日本共産党 群馬県議会議員 酒井ひろあき

あなたとつくる、希望の群馬。

ハンセン病市民学会の成功、谺雄二さんの死

2014年05月12日 | ハンセン病

第10回ハンセン病市民学会総会が10~11日、草津町で開催され、参加しました。
「いのちの証(あかし)を見極める」をテーマに、重監房資料館新設や納骨堂を残すことの意義、ハンセン病患者を強制収容・強制隔離した「無らい県運動」の検証、ハンセン病療養所の将来構想などについて800人の参加者が熱心に学び、討論しました。群馬大学などの学生がボランティアとして活躍しました。
 

それにしても、ハンセン病問題の全面解決のために、市民学会の成功のために、中心的役割を果たした谺(こだま)雄二さん(ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会会長)と、神(こう)美知宏さん(全国ハンセン病療養所協議会会長)が、学会開催中に相次いで逝去されたことは本当に残念です。ハンセン病問題の全面解決へ向け、中軸となって奮闘されたお二人に、心から哀悼の意を表したいと思います。
谺さんは、これまで何度も死線をさまよってきましたが、悲願であった「重監房資料館」の完成を見届けたうえで、とうとう82年の壮絶な人生を閉じました。「終わるまで死ねない」と語っていた市民学会開催中の死。熊本地裁判決(2001年5月11日)が出された日に亡くなったというのも因縁でしょうか。
霊安室の棺の中で眠る谺さんが「俺はすべてやりきったぞ、あとは任せたぞ」と語りかけているように私は感じました。
谺さんとは、「しんぶん赤旗」記者時代からのつきあいで、県への要請をはじめ各種行事にご一緒したり、谺さんの部屋でお酒を飲んだりもしました。中でも一番思い出されるのは、「ともに生きる会」のメンバーと一緒に韓国小鹿島(ソロクト)療養所を訪問した時のこと。豪放磊落に盃を交わし、夜遅くまで将来の展望を語っていた姿です。まさに国境を越えた運動家であり、「人間回復」裁判をたたかい勝利へと導いた緻密な理論家でもあった谺さん。詩人・文学者として、そして日本共産党員として、とてつもなく「人間の器の大きい」人でした。谺さんともうお酒が飲めないと思うと、本当にさみしいです…

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