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靖国神社(六)

2011年09月18日 23時34分25秒 | 無題

美しい国の前記事からの続きです。

 

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靖国神社
 
 
 
靖国神社(五)より続きます。
では、戦後日本は「極東軍事裁判」をどのように捉えていたのでしょうか?
 
戦後日本は、極東軍事裁判を戦勝国による日本への復讐と考える知性を持ち合わせていたのです。 
国会は、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」の審議(昭和二七年、第十五回国会・衆議院)を通して、「極東軍事裁判」の違法性を宣言しました。
戦争犯 罪による受刑者の釈放等に関する決議」は、講和発効後も収監されたままの戦争犯罪人を、早期に釈放されることを求めたものでした。この決議は、自由党・改 進党・左右両社会党・無所属倶楽部の賛成を得て、圧倒的多数で可決された(昭和二七年十二月)。なお、この決議に反対したのは、労農党・共産党だけだった のです。
 
以下にその決議文を記載します。
 
『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議』
  「独立後、すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
よって 衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の 内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受 刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。右決議する。」
 
この決議が、極東軍事裁判を否認する内容であることは、提案者のひとりである、山下春江代議士の趣旨説明演説から明らかであるので以下にその演説内容を抜粋します。
 
山下春江代議士(改進党)の演説
  「・・・ (戦犯裁判は)勝った者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命 以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸外国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者 に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、 ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。」
 
社会党の古屋貞夫議員も、同様に、極東軍事裁判の違法性を強く訴えている。以下にその演説内容を抜粋します。
  
  「戦 勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追求するということは、正義の立場から考えまして も、基本的人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。・・・世界の残虐な歴史の中に、最も 忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であって、われわれはこれを 忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦 犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。」
 
戦後日本は、戦争裁判で処刑された「戦犯」をどう扱ったか。
 日本政府・国会・国民は、処刑された「戦犯」は戦死と同じ公務死であり、国家に殉じたものと考えました。
このことは、「遺族援護法改正」の審議(昭和二八年七月)を見れば明らかである。
この「遺族援護法改正」は、占領中何らの補償も受けられなかった「戦犯」の遺族へ弔慰金などの支給を可能とするものだった。

 山下春江代議士(改進党)は、昭和二八年七月二一日、衆議院厚生委員会次のように述べている。
  「戦 犯で処刑されました方々を公務死にいたしたいというのは、大体国会における全部の意見のように考えるのでありますが、政府はそれを公務死に扱うことは、い ろいろ国際関係その他の情勢を勘案して、ただちに行うことはどうかというような答弁をかつてなさったのでありますが、外務省はどういうお考えをお持ちにな りますか。・・・国民としては、当然すでになくなられた方には上も下もなく同一に国家のために公務で死没されたものと扱いたいのでありますが、そういうこ とに対する政府の見解をただしたいのであります。・・・」
  これに対し、広瀬節男外務省参事官の答弁は、
 
 「(戦 犯の刑死は公務死との考えに基づき)被処刑者の遺族の援護は、社会保障的見地から見ましてももっともなことだと思いますし、国際関係上から見ましても支障 ないものと認めまして、外務省としては何らこれに異議はございません。こういうことを省議決定いたしましたことをご報告申し上げます。」
  今日の社民党では考えられませんが、堤ツルヨ代議士(社会党)は、遺族援護法改正に賛成して、次のように述べている。
 
「(戦 争犯罪者として)早く殺されたために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社にさえも入れてもらえないというようなことを今日の 遺族は非常に嘆いておられます。・・・遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然だと思います。」
 
 
少なくとも、昭和二八年当時の社会党は、「戦犯も一般の戦没者と同じく扱われるべきであるという」国民感情と政治上の理性を持ち合わせていたのである。
 
 平成日本の政治家よ、昭和二八年の常識に戻れ、と言いたい
  今の日本は狂っています。
日本人の良識、日本国の政治家としての良心は何処へ行ったのか?
 
 
そして国挙げて、御國の為、命を捧げられた、靖国神社の英霊に誠の感謝を捧げるのです。
 
 

転載元 転載元: 美しい国


靖国神社(五)

2011年09月18日 22時48分09秒 | 無題

美しい国からの転載です。靖国参拝の問題は、わが国が自主独立の国であるかどうかという国の尊厳の問題でもあります。国家がその国のために亡くなった人をお祀りすること、これに対し、外国である中国や韓国が文句を言うことに対し、独立国としてのわが国が毅然とした態度を取っていれば、この問題は、何ら問題となることはなかったでしょう。

 

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靖国神社
 
 
靖 国神社に合祀されている人々の多くは、黒船来航より、大東亜戦争まで御国に命を捧げた人々であり、国家には戦死者を慰霊する責任と義務があります。国家護 持すべきであり、慰霊が国家の行事として行われるものであれば、その行事に国家の代表である内閣総理大臣が、その資格において参拝するのは、当然である。 また、閣僚の参拝も公務員としての義務であり、大臣という公的な立場による参拝が行われなければなりません。
戦後、首相による靖国神社参拝は、すべての首相ではありませんが、続けられてきました。終戦まもない昭和20年8月18日に、東久邇宮稔彦王(ひがしくにのみや・なるひこ・おう)首相が参拝したのを初めとして、昭和60年8月15日に中曽根康弘首相が公式参拝するまで、12人の歴代総理大臣が参拝しています。それ以後、首相の参拝が途絶え、平成8年7月29日に橋本龍太郎首相が参拝したのを除き、平成13年8月13日に小泉純一郎首相が参拝するまで、実質16年間参拝がされていませんでした。 
  
中曽根総理以前の首相は、何ら問題なく靖国神社参拝を行ってきた。歴代首相の靖国参拝回数は、以下のとおり。
第一期  首相の靖国神社公式参拝が、何ら障害なく行われた
 
 
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東久邇宮稔彦  一回(昭和二十年八月十八日)
 
 
 
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幣原喜重郎   二回(昭和二十年十月二三日、十一月二十日)
 
 

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吉田茂     五回(昭和二六年十月十八日、二七年十月十七日、二八年四月二三日・十月二四日、二九年四月二四日)
※占領下でも吉田首相は堂々と参拝した。
※吉田首相から田中首相にかけては、主として春秋の例祭に参拝した。
  
  
  
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岸信介     二回(昭和三十年四月二五日、三三年十月二一日)
 
 
 
 
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池田勇人    五回(任期四年四か月)
 
 
 
 
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佐藤栄作   十一回(任期七年八か月)
 
 
 
 
 
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田中角栄    五回(任期二年五か月)
 
第二期  首相の靖国神社参拝に障害はないが、私的参拝
 
 
 
 
 
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三木武夫    三回(任期二年)(私的参拝)

※三木首相は、私人としての参拝を表明したため、政治問題化した。
 
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福田赳夫    四回(任期二年)(私的参拝)

 
 
 
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大平正芳    三回(任期一年七か月)(私的参拝)

※いわゆる「A級戦犯」合祀の後も大平首相は参拝を続けた。

 

 

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鈴木善幸 八回(任期二年五か月)(六回は私的参拝、昭和五七年八月十五日・十月十八日の二回の参拝は、公人か私人か明言せず)

 


 第三期 首相の靖国神社参拝が、中韓両国の内政干渉により、中断に至る。

 
 
 
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中曽根康弘 十回 (昭和五七年十二月から昭和六十年八月、昭和六十年八月は公式参拝、一礼方式)

宮沢喜一 一回(平成四年) 但し、まぼろしの参拝。退任後の証言
 
 
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橋本龍太郎   一回(平成八年七月二九日)
※橋本首相は参拝したが、その日は自身の誕生日だった(公私不明)
 
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小泉純一郎   六回(平成十三年八月十三日)
 
 
 
昭和20年の東久邇宮稔彦王から昭和49年の田中角栄首相まではすべて、
首相としての公式参拝でした。
この四半世紀の間は、内外ともに何ら問題はありませんでした。
 
昭和50年 三木武夫首相は私的参拝を表明した。首相としてではなく
私人として参拝し、公用車も使用しなかった。
戦 後の「首相の靖国参拝」は、昭和四九年十月十九日の田中角栄首相の参拝までの二九年間、全て公式に行われました。この三木首相の私的参拝は、戦後ずっと行 われてきた「首相の靖国公式参拝」という先人の行為を否定し、戦没者を冒瀆するものといえよう。しかも、それまでの「首相の靖国参拝」が、あたかも「私的 参拝」であったかのような印象を、国民や反日マスコミに与えてしまった。
いずれにせよ、三木発言以降、福田・大平・鈴木の三総理は、わざわざ私的参拝とことわらなければならない羽目に陥ることとなった。
そのため、首相の参拝が憲法問題となり、公式か私的かの論議が紛糾したのです。以後、福田・大平・鈴木の各首相は、この点をあいまいにして参拝を続けたのです。本 件に決着をつけようと考えた中曽根康弘首相は、有識者による「閣僚の靖国神社の参拝問題に関する懇談会」(靖国懇談会)を設けました。靖国懇談会は、首相 の参拝は「合憲」との見解を答申した。中曽根首相はこの見解を受けて、昭和60年8月15日、首相としての資格で参拝した。三木首相以来10年間途絶えて いた公式参拝でしたが、神道色を排した、祭神に対しては非礼な参拝でした。
同 年9月20日、中国外務省が抗議した。靖国神社には「A級戦犯」が合祀されており、首相の参拝は「我が国人民の感情を傷つけた」といいがかりをつけてきま した。「A級戦犯」とされた日本人の合祀は昭和53年に済んでおり、以後まったく問題になっていませんでした。突如として中国の批判を受けた中曽根首相 は、以後の参拝を取りやめました。取りやめの理由は、中国政府内部の権力闘争に配慮したという。自国の戦没者の慰霊という重要な内政問題を、外国の内部事 情に配慮して決めるというのは、愚かであリ、独立国の首相としては失格であり、今日の政治の堕落は中曽根首相によって始まったといっても過言でありませ ん。
中 曽根首相以後、竹下・宇野・海部・宮澤・細川・羽田・村山各首相は、中曽根氏にならって参拝せず、中曽根氏は退任後、靖国神社に代わる慰霊施設の必要性を 述べたり、「A級戦犯」の分祀を働きかけたりするなどして、政界・世論を誤導しました。この戦後屈指の政治家の大きな汚点であり、国賊に値します。
中曽根氏の意を体していたのが、後藤田正晴元官房長官・金丸信元自民党副総裁らであり、野中広務元官房長官も同様の考えを明らかにしています。
 
昭和六十年十月二八日自民党幹事長金丸信氏は、「中国が問題にしているのは、東条英機らのA級戦犯が祀られているからだ。なぜ、A級戦犯が祀られているのか。」と、中国政府に迎合した発言しています。
 
昭和六十年十月三十日、自民党副総裁二階堂進氏は、駐日中国大使に
「率直に言って私も東條元首相らが合祀されていると知らなかった。中国国民の感情はよくわかる。私も個人的に反省している。」と述べた。
 
昭和六十年十二月四日桜内義男外相は、中国の呉学謙外相に、靖国神社へのA級戦犯合祀は、戦犯を認めたサンフランシスコ平和条約第十一条から見て問題がある。戦犯合祀が当時表立って行われていれば、平和条約第十一条を指摘する政治家がいて、合祀は行われていなかっただろう」と、救いようのない売国的発言を行いました。
 
しかも、中国の内政干渉を呼び込んだのは、いつもながら反日新聞と言われる朝日新聞でした。
朝日は、昭和六十年八月七日、中曽根首相の靖国公式参拝を「中国が厳しい視線で凝視している」と書きたてた。これに呼応して、中国の人民日報は、八月十日、靖国問題に批判的な日本国内の動きを報道したのです。
これに反日野党、社会党が昭 和六十年八月二六日、訪中した社会党田辺書記長の発言が、中国の対日非難に火をつけた。田辺書記長は、中曽根内閣が「軍事費の拡大・靖国への公式参拝・ス パイ防止法策定の画策」を行い、「軍事大国」を目指していると非難し、中国政府に迎合した発言を繰り返した。この田辺書記長の行動は、まさに外国の干渉を 誘致する売国行為と言わざるを得ません。政治家は、例え政敵であっても自国の政治家の悪口を、外国人に向かって言わないものです。田辺書記長も、かつて故 松村謙三氏が言ったように、中国の政治家に向かって「わたくしの前で、日本の政治家の悪口を言うことを決して許しません」というべきであった。反日政党の 反日政治家の暗躍、ここに極まりまっています。
 
その社会党の残党が多く在籍する、反日与党「民主党」の野田首相が、野党時代に「戦犯は存在しない」と国会で明言したことは、記憶に新しいところです。
 
投稿文字数に制限がありますので、靖国神社(六)に分割します。
 
 
     
 

転載元 転載元: 美しい国