美しい国からの転載です。農耕民族としての日本人の古来からの伝統習慣がとてもよくわかる記事です。
日本における稲作は、以前は、弥生時代に始まるとされていましたが、近年はすでに縄文時代に稲作が始まっていたという説が有力です。最近では「2005年、岡山県彦 崎貝塚の縄文時代前期(約6000年前)の地層から稲のプラントオパールが見つかり、縄文中期には稲作(陸稲)をしていたとする学説が出た。それに加え、 極東アジアにおけるジャポニカ種の稲の遺伝分析において、朝鮮半島を含む満洲からジャポニカ種の遺伝子の一部が確認されないことなどの複数の論拠から、水 稲は大陸(中国南部以南)から直接伝来したとする学説(対馬暖流ルート・東南アジアから南方伝来ルート)が見直されている。」そうです。
紀元前3世紀ころには、稲作が広く伝播して、国家形成と相まって、人口増加が始まります。初代・神武天皇は九州から東征して、大和の地で即位したのですが、その過程で瀬戸内海の各地に長期間留まり、農業や漁業などを教えながら、移動したと言い伝えられているそうです。日本語には、稲作と関連した語源を持つ言葉も多いことですし、稲作は日本文化の根底をなすものであることは確かでしょう。
伊勢神宮(内宮)
古来より我国は神の国です。
日本に昔からあった先祖まつり、春分と秋分の日を、中日とした七日間を彼岸といいます。
日本人にとって、「死ぬ」ということは、仏教で説いているように、十万億土 (おくど)のかなたに消え去っていくということではなく、死後人はやがて祖霊(それい)となり、さらに祖先神(そせんしん)へと昂(たかま)っていき、こ の世の子孫の生活を見守っていて下さると考えてきました。
多くの方々がお墓に詣で、ご先祖さまに感謝され、弔(とむら)われたことでしょう。
お墓参りは、ご家族みんなで出かけましょう。お墓は家族全員でお守りしていくべきものです。両親がご先祖様を祀る姿は後の世代に受け継がれてゆくことでしょう。
「祖先の神があってこそ生まれ出た自分、その自分もやがては祖先の神のもとへと帰っていくのだ。」というのが、日本人の昔からの考えかたです。
9月23日宮城(皇居)では秋季皇霊祭・秋季神殿祭でした。
畏くも天皇陛下、皇后陛下、皇族方におかせられましては、皇室の祖先、天神地祇(てんじんちぎ)の神々に祈り遊ばされました。
天神地祇(てんじんちぎ)とは、すべての神々の総称です。
天神地祇は二つのグループに分類されます。
皇祖、天照大御神 (あまてらすおおみかみ) の命をうけて、高天原から地上に降りたとされる(天孫降臨)瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と天降った神々の総称を、天神(あまつかみ)、地祇は初めから葦原 中国(あしはらなかつくに)に誕生した神々の総称を地祇といいますが、高天原から天降った素戔男尊(すさのおみこと)の子孫である大国主神(おおくにぬし のかみ)などは国津神とされています。すなわち皇室は国のすべての神々を祭祀されておられるのです。
出雲大社
我国の神々は、、『古事記』(こじき)や『日本書紀』(にほんしょき)に記載され、神社におまつりされている神々だけが、その全てではありません。
八百万(やおよろず)の神々がいらっしゃるといわれます。八百万とは、数え切れない程たくさんという意味です。八百八で「やおよろず」と読みます。
水の都大阪は、八百八橋、東京のことを、花の大江戸八百八町と呼びますが、これらも実際の橋の数、町の数ではなく、それだけ多いことを意味します。
四季の移りかわりに敏感に反応しながら生活のいとなみを続けてきた私たちの祖先は、農耕民族として太陽や雨などをはじめ、自然の恵みは、何よりも大切にしました。
自然界に起こる様々な現象、天変地異、それを神さまの仕業として畏(おそ)れ敬(うやま)ったことに信仰の始まりがあります。そして自然をつかさどる神々は、私たちの生活のすべてに関わる神として、人々に崇(あが)められるようになったのです。
例えば、山の神は、生産をつかさどる神です。それもありとある全てのものをつかさどっているといえます。なぜな ら猪、鹿などの獲物や山の樹木、銅や鉄、田を潤す水に至るまで、山からもたらされるものは全て山の神のお陰だと祖先は信じ、崇めてきました。狩猟や林業、 炭焼きなど山仕事をする人々にとっては、大切な生活の糧(かて)を与えてくれる神として厚く信仰されています。また、田の神と山の神は同じ神さまだともい われ、山の神は春になると人里に降りて田の神となり、稲を守り豊穣(ほうじょう)をもたらし、秋に収穫が終わると山に帰ると信じられています。
山におられた田の神さまが 春が訪れあたたかになる頃になると山から里の降りてきて桜の木のてっぺんにお座りになられます。
そして・・・「さぁ~~里の民たちよ 稲作の準備をするのじゃ」 と民たちに
お知らせするために桜を咲かせられるとも言われています。
さくら の 「さ」は 稲 「くら」 は 神座(かみくら)のくら で神さまがお座りになるところで、「さくら」 は田の神さまが宿る木と言われ、日本人が太古より桜を愛でた淵源とも言われています。
日本三大桜の一つ山高神代桜、推定樹齢は1,800年とも2,000年とも言われ、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の折に植えたと言われています。(山梨県北杜市武川町山高)
日本の農村において桜というものは、農事暦(カレンダー)の役割を果たしてきた。花芽が出る頃、花が咲く頃、花が散りはじめる頃、葉桜となる頃、それぞれに稲作作業の工程と結び付いているのです。
春先、桜の枝に花芽が見えると、田んぼを掘り起こし水が張られる。そこが苗床(なえどこ)となり、種籾(たねもみ)が蒔かれ、稲の苗が生育するのである。やがて種まき桜が開花し、花が散り始める頃、田植えが行われ、秋口まで続く稲作がはじまるのです。
春先、桜の枝に花芽が見えると、田んぼを掘り起こし水が張られる。そこが苗床(なえどこ)となり、種籾(たねもみ)が蒔かれ、稲の苗が生育するのである。やがて種まき桜が開花し、花が散り始める頃、田植えが行われ、秋口まで続く稲作がはじまるのです。
五穀とは、古事記のおいては、稲・麦・粟・大豆・小豆をいい、日本書紀においては、稲・麦・粟・稗・豆をいいます。
それらが豊かにみのることを五穀豊穣といいます。
地方によって収穫の時期は違いますが、神々に五穀豊穣を祈るまつりがあり、五穀豊穣を神々に感謝するまつりが秋まつりの淵源です。
地方によって収穫の時期は違いますが、神々に五穀豊穣を祈るまつりがあり、五穀豊穣を神々に感謝するまつりが秋まつりの淵源です。
「秋祭り」は、「収穫祭」を意味しています。春から稲の成長を見守って下さった田の神に、苦労をねぎらい感謝を捧げるお祭りをします。
古来より「豊葦原瑞穂國」と称された我が国は、稲をはじめ穀物が実り豊かに実る国として遠く神話の昔よりお米で以って文化・伝統を育んでまいりました。
10月17日に宮中および伊勢神宮で行われる。五穀豊穣の感謝祭が、神嘗祭です。
神嘗祭(かんなめさい)とは天皇陛下がその年に収穫された新穀(しんこく)(初穂)を神宮に奉納され大御神(おおみかみ)さまの御神徳に感謝申し上げる重要なお祭りです。伊勢神宮の神職や伊勢の神領民はこの祭りが終わるまで新穀を口にしないといわれています。
11月23日にも、畏くも天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食しあそばされ、、国民のため、その年の収穫に感謝あそばされる。宮中三殿の近くにある神嘉殿にて執り行われるのが新嘗祭(にいなめさい)といいます。。
現在のような、お金の流通が主でなかった時代、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、大事な行事として皇極天皇の御代に始められたと伝えられています。
現在でも、稀であるが、新嘗祭まで新米を口にしない風習も残っています。
神宮のお祭りの本義は、天皇陛下が親しく天照大御神をお祭りされるところにあります。また畏くも今上陛下が宮城で自ら稲作をあそばされ、その年の初穂を天照大御神に奉納され、ご神徳を称え奉り、ご神恩に奉謝されるとともに、そして「国平らかに、民安かれ」と祈られます。
次回に続く・・・・・
転載元: 美しい国