日本共産党 群馬県議会議員 酒井ひろあき

あなたとつくる、希望の群馬。

ハンセン病強制隔離に関する行政報告書を学ぶ 草津栗生楽泉園で9月5日

2015年08月26日 | ハンセン病
ハンセン病の強制隔離に関して行政がどのようにかかわったかを記した報告書が今年3月にまとめられました。
その学習会が草津栗生楽泉園で9月5日に開かれます。
(毎日新聞・群馬版で紹介していただきました。)
私も県議会でこの問題をとりあげてきただけに、興味津々です。
戦争遂行と一体となって、ハンセン病患者を排除・隔離するなど人権を侵害し、差別を助長してきた国や行政の責任を明らかにするうえで、大変重要な報告書です。
印刷部数が少なく、すぐには手に入りませんが、増刷のための予算確保を県に働きかけているところです。
ぜひ学習会に参加していただきたいと思います。


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ハンセン病強制隔離:行政の関与、報告書から学ぶ 来月5日 草津・栗生楽泉園 /群馬

毎日新聞 2015年08月22日 地方版


 ハンセン病患者らが草津温泉の中心部から移住させられ隔離された際に、行政がどのように関与していたかを学ぼうと、「群馬・ハンセン病訴訟を支援し、ともに生きる会」は9月5日、草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」で「県ハンセン病行政資料調査報告書」の学習会を開く。


 栗生楽泉園の入所者自治会から要望を受け、県は2013年、国の強制隔離政策への県の関わりを示す資料を探す専任の調査班を設置。今年3月、栗生楽泉園への集団移転に際して県が移転交渉に関与していたことを裏付ける公文書が見つかったと発表し、調査報告書をまとめた。

 国によるハンセン病患者の強制隔離は、1907年制定の法律「癩(らい)予防ニ関スル件」から始まった。31年の「癩予防法」制定後、官民一体で患者を療養所に強制隔離する「無らい県運動」が推し進められ、96年の「らい予防法」廃止まで続いた。

 草津温泉は皮膚病に効能があるとされており、多くのハンセン病患者が集まっていた。差別の風潮が強まった明治期、草津町は観光客減少を懸念し、患者を湯畑から離れた湯ノ沢地区に移住させた。無らい県運動の本格化に伴い、41年に湯ノ沢地区の集落は解散され、患者は栗生楽泉園に集団移転した。県は集団移転を巡り、仲立ちとして地区代表との交渉に当たったとされる。

 学習会では、元高校教師の渡辺三郎さんを講師に招く。渡辺さんは2014年4月から15年3月まで県の嘱託職員として資料調査班に加わった。ともに生きる会の羽部光男会長は「隠された事実が明らかになってきた。多くの人に差別の歴史を知ってほしい」と参加を呼びかける。

 学習会は5日午前11時から栗生楽泉園の福祉会館で。資料代500円。【山本有紀】

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***ブログ・バックナンバーより***

【お知らせ】2015.9.5(土)「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」学習会(群馬県草津町・栗生楽泉園)



谺雄二さん一周忌・人権賞受賞記念のつどい 草津町栗生楽泉園で開催 

「群馬県ハンセン病行政資料調査報告書」発行される 一般質問や討論で繰り返し要望