日本共産党 群馬県議会議員 酒井ひろあき

あなたとつくる、希望の群馬。

米軍機飛行問題で市長懇談、警察の妨害、そして育英優勝

2013年08月23日 | 安保・米軍基地

22日、前橋育英高校が初出場で初優勝しました。選手、関係者のみなさん、本当におめでとうございます。自宅から校舎が見えるほど近くにある高校が全国制覇をとげるなんて、感無量で言葉もありません。「粘り強い野球」を地で行くようなたたかいぶりに勇気と感動をもらいました。ありがとうございました。
それにしても、この日は早朝からハードな一日でした。
朝、7時半県庁前で県労会議や民主団体のみなさんと「宣伝活動の自由を守ろう」と宣伝をしていると、県警交通規制課や前橋警察署から12人の制服・私服警官が私たちを取り囲み、「宣伝の許可を得ているのか」「指導に従わないというのか、警告する」などといって、ビデオや写真を撮り始めました。昨年5月頃から宣伝カーへの規制・妨害が強まってはいましたが、ハンドマイクでの宣伝に対する妨害・介入は前代未聞であり異常です。今回の宣伝行動は7月に同様の妨害があったことを受けての抗議でしたが、12名もの警察官が歩道上に立ちふさがり、高圧的に妨害することは民主主義社会をおびやかすものだといわざるをえません。断固として抗議し、自由な宣伝活動への介入・妨害を二度としないよう強く求めたいと思います。当然、県議会でも追及していきますが、国会でも取り上げてもらいたいです。

午前中、観光振興対策特別委員会で議員発議の観光振興条例の制定に向けた論議。観光業者などからヒアリングを行うことなどを決めました。また同委員会として海外視察について、視察先や内容は未定ですが、私は「県民感情からして参加することは難しい」と発言。他の委員からは海外視察に前のめりの発言が相次ぎました。
午後は、米軍C130の低空飛行問題で群馬県入りした塩川鉄也衆院議員らと館林市で合流。安樂岡一雄市長と懇談(塩川氏はその前に太田市長、桐生副市長とも懇談)しました。輸送機の低空飛行の実態について驚いていました。
同市内で開かれた支部主催の「集い」に出席した後、夜7時から太田市内で「米軍C130編隊飛行訓練に関する交流会議」に参加。党議員や平和委員会の人たち20人余と現状を出し合い、今後の監視行動について意思統一を図りました。

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日航機墜落から28年~事故原因の究明と再発防止を

2013年08月12日 | 雑感

日航ジャンボ123便が群馬県上野村に墜落してから28年がたった8月12日。今年も犠牲者の遺族らが墜落現場となった御巣鷹の尾根を目指しました。私も単独で登りました。
尾根で、客室乗務員の遺族だという方に出会い、墓標が立ち並ぶ急斜面を一緒に歩きながら、「遺族」を公然と名乗れない、肩身の狭い思いをしてきたと率直に語ってくれました。私は、「しんぶん赤旗」記者時代に、事故機の高濱機長の夫人らと一緒に登り、その思いを取材したことなどを話し、機長らの墓標や生存者が見つかったスゲノ沢を案内すると、感慨深そうにしていました。またいつか御巣鷹の尾根でお会いしたいと思います。
昇魂の碑前の広場では高崎アコーディオンサークルのメンバーが演奏。子どもたちがシャボン玉を飛ばし、犠牲者を追悼しました。
登山して毎回感じるのは、なぜ520人も犠牲に遭わなければならなかったのか、はたして徹底した事故原因の究明がなされたのか、マスコミも「事故を風化させない」というだけでなく、国や企業の責任をきちんと追及する姿勢こそ求められているのではないかということです。
奇しくもこの日、米軍オスプレイの沖縄普天間基地への追加配備が強行されました。こんな危険な軍用機が沖縄の空を日本の空を飛ぶのを即刻やめさせることこそ、「空の安全」を保障する一番の道ではないでしょうか。

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工事進む八ツ場ダム建設予定地~中止の決断こそ

2013年08月11日 | 八ツ場ダム

先日、長野原町の八ツ場ダム建設予定地を訪れました。行くたびに川原湯温泉街をはじめ、まちの風景がどんどん変わっていきます。聖天様露天風呂も閉鎖されていました。
国道のバイパスができて、旧道では一般車両はほとんどみかけません。バイパス沿いに「道の駅」ができて、大勢の観光客らでにぎわっていました。

新川原湯温泉駅のホームも完成間近といったところ。ダム湖に沈む滝見橋からは、橋げたがほぼつながった湖面1号橋(川原畑地区と川原湯地区を結ぶ橋)が見え、その巨大さに圧倒されます。しかし、両地区をつなげる橋がどうしても必要なのか、2号橋を迂回すれば十分ではないのか。1号橋をつくっても車で5分しか短縮しないともいわれます。
ダムサイト予定地より下流の鹿飛橋。本当に鹿が一跳びで渡れそうなくらいの幅しかありません。まさに洪水を防ぐ天然のダムの役割を果たしています。ダムができればこの風光明媚な自然も壊されてしまうのかと思うと残念でなりません。
国交省は4年の工期延長を決めましたが、付け替え国道・県道やJR付け替え線・駅舎建設など本体工事以外は中断することなく続いていたのです。

本体工事に着手する前の今なら、まだ引き返せます。自然をこれ以上破壊するのはやめて、真の地域振興と住民の生活再建・生活補償へ舵を切るべきです。

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猛暑と感動の一日~党創立記念講演会、原爆朗読劇…

2013年08月11日 | 旧ブログから

10日は猛暑と感動、そして決意の一日でした。
午前中、赤城山中腹(といってもかなり登ったところにある)の「赤城ふれあいの森まつり」開会式に来賓として出席。会場では、さまざまな展示・販売コーナーがあり、親子連れが楽しんでいました。焼きそばとフランクフルトがおいしかったです。
午後は、党創立91周年記念講演会を前橋会場でインターネット視聴。新参院議員のあいさつ一言ひとことに歓声がわきました。東京の激戦を制した吉良さんの、はつらつとしたあいさつもよかったですが、3年ぶりに返り咲いた小池晃副委員長の話には思わず、目頭が熱くなってしまいました。ベストメンバーの比例5議席と選挙区3議席の獲得。全国は一つで、みんなで勝ち取った議席なんだということを改めて実感。
そして、「第3の躍進を本格的な流れに」と題して講演した志位委員長。自共対決の構図や、選挙結果の歴史的な意義について解明しました。特に原発やTPP問題で保守の人々との一点共闘が前進したことの中で、群馬のJAにったみどりの組合長さんの感動的なエピソードが紹介され、感無量でした。こんなに盛り上がった講演会、私は初めてです。パワーアップした国会議員団を先頭に、国会内外で暴走する自公政権の悪政と正面から対決していかなければ!
夜は高崎で上演された、朗読と合唱による「焔の記憶 ヒロシマ・ナガサキあの夏から」を鑑賞してきました。原爆によって地獄と化した街、命を絶たれ、未来を絶たれた人々の苦しみ、平和への願いなど迫真の演技で表現していました。会場ロビーには原爆パネルが並べられ、親子連れが見入っていました。
平和でこそ、こうした上演も自由にできる、もし戦前のような暗黒政治だったら…“あの日”から68年。その惨状を記憶にとどめるだけでなく、被爆者援護をはじめ、核兵器廃絶、そして憲法改悪を許さない取り組みの重要性を再認識しました。

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自治体学校in新潟~中越地震被災地の山古志を訪れる

2013年08月06日 | 視察

第55回自治体学校が8月3日~5日、新潟市などで開催され、1000人余が参加しました。
初日は、渡辺治一橋大学名誉教授が参院選の結果と安倍政権のねらいなどについて詳しく解明。アベノミクスに抗する国民的な運動の重要性を強調しました。
2日目。私は、2004年の中越大震災の被災地、旧山古志村(現長岡市)を訪問する現地分科会に参加しました。
震災時2千人の村で死傷者30人、激震や土砂崩れでほとんどの住宅が損壊し、全村避難を余儀なくされるという甚大な被害にあいました。そうした中、「村に帰ろう、山を守ろう」と復興に向けて力を合わせて頑張る豪雪地域の人々の知恵とたくましさには本当に驚くばかりです。20万匹もの壊滅的な打撃を受けた錦鯉の生産・販売も順調に回復し、千年の歴史をもつという闘牛も復活。日本の原風景である美しい棚田がよみがえりつつあります。野菜などの直売所も震災前より多くの集落で設けられるなど、活気を取り戻しています。
しかし、旧村民の半数近くがまだ戻ってきていません。橋や道路のインフラ整備は進んでも、地域のコミュニティを完全に回復させるのは並大抵のことではないということを実感しました。中山間地における過疎化と高齢化、集落機能の維持は全国共通の課題とはいえ、地域の特性や豊かな資源を生かした創意あふれる、かつ、震災の教訓を踏まえた取り組みが大きな課題となっています。
最終日は、韓国における地方自治の状況と見込みについて、中南大学教授の朴珍道氏が話をしました。軍事政権が長く続いた韓国で地方自治をどう発展させようとしているか苦労の一端を垣間見ました。日本にとっても大変参考になる内容でした。

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原発なくす金曜日駅前行動元気に~初参加者も

2013年08月03日 | 原発・放射能

原発をなくす前橋連絡会は2日、JR前橋駅北口のエキータ前で原発再稼働反対、即時廃炉へむけた宣伝行動を実施。福島支援のカンパや署名を呼びかけました。参加者が次々とマイクを握り「放射能汚染水が海に流出していたことを東電は参院選後にやっと認めた。情報隠しといわれてもしかたない」「15万人の避難者の気持ちを国や東電はどう考えているのか。事故が収束していないのに再稼働など絶対に認められない」などと訴えました。今回の行動に初めて参加した夫婦もいました。連絡会では、毎週金曜日の駅前行動のほか、9月22日に自動車・自転車パレードを計画、10月5日には福島の仮設住宅避難者へ支援物資を届ける予定です。