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悠仁親王殿下 御誕生日に日本の伝統を思う

2011年09月03日 23時22分04秒 | 現代日本

美しい国からの転載です。悠仁親王殿下のお誕生日を心からお祝いいたします。現在男系男子で、皇太子殿下のしたの世代には、悠仁親王殿下しかおいでになりません。戦後、GHQは国際法違反をしてまで、日本の国の弱体化を目指し、憲法を押し付けただけでなく、皇室典範まで改悪しました。皇統を維持するためにあった宮家のほとんどを廃止しました。そのせいで、現在皇室の継承者が先細りになり、ついに悠仁親王殿下お一人になられました。この皇室典範をもとに戻す事が今緊急に必要です。廃止になった宮家は、正統な男系を受け継ぎ、更により現皇室との血を濃くするために昭和天皇の内親王殿下たちが降嫁されております。皇室の弥栄は、日本の国家の繁栄の象徴です。宮家の復活を願います。

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悠仁親王殿下 御尊影
 
平成18年9月6日、秋篠宮文仁親王妃紀子殿下が男子をご出産あそばされた。命名の儀にて悠仁(ひさひと)親王殿下と命名あそばされた。秋篠宮文人親王殿下以来、皇室に約41年ぶりの親王殿下の御誕生でした。
あれから5年、お健やかに御成長あそばされ、臣民の一人としてに心からお祝い申し上げます。
誕生時には、インドネシアのユドヨノ大統領など21か国の元首から天皇陛下・皇后陛下へ、31か国の元首から天皇陛下へ、それぞれ皇孫誕生の祝電が寄せられた。

皇室に関することは、皇室典範という法律に定められており、皇室典範は、戦前は憲法と同格の地位にありましたが、戦後は一般の法律と同じ位置づけになっている。国会で制定がされ、改正もされる。
皇室典範は、皇位つまり天皇陛下の御位を継ぐ方について、皇統に属する男系の男子と定めています。
男系とは、家系における男性の系統。皇室においては、父方を通じて天皇陛下とつながっている系統である。また、父親・祖父などが天皇であり、男性をたどっていくと天皇陛下とつながっている方を、男系の方と言う。
 
悠 仁親王殿下は、皇位継承順位において、皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下に継ぐ第3位となられます。皇太子徳仁親王殿下・秋篠宮文仁親王殿下の下の 世代には現在、内親王殿下であられ、今後、もし皇太子徳仁親王殿下に男子がお誕生にならない場合は、悠仁親王殿下が将来皇位を継承されることなるでしょ う。悠仁親王殿下のご成長で、ひとまず、皇太子徳仁親王殿下の世代の次の世代に天皇陛下になられる方が得られた。
しかし、悠仁親王殿下御誕生によって、問題がすべて解決したわけではなく、いまのままでは、将来皇室には、悠仁親王殿下お一人しかいらっしゃらなくなるかもしれないのです。
 
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皇室
 
 
 
系図をご覧いただくと、理解し易いのですが、三笠宮崇仁親王殿下に繋がる女王殿下、今上天皇陛下に繋がる内親王殿下は、はご結婚されると皇籍を離れあそばされる。
このままでは、皇室はますます縮小し、先細りになってしまいます。
 だから、いま私たち臣民は皇室について真剣に考え、皇室の存続と皇位継承の安定を願っていかねばなりません。
 日本文化をよく知る外国人の中には、日本の最大の特徴として、皇室の存在を挙げる人が殆どです。彼らには、これは大きな驚きなのだ。古代から今日まで帝室がずっと続いているということなど、諸外国では考えられないことなのです。しかも、男系男子により『血筋』を『神代』から継承している万世一系の皇室の伝統に日本人でありながら、このことに気づいていない人が多い。
 日本の国柄は皇室を中心とした一大家族制度のようになっている。これは、人為的でなく自然につくられてきた実に優れた合理的な組織であると説いている。
 こうしたわが国に伝わる伝統は、人と人、人と自然が調和して生きる人間の生き方です。家庭では、親子や夫婦が調和して生きる。また、祖先を敬い、子孫の 繁栄を願って生きる。そうした家族が多数集まって、一つの国を形成しています。その国の中心には、皇室があり、国民が皇室を中心とした一大家族のような社 会を築いているのです。
大 東亜戦争後の昭和天皇陛下巡幸、東日本大震災での天皇陛下、皇后陛下、行幸啓、皇族方の行啓、に見る皇室と国民との紐帯。これが日本の伝統的な国柄です。 これは人為的に作ったものとは違い、自然に作られてきたものであり建国以来我々の祖先と、皇室が長い年月をかけて醸成した國體の精華なのです。
 このような伝統を持つわが国において、皇室の存在は、極めて重要なものであります。
扇で言えば、要にあたる。美しい扇も、要をはずすとバラバラになってしまいます。
大東亜戦争後、我国は本来のわが国の姿を見失っています。
GHQは、占領政策の目的を、日本が再び米国及び世界の脅威とならないようにおき、日本の弱体化を図りました。弱体化の政策が計画・実行されました。
 最大の問題点は、天皇陛下のご存在です。教育勅語・国史・修身の廃止。これはわが国独自の歴史や道徳観を否定するものだが、わが国の歴史・道徳は、天皇陛下と国民の結びつきなくして考えられない。
しかも神道指令は、国家と神道の結びつきを断つものであり、いわゆる人間宣言は、天皇陛下の神聖性を否定するものでした。最大の施策は「日本国憲法」であり、現行憲法は天皇陛下の権限を少なくし、伝統的な役割を損ねるように仕向けました。
 一連の政策は、天皇陛下の権威を引き下げ、天皇陛下と国民の紐帯を弱めるものでした。これが、日本弱体化政策の核心となったのです。
GHQは占領統治を円滑に行なうために皇室のご存在は認めたものの、皇室を縮小させました。皇族に経済的な圧力が加えられ、11の宮家が廃絶され、51人 の皇族が臣民と同じ立場になりました。残ったのは、直宮(天皇の子や兄弟の宮)のみでした。一気に消滅させようとすると、日本人による抵抗・統治が困難な ため、徐々に皇室が衰退していくように仕組んだものなのです。
 そのため、戦後の皇室は、苦難の連続でした。皇籍を離れられた宮家の苦労は厳しいものでした。
皇室の運命と国民の運命は切り離せない。教育勅語で教育を受けられた世代の大変な努力によって、戦後の復興がなり、経済成長がされ、今日豊かな社会を私たちは享受しています。しかし、日本弱体化政策の効果は、近年になってじわじわと表われてきています。
 
国民の大多数は、皇室の伝統を知らず、女性天皇と女系天皇の区別も知らなかった。今もまだその深い意味を知らない人が少なくない。知識不足のまま、世論は女性天皇を支持し、女系継承でもよいという方向に傾いていた。
小泉元首相は通常国会で、有識者会議の答申内容に基づいて、皇室典範を改定するという強硬な姿勢だった。政治家の多くは、有識者会議の答申内容をよく吟味することなく、多数決によって皇室典範の改定を決めようとしていました。
平 成十八年三月七日、東京の日本武道館で「皇室の伝統を守る一万人大会」が開催され、一万三百人が集った。
金美齢氏(当時、台湾、総督府国策顧問)が次のようなことを述べた。
 「紀子妃殿下ご懐妊と聞いたとき、一瞬、神風が吹いたと思った。大戦の時、私は台湾にいたが、日本人として生きていた。2600年の歌を歌った。必ず神 風が吹くと信じていた。しかし、その時は、神風は吹かなかった。どうして今、その神風が吹いたのか。皇室典範の改定は、大戦よりも日本の骨格を揺るがす国 家的危機だからではないかと思った」

神風が吹いたとは、まさにそのとおりです。
しかも、待望の親王殿下御誕生でした。
 
しかし、今日でも女帝・女系容認論の議論は続いています。
悠仁親王殿下の御誕生によって、日本人は貴重な時間を与えられたのではないか。この間に、日本の国柄、皇室の伝統について、私たちは理解・認識をもっと深めていく必要があるのではないでしょうか?
戦後、臣 籍降下した11宮家のうち、現存しているのは6家。うち5家に、皇太子より若い男子が14名おられ、うち8名は独身という。敬宮愛子内親王殿下の年代の男 子も3名いらっしゃいます。もとは皇族の方々だが、終戦後、GHQによって半ば強制的に皇籍離脱した家の方々です。こういう方々に、皇族に復帰していただ いてはどうかという意見もあります。
旧皇族の復帰には、反対論・慎重論もあり、またそれへの反論もあり、これから本格的な議論が行なわれるでしょう。皇室の伝統を維持するために、慎重な上にも慎重な検討を重ね、国民の叡智を集め、適切なあり方を求めていくべきです。
 現在何もしないでいれば、その時、宮家はみな絶家になっており、敬宮愛子内親王殿下、眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の皇族方もご結婚によって皇籍を離れています。悠仁親王殿下が、たったお一人になっているということになりかねません。
 
一臣民が皇統を論ずるのは不敬ではありますが、無知な為政者、皇室を貶める為政者・学者に委ねるのは危険です。
今上陛下、皇族方の思いが最も尊重されるように・・・・
 

悠仁親王殿下のお健やかなるご成長を願って・・・

 
 
 


皇尊 彌榮 彌榮 彌榮
 
皇室 彌榮 彌榮 彌榮
 
天皇陛下、皇后陛下 萬歳 萬歳 萬歳
 
悠仁親王殿下 萬歳 萬歳 萬歳
 
 
 

転載元 転載元: 美しい国


野田首相に民団関係者ら在日韓国人から政治献金

2011年09月03日 22時14分29秒 | 現代日本

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。

 

転載開始

 

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良識ある日本国民の皆様には、野田首相が民団関係者ら在日韓国人から政治献金を受け取っていたのはご存知だと考えます。

野田首相も外国人献金 民団関係者らから30万円

野田佳彦首相の資金管理団体が、在日本大韓民国民団(民団)関係者ら
在日韓国人2人から計約30万円の政治献金を受け取っていたことが2日、
産経新聞の調べで分かった。献金者本人が取材に外国籍であることを認めた。
外国人献金が野田首相にも発覚したことで新政権への影響は必至だ。
(産経新聞)より抜粋
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110903/crm11090302000001-n1.htm

 

>野田佳彦首相の資金管理団体が、在日本大韓民国民団(民団)関係者ら在日韓国人2人から計約30万円の政治献金を受け取っていたことが2日、産経新聞の調べで分かった。献金者本人が取材に外国籍であることを認めた

前 原誠司元外相、菅直人前首相に続いて、野田佳彦首相も在日韓国人から政治献金を受け取っていたことが発覚しましたが、献金した二人の在日韓国人は千葉県在 住ですし、一人は民団の千葉支部で役員を務めているので、野田首相が民団に「心から御礼を申し上げます」と感謝した理由が分かります。

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野 田首相は2009年10月11日、千葉市中央公園で「韓日友好」として開催した「マダン祭」に参加して、「8月30日の衆議院選挙におきましては、千葉民 団の皆さんの力強いご推挙、ご支援を頂きましたことを心から御礼を申し上げます」と、民団に感謝の言葉を述べていました。

韓国民団の選挙協力に感謝する、民主党野田佳彦議員(動画)http://youtu.be/3k79ozsd_-8

野田首相には、2007年6月、野田首相のパーティー券を、競馬情報会社と不動産会社が計80万円を購入して、政治資金収支報告書に名前があったS氏は、2004年に2億3600万円の脱税事件で有罪判決を受けていた、元暴力団構成員の問題があります。

野田首相には、脂肪吸引手術での死亡事故で、警視庁に医師が摘発された美容整形外科グループの創業者から、野田首相の資金管理団体が計300万円の献金を受け取っていた問題もあります。

東京地検特捜部が6月、1億1300万円の法人税法違反(脱税)容疑で、ソフトウエア会社の社長ら4人を逮捕しましたが、社長らが、野田首相や仙谷由人議員など、与野党の議員10人に計434万円の政治献金をしていたことが判明しています。

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9月2日に、野田内閣が発足しましたが、自民党政権での派閥均衡内閣と同じですし、野田首相は靖国神社を公式参拝しないと明言して、小沢元代表の処分見直しでは閣僚と意見が割れるなど、寄せ集め内閣、在日韓国人のための韓流内閣としかいえません。

民 主党には、「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」がありますが、2008年1月に民主党内に設置された議員連盟 で、衆参議員の約50名が加盟して、在日韓国・朝鮮人など「永住外国人に地方選挙権を付与する法案」を通常国会に提出して、実現させることを目的にしてい ます。

「野田内閣の閣僚」~ 川端達夫(滋賀1区) :小宮山洋子(東京6区):平岡秀夫(山口2区):中川正春(三重2区):鉢呂吉雄(北海道4区):一川保夫(石川):藤村修(大阪7区)

一 般社団法人「パチンコ・チェーンストア協会」の、「政治分野アドバイザー」(2011年8月31日現在)には、「民主党の国会議員39名」(自民党10 名・公明党3名ら、合計54名の国会議員)がいますが、在日韓国人の利権産業、パチンコの合法化を目指す、「パチンコ議員」です。

「野田内閣の閣僚」~ 鹿野道彦(山形1区):前田武志(比例):山岡賢次(栃木4区):古川元久(愛知2区):中川正春(三重2区)

http://www.pcsa.jp/member.htm

 

民 主党には、「民主党娯楽産業健全育成研究会」がありますが、1999年8月に民主党の国会議員が発足した議員連盟で、パチンコ業界の風営法適用範囲からの 除外と、換金行為の完全な合法化を柱とする「遊技場営業の規制及び業務の適正化等に関する法律案大綱」などを公表しています。

「野田内閣の閣僚」~ 安住淳:前田武志:古川元久:中川正春:平岡秀夫

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私は本ブログで、野田内閣の閣僚の多くを記事にしていますので、本日は、平岡秀夫法相のみを取り上げますが、2001年3月31日、滋賀県大津市平野小学校の給食室の裏庭で、青木悠君がA(当時15歳)とB(当時17歳)にリンチを受けて、死亡した事件がありました。

青 木君は中学生の時の交通事故で、左半身が不自由になった身体障害者でしたが、リンチは少年法改正前の3月31日だったので、4月1日の改正少年法は適用さ れなくて、リンチを受ける青木君を取り囲んで見ていた3人の少年達は不処分、AとBも刑事裁判にかけられることもなく、少年院送りになりました。

日 本テレビが2007年6月29日に放送した、「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」に、平岡法相が出演した際、息子が殺害された青木和代さん は、「法律は弱い立場の人を守るためにあるものだと思っていたが、加害者を擁護し死人に口なしだった」・「政治家は弱い立場の人のために法律を見直してい ただきたい」と述べました。

平 岡法相は、「加害者の人に死の恐怖を味あわせるという気持ちで、私は、青木さんが本当に幸せというか、納得できるとはちょっと思えない。むしろそういう悪 いことをした子ども達は、それなりの事情があってそういうことになったんだろうと思います」と、加害者の子供たちにも事情があると発言をしました。

「犯罪者にも事情がある」 民主党・平岡秀夫の発言 【太田総理】(動画) http://youtu.be/LswADT-mSs0

母親:「意識不明続が続いていた。亡くなる前の日、『助けられなくてごめん』
と何度も声をかけていたら涙を流してくれた」 「加害者たちは弁護士から『1~2年で出られる』と聞いていたと知った」
「少年院送致というのは保護処分で、罰でもなんでない。
息子は骨壺になったのに、なぜ加害者は太陽を浴びているんだろうと思った」 「少年院で講演するとき、(そこにいる彼らには)頑張って生きてほしいとは思うが、
自分の(息子を死なせた) 加害者には死んでほしいぐらいの気持がある。
矛盾はしているが」 平岡:「加害者の人に死の恐怖を味わわせるという気持ちで
遺族が本当に幸せになるというか、納得されるとは思わない。
むしろ、悪いことをした子どもたちはそれなりの事情があって、
そういうことになったと思う」 母親:「事情って何ですか?」 平岡:「事情と言うのは、彼らがどういう環境の中で育ってきたかとか、
どういう風な親とか大人とかとの関係であったとか、まあいろんなことが、
それは置いておいて」

 

青木悠君をリンチして死亡させた、AとBの主な動機は、「障害者のくせに全日制高校に行くのが生意気だから」でしたから、平岡法相が主張した、「加害者の子供たちの事情」はなかったのですし、加害者の立場で考える平岡秀夫に法相の資格はありません。

滋賀・青木悠君リンチ殺人
http://yabusaka.moo.jp/outu01.htm

 

野 田首相に、民団関係者ら在日韓国人から政治献金が発覚しましたが、野田内閣の閣僚は、在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議 員連盟・民主党娯楽産業健全育成研究会・パチンコ・チェーンストア協会に参加している議員ばかりで、在日韓国人のための韓流内閣です。

良識ある日本国民の皆様、野田内閣についてご考慮下さい。

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転載終り

 


大東亜戦争を戦った日本への言葉

2011年09月03日 00時03分19秒 | 現代日本
 日本人が戦後GHQの洗脳によって自虐史観に陥り、その後は日教組が子供たちに日本がいかに悪かったかを教え、日本は歴史にも祖先にも日本的な文化や思想にも誇りが持てなくなっています。でも、若し日本が第二次大戦を戦わなかったなら、今の世界のアジアアフリカ諸国の独立と人種の平等は実現していなかったか、あるいは実現が遅れていたのは確実です。世界の心ある人々は、今の日本がそんな自虐史観から脱却することを望んでいます。



アムステルダム市長の挨拶

(平成3年、日本傷病軍人会代表団が、大東亜戦争の敵国であったオランダを訪問した折、同国の傷病軍人代表と共に、首都アムステルダム市長主催の親善パーティに招待された。その時の市長の挨拶)


あなた方日本はアジア各地で侵略戦争を起こして申し訳無い、諸民族に大変迷惑をかけたと自分を蔑み、ペコペコ謝罪していますが、これは間違いです。
あなた方こそ自ら血を流して東亜民族を解放し、救い出す、人類最高の良いことをしたのです。何故ならあなたの国の人々は、過去の歴史の真実を目隠しされて、今次大戦の目先の事のみ取り上げ、或いは洗脳されて、悪いことをしたと、自分で悪者になっているが、ここで歴史を振り返って、真相を見つめる必要があります。


本当は私共白人が悪いのです。100年も200年も前から競って武力で東亜民族を征服し、自分の領土として勢力下にしました。植民地や属領にされて永い間奴隷的に酷使されていた東亜諸民族を解放し、共に繁栄しようと、遠大崇高な理想を掲げて、大東亜共栄圏と言う旗印で立ち上がったのが、貴国日本だったはずでしょう。


本当に悪いのは侵略して権力を振っていた西欧人の方です。日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現しました。即ち日本軍は戦勝国の全てを東亜から追放して終わりました。その結果アジア諸民族は独立を達成しました。日本の功績は偉大です。血を流して戦ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むのを止めて、堂々と胸を張って、その誇りを取り戻すべきです。



インドネシア モハメッド・ナチール元首相
 
アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。
大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。

大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だった
と思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦った
でしょう。大東亜戦争はそういう戦いだったんです。



インド ラダ・ビノード・パール 法学者、極東国際軍事裁判判事

 日本が戦争にふみきったのは「侵略のためではなく」独断的な政策をとった西洋諸国によって挑発された為であり、「東京裁判は正義の実現ではなく勝利者による復讐」であるとし、「日本は国際法に照らして無罪である」と主張したが、その主張を法廷で述べることを許されなかった。

「欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示する目的であったにちがいない。日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、退廃に流れていくのを、私は平然と見過ごす訳にはゆかない。

 誤られた彼らの宣伝を払拭せよ。 
 誤られた歴史は書き換えられなければならない」