貼りが出てくるんだけど、現実的な主張や、ブレーンやエリートの育成・活用の重要性を説くあたりが原因なんだろうか。
「現実主義」といっても、それは「足して二で割る」スタンスではなく、原理主義・教条主義にとらわれずに思考を深めた結果なんだと思うし、 またブレーンの重要性を説くと、御用学者とか言われたり、そういうプラットフォームを持っている欧米の社会システムを評価するからそっち寄りと見られるのかもしれない。

・・・とくに安全保障の分野では、完全を求めすぎて、国益を損なうことが多い。「完全は次善の敵」という言葉がある。細部にまで完全無欠を求めるあまり、大きな決定が出来なかったり、タイミングを逸したりすることが少なくない。
・・・集団的自衛権の問題でも、武器輸出三原則の問題でも、かつての防衛費=国民総生産(GNP)1%問題でも、少し従来の政策を超えかけると、周辺国の懸念とか、憲法に抵触する「おそれ」が指摘される。こういうときはどういう「おそれ」がどれほどあるか言うべきである。これらについては、いずれもメリットよりずっと多いと私は考えている。ほとんど存在しない「おそれ」で日本は自らの手を縛って国益を損なっている。

戦後日本で国益と言う言葉が使われなくなった結果、はびこったのは省益であり部分益である。
・・・法科大学院の再検討において、弁護士が増えすぎて職がなくなるなどの議論がされている。しかし、国民のために良質な法律家を生み出すことが国益なのであって、その観点からの議論が十分ではない。これらの議論で共通するのは、利害関係者の間で議論がなされていることである。関係者の利益不利益は、国益の基準によって吟味されなければならないと考える。

 僕は、こういうものの考え方は好きだけどな。


 

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『アフリカの奇跡 OUT OF AFRICA』

2012-10-30 | 乱読日記
帯に
「単身渡ったケニアで、
 年商30億の会社を築き、
 70歳を超えてなお、
 新事業に挑戦する
 規格外の人生」
とあります。

著者のバイタリティあふれる生き方は読んでいるほうもわくわくさせられます。

でも、ビジネスとしては実はけっこうオーソドックスなことをしています。

著者はさまざまな事業を手がけてきましたが、必ず資金面や技術面や営業面でのパートナーと組んで行ないます。
なので、失敗をしても致命的にはなりませんし、うまく行けば急拡大できます。
そしていい意味での「人たらし」の人でもあります。

つまり、起業家の規格ど真ん中です。

その意味でも参考になります。


ところで、先日の日経ビジネス「次代を創る100人」
に著者もその一人として取り上げられていました。
本が出たり他のメディアに取り上げられる前から注目していればさすがだったのですがね。





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