美しい国の前記事からの続きです。
靖国神社
靖国神社(五)より続きます。
では、戦後日本は「極東軍事裁判」をどのように捉えていたのでしょうか?
戦後日本は、極東軍事裁判を戦勝国による日本への復讐と考える知性を持ち合わせていたのです。
国会は、「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」の審議(昭和二七年、第十五回国会・衆議院)を通して、「極東軍事裁判」の違法性を宣言しました。
戦争犯 罪による受刑者の釈放等に関する決議」は、講和発効後も収監されたままの戦争犯罪人を、早期に釈放されることを求めたものでした。この決議は、自由党・改 進党・左右両社会党・無所属倶楽部の賛成を得て、圧倒的多数で可決された(昭和二七年十二月)。なお、この決議に反対したのは、労農党・共産党だけだった のです。
以下にその決議文を記載します。
『戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議』
「独立後、すでに半歳、しかも戦争による受刑者として内外に拘禁中の者はなお相当の数に上り、国民の感情に堪え難いものがあり、国際友好の上より遺憾とするところである。
よって 衆議院は、国民の期待に副い家族縁者の悲願を察し、フイリツピンにおいて死刑の宣告を受けた者の助命、同国及びオーストラリア等海外において拘禁中の者の 内地送還について関係国の諒解を得るとともに、内地において拘禁中の者の赦免、減刑及び仮出獄の実施を促進するため、まずB級及びC級の戦争犯罪による受 刑者に関し政府の適切且つ急速な措置を要望する。右決議する。」
この決議が、極東軍事裁判を否認する内容であることは、提案者のひとりである、山下春江代議士の趣旨説明演説から明らかであるので以下にその演説内容を抜粋します。
山下春江代議士(改進党)の演説
「・・・ (戦犯裁判は)勝った者が負けた者をさばくという一方的な裁判として行われたのであります。戦犯裁判の従来の国際法の諸原則に反して、しかもフランス革命 以来人権保障の根本的要件であり、現在文明諸外国の基本的刑法原理である罪刑法定主義を無視いたしまして、犯罪を事後において規定し、その上、勝者が敗者 に対して一方的にこれを裁判したということは、たといそれが公正なる裁判であったといたしましても、それは文明の逆転であり、法律の権威を失墜せしめた、 ぬぐうべからざる文明の汚辱であると申さなければならないのであります。」
社会党の古屋貞夫議員も、同様に、極東軍事裁判の違法性を強く訴えている。以下にその演説内容を抜粋します。
「戦 勝国におきましても戦争に対する犯罪責任があるはずであります。しかるに、敗戦国にのみ戦争犯罪の責任を追求するということは、正義の立場から考えまして も、基本的人権尊重の立場から考えましても、公平な観点から考えましても、私は断じて承服できないところであります。・・・世界の残虐な歴史の中に、最も 忘れることのできない歴史の一ページを創造いたしましたものは、すなわち広島における、あるいは長崎における、あの残虐な行為であって、われわれはこれを 忘れることはできません。この世界人類の中で最も残虐であった広島、長崎の残虐行為をよそにして、これに比較するならば問題にならぬような理由をもって戦 犯を処分することは、断じてわが日本国民の承服しないところであります。われわれ全国民は、これらの人々の即時釈放を要求してやまないのでございます。」
戦後日本は、戦争裁判で処刑された「戦犯」をどう扱ったか。
日本政府・国会・国民は、処刑された「戦犯」は戦死と同じ公務死であり、国家に殉じたものと考えました。
このことは、「遺族援護法改正」の審議(昭和二八年七月)を見れば明らかである。
山下春江代議士(改進党)は、昭和二八年七月二一日、衆議院厚生委員会次のように述べている。
平成日本の政治家よ、昭和二八年の常識に戻れ、と言いたい
日本政府・国会・国民は、処刑された「戦犯」は戦死と同じ公務死であり、国家に殉じたものと考えました。
このことは、「遺族援護法改正」の審議(昭和二八年七月)を見れば明らかである。
この「遺族援護法改正」は、占領中何らの補償も受けられなかった「戦犯」の遺族へ弔慰金などの支給を可能とするものだった。
山下春江代議士(改進党)は、昭和二八年七月二一日、衆議院厚生委員会次のように述べている。
「戦 犯で処刑されました方々を公務死にいたしたいというのは、大体国会における全部の意見のように考えるのでありますが、政府はそれを公務死に扱うことは、い ろいろ国際関係その他の情勢を勘案して、ただちに行うことはどうかというような答弁をかつてなさったのでありますが、外務省はどういうお考えをお持ちにな りますか。・・・国民としては、当然すでになくなられた方には上も下もなく同一に国家のために公務で死没されたものと扱いたいのでありますが、そういうこ とに対する政府の見解をただしたいのであります。・・・」
これに対し、広瀬節男外務省参事官の答弁は、
「(戦 犯の刑死は公務死との考えに基づき)被処刑者の遺族の援護は、社会保障的見地から見ましてももっともなことだと思いますし、国際関係上から見ましても支障 ないものと認めまして、外務省としては何らこれに異議はございません。こういうことを省議決定いたしましたことをご報告申し上げます。」
今日の社民党では考えられませんが、堤ツルヨ代議士(社会党)は、遺族援護法改正に賛成して、次のように述べている。
「(戦 争犯罪者として)早く殺されたために、国家の補償を留守家族が受けられない。しかもその英霊は靖国神社にさえも入れてもらえないというようなことを今日の 遺族は非常に嘆いておられます。・・・遺族援護法の改正された中に、当然戦犯処刑、獄死された方々の遺族が扱われるのが当然だと思います。」
少なくとも、昭和二八年当時の社会党は、「戦犯も一般の戦没者と同じく扱われるべきであるという」国民感情と政治上の理性を持ち合わせていたのである。
今の日本は狂っています。
日本人の良識、日本国の政治家としての良心は何処へ行ったのか?
そして国挙げて、御國の為、命を捧げられた、靖国神社の英霊に誠の感謝を捧げるのです。
転載元: 美しい国