日本共産党 群馬県議会議員 酒井ひろあき

あなたとつくる、希望の群馬。

ハンセン病市民学会総会・交流会in沖縄に参加 「差別に屈しない」 ハンセン病問題も米軍基地問題も国による構造的差別という点で共通 辺野古新基地建設反対の運動と連帯 

2018年05月27日 | ハンセン病
ハンセン病市民学会第14回総会・交流集会が5月19~21日、沖縄県で開催されました。
群馬からは私を含め、「ともに生きる会」のメンバーら7人が参加しました。
初日、那覇市内での全体会は真和志高校の生徒による手話ダンスで開幕。




第一部「沖縄におけるハンセン病隔離政策の歴史とその特徴」では、森川恭剛・琉球大学教員と徳田靖之弁護士が対談しました。この中で、日本軍による強制隔離に加え、米軍による大規模収容と琉球政府による隔離政策の承継と徹底という特殊性があると指摘。熊本地裁で行われている「ハンセン病家族訴訟」の568名の原告のうち約40%が沖縄の原告ですが、誰一人として氏名や素顔を明らかにできない現状を告発しました。そのうえで、深刻化する基地問題との共通性とその解決に向けた課題について語り合いました。



第二部のリレートーク「ハンセン病問題と沖縄の基地問題」で神谷誠人弁護士は、ハンセン病問題と沖縄基地問題に共通するものは、国民の不安をあおり、社会的マイノリティに「特別の負担・犠牲」を強いる行動であり、犠牲に対する「恩恵的代償措置」としての不十分な経済支援でお茶を濁し、少数者は経済的支援がなければ生きていけない(犠牲者があたかも利益を受けているかのように描き出す)という倒錯した認識であるとのべました。
作家の目取真(めどるま)俊さんは、辺野古新基地建設に反対するたたかいをくわしく紹介。土木技術者の立場で基地問題に取り組んでいる奥間政則さんはハンセン病証言集に掲載された父の証言で、差別を受けていた事実を知り大きな衝撃を受けたとのべ、「沖縄の基地問題もハンセン病の隔離政策も国策であり、弱者に対する構図は全く同じだ」と語りました。
宮古島南静園の見学者にガイドをしているハンセン病回復者の上里栄さん(83歳)は、戦時中に激しい空襲やマラリアにかかって苦しんだ経験から、自衛隊のミサイル基地や弾薬庫建設工事に反対する活動に取り組んでいるとのべました。
琉球新報記者の玉城江梨子さんは、宜野湾市の保育園と小学校への米軍機部品落下事故をとりあげ、「事故自体も大きな問題だが、それ以上に深刻なのは保育園・小学校に誹謗中傷のメールや電話が相次いだことだ」と指摘。
2003年に起きた黒川温泉でのハンセン病回復者宿泊拒否事件にもふれながら、「被害者を中傷し、さらに傷つける、バッシングするということがこの社会では度々起きている。声を上げた被害者を孤立させないことが大事だ」と訴えました。
牧師で普天間基地爆音訴訟団長の島田善次さんは、沖縄の基地は1879年「琉球処分」以来の構造的差別であり、ハンセン病の差別・偏見も国家と健常者の構造的差別だとのべ、「悲しい現実」を告発しました。
フリーライターの浦島悦子さんは、「ハンセン病問題に非当事者はいない。差別される側の当事者か、差別する側の当事者かだ」という回復者の言葉を紹介。海でも陸でも熾烈なたたかいが続く辺野古の現場から愛楽園へ。基地問題とハンセン病問題は一つであり、差別のない平和な世界に向かっていきたいと語りました。
フロアーから回復者の平良仁雄さんが発言し、「隔離、断種、堕胎…らい予防法は患者を人間扱いしなかった。国に対する怒りでいっぱいだ。米軍基地の問題にしても沖縄は同じ国民として扱われていない。頭でなく、心で受け止めてほしい」と切々と訴えました。



夜のレセプションでは、地域ごとに参加者が壇上にのぼり、代表者があいさつ。古謝美佐子さんの歌などもあり、打ち解けた雰囲気の中で交流を深めました。



2日目の分科会は、那覇市内のホテルからバスで約2時間、名護市のハンセン病療養所愛楽園で開催されました。私は「体験者から非体験者への継承を考える~沖縄戦継承の現場から」をテーマにした分科会に参加しました。コーディネーターは吉川由紀さん(愛楽園交流会館企画運営委員)。
平和ガイドの川満彰さん(名護市史編さん嘱託員)は、市史編さん業務は作成して終わりでなく、平和学習に生かしていくことが重要だとして、「戦争体験者はいるが『語り部』は少ない。沖縄戦もハンセン病問題も非体験者がどのように伝えていくかが大切だ」と強調しました。
普天間基地の近くで育ったという平良次子さん(南風原文化センター学芸員)は、毎年テーマを変えた「戦争と平和に関する展示会」や、理不尽な戦争の歴史や差別という人間の過ち、弱者への視点から社会を見る目を養うための「子ども平和学習交流事業」の取り組みなどを紹介、小中学校平和学習担当者連絡会議を発足させ、教育現場への情報提供や戦争の歴史継承の教材化に努力していると話しました。
辻央さんは3年前にオープンした愛楽園交流会館の学芸員として、ハンセン病回復者の証言集の編さんにあたっての膨大な聞き取りの経験から、私たち自身が「託された人」としての認識をもち、「語られなかった体験」と向き合い、非体験者が自らの言葉で語ることが大事だとのべました。
ひめゆり平和記念資料館学芸員の古賀徳子さんは、沖縄戦の悲劇の象徴として全国に知られる「ひめゆり学徒隊」の体験者が中心となって取り組んだ企画展や講演活動にふれながら、体験者であっても戦争を体験していない人に伝えることは難しいと指摘。証言、手記、実物、写真、映像など体験者が収集した資料を展示、継承する資料館の意義と役割を力説しました。



まとめの全体会で内田博文さん(大学教員)は、全療協有識者会議の開催状況にふれながら、ハンセン病療養所の将来構想と永続化の問題について、「入所者亡き後、人権を学ぶ場として園全体を永久に残すために法改正へ向けた早急な検討が求められている」と強調しました。
愛楽園内フィールドワークでは、納骨堂、旧面会室、防空壕、強制堕胎された子どもたちの碑、小中学校の碑などを見学、ボランティアガイドから詳しい説明を受けました。沖縄戦の空襲による死者は1人だけだったが、90%の建物が破壊され、不衛生な壕での生活を強いられ、栄養失調やマラリアなどで大勢が亡くなったといいます。







3日目のオプション企画である平和学習ツアー。名護市内で合流し、辺野古新基地の現場が見える「瀬嵩の浜」で奥間政則さんから話をうかがいました。辺野古新基地予定地の周辺には2本の活断層が走り、海底の地盤も脆弱。小中学校や沖縄高専、学生寮、郵便局、送電鉄塔、弾薬庫などが高さ制限を超過していることから、滑走路の運用が始まるまでに撤去しなければならないとのこと。また、基地周辺はジュゴンやサンゴなど豊かな自然に恵まれ、アメリカではジュゴン訴訟が継続中です。奥間さんは、無謀な基地建設を阻止するため、あらゆる法的手段に訴えていくとのべ、埋め立て許可や設計変更にあたっては、県知事や名護市長の権限は絶大であり、秋の知事選挙への全国的な支援を呼びかけました。



辺野古の米軍キャンプシュワブのゲート前では、工事車両の搬入を少しでも遅らせようと住民が毎日座り込み抗議行動を続けています。その日は1415日目でした。私はテント前で急きょ激励のあいさつを行いました。「違法工事やめろ」「基地はつくらせないぞ」とプラカードを掲げて座り込む約100人を機動隊員ら次々に排除、拘束する中で、約70台のダンプやトラック、ミキサー車がゲートをくぐっていきました。基地をつくるのにダンプ350万台分の土砂が必要とのこと、全国で7つの地域から運んできていますが、どこでも「故郷の土で基地をつくらせない」と反対運動がおきているそうです。



次に訪れたのが、嘉数(かかず)高台。沖縄戦の激戦地の一つで、日本兵や米兵の死体の山ができたそうです。高台からは普天間基地が一望でき、ちょうどオスプレイが8機待機していました。同基地は沖縄戦のまっただなかに、銃剣とブルドーザーによって9千人近い住民を追い出し、役場や学校、民家を壊して、飛行場建設を強行したものです。「危険な普天間を返還する代わりに、辺野古に新基地をつくる」というのは空手形で、まったくその保障がないことも明らかです。米軍ヘリの窓が落下した普天間第二小では以前、移転の声があがっていたのに、29億円かかるからと国は用地費の補助を拒否。その一方で、米軍家族のためには48億円もかけて中学校を建設してやったという話を聞いて怒りがわいてきました。
ツアーの最後に、瀬長亀次郎の功績を顕彰する「不屈館」を見学し、館長さんから話をうかがいました。
今回市民学会に参加して、沖縄米軍基地問題にしてもハンセン病問題にしても、国策に翻弄され、差別と偏見に苦しめられてきた県民、元患者の実態をしっかりと再認識することが重要だと実感しました。統一テーマである「差別のない平和で豊かな世界に向かって」、私たちに何ができるのか、何をすべきなのか、その課題と展望についてさらに深めていきたいと思います。

ハンセン病市民学会総会・交流集会in奄美・鹿屋に参加して~将来構想などを考える

2016年05月25日 | ハンセン病
第12回ハンセン病市民学会が5月13日から15日、鹿児島県奄美市と鹿屋市で開かれ、参加してきました。統一テーマは「らい予防法廃止20年・ハンセン病国賠訴訟勝訴15年を迎えて」。
初日の奄美和光園では、馬場まゆみ医長が「奄美和光園での地域医療の現状と可能性」と題して記念講演。続くパネルディスカッションでは、徳田靖之弁護士、僧侶の福田恵信氏、全医労奄美支部長の福崎昭徳氏、一村会会長の美佐恒七氏らが、医療施設としての維持拡充や高齢者福祉施設の誘致、永続化に向けた提言や課題について議論。また患者の強制隔離に反対し続けた小笠原登医師と日本画家の田中一村の記念資料館整備の展望についても語り合われました。


2日目は鹿屋市文化会館で総会とシンポジウムを開催。「全療協のたたかい~当事者運動から学ぶ」では、多磨全生園入所者自治会長の佐川修氏、全国ハンセン病療養所入所者協議会会長の森和男氏、国立ハンセン病資料館学芸員の金貴粉さん、菊池恵楓園社会交流会館学芸員の原田寿真氏らがそれぞれの園の現状や取り組みについて報告。続いて、「ハンセン病を生き抜いた人々の光と熱を伝えたい」をテーマに、2名の小学校教員が紙芝居の取り組みについて報告しました。


3日目は分科会「ハンセン病問題基本法を生かす自治体の取り組み」に参加しました。
ハンセン病元患者の社会復帰を支援している谷崎和男さんは、星塚敬愛園在園者の日野弘毅さんの帰郷の取り組みついて報告しました。日野さんのふるさと、延岡市ではワーキンググループをつくり、職員全体で受け入れに努めてきたことや、再入園にあたり敬愛園のケースワーカーとも緊密な連携をとってきたことを報告しました。
特徴として、日野さんの社会復帰の意思がぶれず、ハンセン病既往者であることを隠さなかったこと、社会復帰を進めるうえで全体を調整するコーディネーターの存在が大きかったことを指摘。そのうえで、自治体を中心に市民や関係機関の取り組みが引き続き重要だとのべました。
霧島市市民課人権擁護推進グループの徳永浩之さん、同元人権教育指導員の柳田五月さんは、敬愛園の玉城シゲさんらを講師にした、小中学校や地区公民館での人権出前講座の取り組みや市職員を対象にした研修について報告しました。研修は4年間でほぼ全員が受講。
元患者が国の誤った政策により実際に受けてきた差別や偏見など、生の声を聞くことで、多くの職員の理解が深まったことを紹介。
職員の人権問題に対する意識を高めるとともに、学んだことをいかに市民に広げていくかが課題だと述べました。
ハンセン病回復者支援センターの山麻奈美さんは、大阪府と大阪市における回復者とのふれあい交流事業などについて報告。
132回に及ぶ訪問活動にふれながら「ふるさととのつながりを絶やさないこと。回復者にとどまらず、その家族・遺族が病歴を隠さなくてもいい生き方を選択できるよう、関係機関と協力して取り組み続けることが重要だ」と強調しました。

会場発言として、「自分の故郷だけでなく好きなところに住むことができるというのはハンセン病問題基本法以前の問題。自治体として社会復帰を支援する取り組みを強めたい」「自治体職員の研修の重要性がわかった」などの意見、感想が出されました。


3日間の全体会や分科会、交流会を通じて、裁判勝訴から15年が経過してもなお課題が山積していること、入所者の高齢化や重症化が進む中、国や自治体の責任で最後の一人までしっかり在園保障していくこと、医療や福祉施設の拡充など将来構想を示していくことが重要だと感じました。

沢田五郎特別展 没後7周年記念企画 楽泉園で始まる 重監房の真相究明に尽くした作家

2015年10月21日 | ハンセン病
草津町のハンセン病療養所栗生楽泉園内にある重監房資料館で21日、元入所者で盲目の作家、沢田五郎さんの没後7周年記念企画となる特別展が開かれました。命日の23日をはさんで、11月14日(午前9時30分~午後3時30分)まで。入場無料です。
特別展では、国によるハンセン病隔離政策を象徴する建物「特別病室(重監房)」の実態を世に知らしめた作品『とがなくてしす』などのほか、作家活動で使った録音テープ、点字タイプライター、発案した音声時計などが展示されています。
学芸員の北原誠さんは「重監房の真相を追い続けた人だった。早くに亡くなり残念だ」と話しました。
私は生前の沢田さんとの思い出をしのびながら「差別偏見を乗り越える道しるべとなるようなものを残してくれた。国と県で連携して、差別偏見の解消を進めていきたい」と話しました。







ハンセン病強制隔離に関する行政報告書を学ぶ 草津栗生楽泉園で9月5日

2015年08月26日 | ハンセン病
ハンセン病の強制隔離に関して行政がどのようにかかわったかを記した報告書が今年3月にまとめられました。
その学習会が草津栗生楽泉園で9月5日に開かれます。
(毎日新聞・群馬版で紹介していただきました。)
私も県議会でこの問題をとりあげてきただけに、興味津々です。
戦争遂行と一体となって、ハンセン病患者を排除・隔離するなど人権を侵害し、差別を助長してきた国や行政の責任を明らかにするうえで、大変重要な報告書です。
印刷部数が少なく、すぐには手に入りませんが、増刷のための予算確保を県に働きかけているところです。
ぜひ学習会に参加していただきたいと思います。


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ハンセン病強制隔離:行政の関与、報告書から学ぶ 来月5日 草津・栗生楽泉園 /群馬

毎日新聞 2015年08月22日 地方版


 ハンセン病患者らが草津温泉の中心部から移住させられ隔離された際に、行政がどのように関与していたかを学ぼうと、「群馬・ハンセン病訴訟を支援し、ともに生きる会」は9月5日、草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」で「県ハンセン病行政資料調査報告書」の学習会を開く。


 栗生楽泉園の入所者自治会から要望を受け、県は2013年、国の強制隔離政策への県の関わりを示す資料を探す専任の調査班を設置。今年3月、栗生楽泉園への集団移転に際して県が移転交渉に関与していたことを裏付ける公文書が見つかったと発表し、調査報告書をまとめた。

 国によるハンセン病患者の強制隔離は、1907年制定の法律「癩(らい)予防ニ関スル件」から始まった。31年の「癩予防法」制定後、官民一体で患者を療養所に強制隔離する「無らい県運動」が推し進められ、96年の「らい予防法」廃止まで続いた。

 草津温泉は皮膚病に効能があるとされており、多くのハンセン病患者が集まっていた。差別の風潮が強まった明治期、草津町は観光客減少を懸念し、患者を湯畑から離れた湯ノ沢地区に移住させた。無らい県運動の本格化に伴い、41年に湯ノ沢地区の集落は解散され、患者は栗生楽泉園に集団移転した。県は集団移転を巡り、仲立ちとして地区代表との交渉に当たったとされる。

 学習会では、元高校教師の渡辺三郎さんを講師に招く。渡辺さんは2014年4月から15年3月まで県の嘱託職員として資料調査班に加わった。ともに生きる会の羽部光男会長は「隠された事実が明らかになってきた。多くの人に差別の歴史を知ってほしい」と参加を呼びかける。

 学習会は5日午前11時から栗生楽泉園の福祉会館で。資料代500円。【山本有紀】

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***ブログ・バックナンバーより***

【お知らせ】2015.9.5(土)「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」学習会(群馬県草津町・栗生楽泉園)



谺雄二さん一周忌・人権賞受賞記念のつどい 草津町栗生楽泉園で開催 

「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」発行される 一般質問や討論で繰り返し要望

谺雄二さん一周忌・人権賞受賞記念のつどい 草津町栗生楽泉園で開催 

2015年06月14日 | ハンセン病
谺雄二さんの遺志を受け継いで―一周忌・人権賞受賞記念のつどい―が13日、草津の栗生楽泉園で開かれ、妻と参列しました。
栗生楽泉園入所者自治会長の藤田三四郎さんが主催者あいさつした後、
ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会事務局長の竪山勲さん、
全国ハンセン病療養所入所者協議会事務局長の藤崎陸安さん、
ハンセン病市民学会事務局長の遠藤隆久さん、
全国人権連副会長の吉村駿一弁護士、
谺さんの友人で入所者の岸従一さんらがそれぞれ思い出を語りました。
私も僭越ながら、谺さんとの出会いや、ハンセン病問題の全面解決へ向けた県議会での取り組みなどについて話しました。

姜(きょう)信子さんが「千年の詩」と題して記念講演。浄瑠璃師の渡部八太夫氏が「葛の葉」を公演しました。
つどいには、梅村早江子衆院議員が参列しました。


以下、私のあいさつ全文です。

日本共産党群馬県議会議員の酒井宏明です。谺雄二さんの一周忌にあたり、このような機会を与えてくださり本当にありがとうございます。心より感謝申し上げます。本日は、昨年の総選挙で北関東ブロックから国会へと送っていただいた梅村さえこ衆院議員が参列していることをご紹介いたします。
谺さんとの出会い、すなわちハンセン病問題との出会いは2001年、人間回復に向けた裁判闘争が大きな山場を迎えていたときでした。画期的な熊本勝利判決、そして国との和解。原告団、弁護団をはじめ、全国各地につくられた支援組織、群馬では「ともに生きる会」の方たちの寝食を忘れた大奮闘によって勝ち取られてきたものだと確信します。あらためて関係者のみなさんに心からの敬意を表します。
当時私は、日本共産党群馬県議団の事務局員として、宇津野洋一元県議らとともに、ここ楽泉園で入所者自治会のみなさんから直接お話を伺いました。どれもショッキングな話ばかりでした。強制隔離政策や重監房のことなど、それまでほとんど無知、無関心でいた自分を情けなく思いました。
「しんぶん赤旗」記者になって、はじめての選挙が草津町議補欠選挙でした。谺さんが立候補し、「医療施設として地域に開放する、療養所の社会化」「療養所にいながらにしての社会復帰」などを訴えました。残念ながら及びませんでしたが、車いすから降りて、不自由な体を押して必死で訴える谺さんの姿は今でも忘れません。神美知宏さんも応援にかけつけていました。
その後、何度も楽泉園に通いました。谺さんをはじめ、鈴木幸次さん、浅井あいさん、鈴木時治さん、中原弘さん、沢田五郎さん、桜井哲夫さん、多くの元患者さんとの出会い、そして別れがありました。
2005年、谺さんたちや「ともに生きる会」の人たちと韓国ソロクト療養所も訪問しました。釜山の街で、豪放磊落に盃を交わし、夜遅くまで将来の展望を語っていた谺さんの姿がつい昨日のことの様に思い出されます。まさに国境を越えた運動家であり、「人間回復」裁判をたたかい勝利へと導いた緻密な理論家でもあった谺さん。詩人・文学者として、そして日本共産党員として、とてつもなく「人間の器の大きい」人でした。
私は4年前に県議会議員となり、厚生文化常任委員会や一般質問で、ハンセン病問題を取り上げてきました。ハンセン病問題の全面解決へ向けて、療養所のある県としての責任をはたすべきではないかと、医療看護の充実を国に働き掛けるとともに、強制隔離など県の誤った政策を検証するための委員会の設置や資料の収集・保存・活用を再三求めました。県立文書館に行って調べたりもしました。伊藤祐司県議も当局を追及し、ついに県は、専従チームをつくって資料の収集にあたり、今年3月「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」を出すまでに至りました。
こうした前進面はあるものの、谺さんの提唱した「人権のふるさと」としての療養所へ、入所者の思いや苦しみ、悲しみに寄り添い、最後の一人までの在園保障と名誉回復、差別と偏見克服の取り組みは道半ばです。ハンセン病問題基本法の完全実施に向けた運動のさらなる発展が求められています。
私は、ハンセン病市民学会にここ数年、毎年参加し、各地の療養所を訪れ、元患者や支援する会の人たちとも交流してきました。昨年の草津での市民学会期間中に谺さんが息を引き取られ、帰らぬ人となりました。奇しくも熊本判決のあった5月11日。霊安室の棺の中で眠る谺さんが「俺はすべてやりきったぞ、あとは任せたぞ」と語りかけているように私は感じました。
昨年、重監房資料館がオープンしました。重監房復元の取り組みでは、高崎高島屋前で2003年9月、谺さんは「10万筆集めるんだ」と自ら署名運動の先頭に立ちました。こうしたたたかいなくして、重監房の復元はなかったといえます。その完成まで見届けた谺さん。今年の市民学会に谺さんの姿はありませんでしたが、その遺志はしっかりと受け継がれていると確信します。
戦後70年の今年、戦争か平和かの重大な岐路に立たされています。戦後最悪ともいえる安倍政権のもとで、憲法9条を踏みにじり、アメリカと一緒に海外で戦争する国づくりが進められています。戦争は最大の人権侵害です。沖縄県辺野古への米軍新基地建設の強行、原発再稼働、TPP推進、社会保障切り捨てと一体の消費税増税。平和と民主主義を破壊し、国民生活を犠牲にする暴走を断じて許すわけにはいきません。
群馬では、まもなく県知事選挙がはじまります。憲法を暮らしに生かす県政の会の萩原貞夫予定候補が連日奮闘しています。ハンセン病問題の全面的解決、栗生楽泉園を人権のふるさとに、こうした谺さんの願い、遺志を実現するためにも大事な選挙です。ぜひ勝ち抜いていきたい。
最後に、本日のつどいを主催された栗生楽泉園自治会及び群馬ハンセン病訴訟を支援し、ともに生きる会のみなさん、並びにご参列のみなさんのご健勝を祈念申し上げ、ごあいさつにかえさせていただきます。



2015.05.09(土)「ハンセン病市民学会 第11回総会・交流集会in東京・駿河」開催される

2015年05月11日 | ハンセン病
第11回ハンセン病市民学会に初日だけ参加してきました。
ハンセン病療養所では、入所者の高齢化が進み、認知症などをかかえ介護を必要とする人も増えています。
医師や看護師、介護士などの人員確保が急務です。
「最後の一人までの在園保障」を国に強く働きかけていかなくてはなりません。
同時に、入所者がいなくなった後の療養所について、人権のとりで=人権学習の場として活用していくことも重要です。
市民学会では、「当事者から」というより、「当事者として」、どうバトンをつないでいくか、活発に議論が交わされました。





運動のバトンつなごう ハンセン病市民学会が集会 (しんぶん赤旗2015.05.10)

きょう5月11日は、草津栗生楽泉園入所者でハンセン病訴訟全国原告団長だった谺雄二さんの一周忌。
市民学会でも黙とうが捧げられましたが、大きな柱を失ったことを痛感しています。
その遺志を継いで頑張らねばという決意を新たにしました。



真の人権回復求め ハンセン病重監房資料館が1周年 / 群馬・草津栗生楽泉園 (しんぶん赤旗2015.05.01)


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「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」発行される 一般質問や討論で繰り返し要望

2015年04月11日 | ハンセン病
谺雄二さん(ハンセン病元患者、故人)に、やっと報告ができます。
私が県議会で強く要望してきた、「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」が昨年度末に発行されました。



「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書 平成27年3月 群馬県健康福祉部保健予防課」(全79ページ)


平成24年9月定例会の反対討論で、県としてハンセン病に関する資料を発掘、整理するように要望しました。

---群馬県議会会議録より引用---

平成24年  9月 定例会-10月19日-05号

◆酒井宏明 議員

 ハンセン病問題についてですが、草津町の栗生楽泉園では、重監房、特別病室の復元が来年度いよいよ着工となります。あわせてこの間、入所者、自治会長らが県に対し、強制隔離政策など人権侵害を行ってきた歴史の検証作業や資料の発掘、整理を再三求めてきたのに遅々として進んでいません。県は、資料が見つからないと言ってきましたが、私は文書館に行って調べたところ、明治期の警察の資料などが出てきました。その気になれば見つかるのです。この問題に本気で取り組む姿勢があるのか、県の姿勢が問われます。楽泉園入所者の平均年齢は83歳を超えています。園の将来構想の具体化とともに、重監房などの負の遺産をどう後世に語り継ぎ、教訓化していくのか、国任せでなく、県としても積極的に関わるよう強く要望いたします。

---引用ここまで---


さらに、平成24年11月定例会の一般質問でも要望しました。

---群馬県議会会議録より引用---

平成24年 11月 定例会-11月30日-03号

◆酒井宏明 議員 
 
 続いて、知事に、ハンセン病問題に対する基本姿勢についてお伺いしたいと思います。

○松本耕司 議長 知事、答弁席へ。

          (大澤正明知事 登壇)

◆酒井宏明 議員 この間、ハンセン病療養所栗生楽泉園の入所者の自治会が無らい県運動、つまり、戦前ハンセン病患者を見つけ出し、療養所に隔離し、根絶やしにしようという政策を検証するための委員会の設置や資料の収集・保存・活用について、繰り返し申し入れ、求め続けてきましたが、全然進んでおりません。県はあまりにも非協力的だと言わざるを得ません。私は何度か県立文書館に行って調べましたが、断片的ではありますが、資料が出てきました。県は本気で探す気があるのか、疑問に思います。まさに県の姿勢が問われるというふうに思います。ハンセン病問題の検証作業を含め、全面解決に向けて、県として楽泉園の将来構想の実現や検証委員会の設置、資料の収集・保存などに具体的に関わるべきだと思いますが、いかがでしょうか。

◎大澤正明 知事 私も栗生楽泉園に行きまして、入居された方々が、我々では言い尽くせないほど大変な耐え難い苦しみを強いられてきたと思っております。県としても、平成21年4月のハンセン病問題の解決の促進に関する法律の中で、地方公共団体の責務について定められていることから、今後ともこの法律の趣旨を踏まえて、しっかりと取り組んでいきたいと思っておりますし、私も楽泉園に行って、入居者から要望があった聞き取り集の作成の発行に当たって、県としてもしっかり応援しようということで、応援してきた経緯もあります。
 ただ、強制隔離政策についての検証については、国における検証会議で既に検証がなされているという認識であります。なお、歴史的な資料の収集・保存等については、これまでも取り組んできたわけでありますけれども、今後もできる範囲でやっていきたいと考えております。

◆酒井宏明 議員 ぜひ積極的に関わっていただきたいと思います。2014年5月にハンセン病市民学会が、群馬で7年ぶりに開催される予定です。重監房の復元の直後でもあり、また、ハンセン病問題基本法施行5周年という節目の年に当たります。入所者の怒りや苦しみ、悲しみに寄り添い、基本法の完全実施に向けた取り組みが求められております。ぜひとも積極的な関わりをよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

---引用ここまで---

ハンセン病問題は、私のライフワークでもあります。
これからも、この問題には深く関わっていきたいと考えています。
最後になりましたが、報告書の作成にご尽力いただいた皆様に、心より感謝申し上げます。



「ハンセン病患者 強制隔離 実態に光 県が調査報告書 政策関与示す資料まとめる」上毛新聞2015.4.11(土)



ハンセン病市民学会の成功、谺雄二さんの死

2014年05月12日 | ハンセン病

第10回ハンセン病市民学会総会が10~11日、草津町で開催され、参加しました。
「いのちの証(あかし)を見極める」をテーマに、重監房資料館新設や納骨堂を残すことの意義、ハンセン病患者を強制収容・強制隔離した「無らい県運動」の検証、ハンセン病療養所の将来構想などについて800人の参加者が熱心に学び、討論しました。群馬大学などの学生がボランティアとして活躍しました。
 

それにしても、ハンセン病問題の全面解決のために、市民学会の成功のために、中心的役割を果たした谺(こだま)雄二さん(ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長)と、神(こう)美知宏さん(全国ハンセン病療養所協議会会長)が、学会開催中に相次いで逝去されたことは本当に残念です。ハンセン病問題の全面解決へ向け、中軸となって奮闘されたお二人に、心から哀悼の意を表したいと思います。
谺さんは、これまで何度も死線をさまよってきましたが、悲願であった「重監房資料館」の完成を見届けたうえで、とうとう82年の壮絶な人生を閉じました。「終わるまで死ねない」と語っていた市民学会開催中の死。熊本地裁判決(2001年5月11日)が出された日に亡くなったというのも因縁でしょうか。
霊安室の棺の中で眠る谺さんが「俺はすべてやりきったぞ、あとは任せたぞ」と語りかけているように私は感じました。
谺さんとは、「しんぶん赤旗」記者時代からのつきあいで、県への要請をはじめ各種行事にご一緒したり、谺さんの部屋でお酒を飲んだりもしました。中でも一番思い出されるのは、「ともに生きる会」のメンバーと一緒に韓国小鹿島(ソロクト)療養所を訪問した時のこと。豪放磊落に盃を交わし、夜遅くまで将来の展望を語っていた姿です。まさに国境を越えた運動家であり、「人間回復」裁判をたたかい勝利へと導いた緻密な理論家でもあった谺さん。詩人・文学者として、そして日本共産党員として、とてつもなく「人間の器の大きい」人でした。谺さんともうお酒が飲めないと思うと、本当にさみしいです…

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ハンセン病市民学会IN熊本に参加~水俣病を学ぶ旅も

2013年05月15日 | ハンセン病

第9回ハンセン病市民学会の総会と交流会が5月11~12日、熊本県で開催され、のべ1500人が参加。群馬から20人で行ってきました。

統一テーマは「いま、『いのち』の意味を問う!~ハンセン病回復者をとりまく現状と将来へのメッセージ」。全体会で、県知事、熊本市長らがあいさつした後、「無らい県運動を検証する」として、志村康・菊池恵楓園自治会副会長、神美知宏全療協会長や大学教員、弁護士らが報告。地方自治体が国の強制隔離・強制収容政策の先兵の役割を果たしてきた実態を告発するとともに、入所者の高齢化がすすむなか、早期の全面解決に向けた施策の重要性を強調しました。
2日目は、合志市の菊池恵楓園内で、分科会「私は行政とタイアップしたボランティアによる支援をどう組み立てるか」に参加。大阪のハンセン病回復者支援センターの先進的な取り組みや熊本県や合志市の施策などが紹介され、過去の問題でなく、いかに現代的な差し迫った問題であるかを共有することが大事だと痛感しました。園内フィールドワークでは、納骨堂や歴史資料館、旧監禁室などを見学しました。ボランティアの皆さん、暑い中、お疲れ様でした。来年は群馬・草津で開催されますので、今回学んだことを生かしていきたいと思います。
3日目は、水俣病の歴史を学ぶオプションツアーに。バスで2時間かけて移動し、水俣病資料館を見学、水俣病語り部のお話を聞きました。

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