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靖国神社(七)

2011年09月19日 00時27分45秒 | 無題

美しい国からの転載です。今回の靖国神社の一連の記事によって、知っていたつもりでも、かなり知らない部分があったことが判りました。今回の記事も、社会党の当時の議員が、戦犯で処刑された方の遺族や本人を、名誉挽回するように尽力しているというくらいに、当時の国民は、かの極東裁判が茶番であり、戦勝国の見せしめの復讐裁判であることを認識して、戦犯として処刑された人、あるいはなお刑期を長くつとめる必要のあった人々に、深い同情の心を抱いていたということです。そんな当時の国民全体の気持ちを、現在では無視して、戦犯の分祀だとか、中国韓国への配慮だとか、言い出す人々が、いかに歴史を知らず、極東裁判史観に毒されているかが判ります。当時の日本人の悔しさ、戦犯を宣告された人々への同情、これらを忘れ去った日本人は、歴史から切り離された「根のない日本人」、日本という歴史ある国を忘れた「さまよえる日本人」と言ってもいい気がします。

 

 

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靖国神社 天皇陛下 勅使参向
 
 
「戦犯」とは戦争犯罪人の略称ですが、大東亜戦争後にアジア・太平洋の各地で開かれた軍事裁判は、戦犯をA項・B項・C項のさ3項に分けました。「A級戦犯」とは、ロンドン協定により開設された極東国際軍事裁判所条例の第五条(イ)項の、(イ)平和ニ対スル罪  に定義により決定された戦時の政治・外交・軍事指導者で、「侵略戦争」を計画・実行したとして起訴または有罪とされた者、「B級戦犯」とは、戦争犯罪類型B項(ロ)「通例の戦争犯罪」、非戦闘員や捕虜の虐待など戦時国際法に違反する行為を行ったとして起訴または有罪とされた者をいい、C項は(ハ)「人道に対する罪」とされました。
  
よく中国や韓国の若者たちが声高らかに、A級戦犯を非難しますが、殆どの人たちは、A・B・Cの定義を語れません。オウム返しのようにただ叫んでいるのみです。
しかも、韓国はB・C項については論じることさえしません。
彼らの国の国策を述べているのにすぎません。
B・C項の中には、統治下の朝鮮人148人・台湾人173人も含まれています。
朝鮮人戦犯148人のうち、軍人は3人。1人は洪思翊中将であり、2人は志願 兵だった。この他、通訳だった朝鮮人16人が中華民国の国民政府によって裁かれ、うち8人が死刑となった。残る129人全員が、捕虜収容所の監視員として 徴用され、タイ・ジャワ・マレーの捕虜収容所に配属された軍属でした。尚敵国の婦女子をはじめとする民間人を抑留したジャワ軍抑留所の監視にも朝鮮人軍属 があたったため、オランダ法廷で戦犯となり、朝鮮人については「日本の正規軍より凶暴だった」「体罰では、日本兵よりも彼ら(韓国人)を遥かに恐れた」 「日本人戦犯の責任を軽減するつもりはないが、占領地域で最も嫌われたのは日本国籍を持つ韓国人であった」などをはじめ、その凶暴性についての証言が数多 く出ている為に B・C項は非難できないのです 。
 
靖 国神社には、A・B・C項を問わず、軍事裁判によって処刑された1,068人の日本人が合祀されています。軍事裁判も裁判である以上、法に基づいて厳密に 行われなければならない。法といっても、一国の国内法ではなく、国家間で取り決めた国際法である。ところが、大東亜戦争後に行われた裁判は、日本が主権を 喪失していた時期に戦勝国が一方的に裁いたものであり、裁判では、ずさんな起訴・審理によって有罪ありきの決め付けがされ、日本人の生命が奪われた。日本 と連合国がまだ講和に至ってない状態で行われたので、国際法的には、まだ戦争状態が継続している最中の出来事である。それは、裁判の形式をとった戦争の延 長であり、日本人に対する復讐、敗者の見せしめだった。判事のひとり、パール博士はこの愚かな裁判を公然と非難しています。
「A級戦犯」の容疑者とされた日本人は28名。そのうち有罪判決を受けたのは、14人である。内訳は、軍人が9人、あとの5人は文民でした。14人のうちで処刑されたのは、東条英樹元首相等の7人。
広田元首相は、文民でありながら、処刑されました。、「侵略戦争」を「共同謀議」で計画したどころか、外交官時代から一貫して平和外交をねばり強く進めた人物であることは、誰もが知っていました。
しかし、広田元首相は、終始自己弁護をしませんでした。絞首刑の判決に対し、キーナン主席検事は「何という馬鹿げた判決か」裁いた側に疑念さえ感じていたほどです。処 刑された7人以外に、無期あるいは有期の禁固刑になった者が7人いる。その中に、東郷茂徳元外相がいます。東郷元外相は、東条内閣の外相として最後まで開 戦を避けようとした。また鈴木貫太郎内閣の外相となって終戦に向けて尽力した。それにもかかわらず禁固20年の刑とされ、獄中で病死されました。
勝者による、敗者への見せしめ以外にほかなりません。
後に1950年10月15日、ウェーキ島でのトルーマン大統領と会見した際、「東京裁判は誤りだった」と述べています。
極 東国際軍事裁判ではA級戦犯とされた7人の日本人が心なくも、絞首刑とされたが、これ以外にBC級戦犯とされた人々、1,061名が処刑された。BC級戦 犯裁判とは、特定地域で「通例の戦争犯罪」を行った者に対して、連合国各国が行った軍事裁判をいい、連合国は米、英、仏、豪、フィリピン、オランダ、中華 民国の7カ国が、49の法廷でこの裁判を実施しました。この他にソ連も裁判を行った。その実態は殆ど知られず、闇の中です。  
BC 級戦犯裁判のうち、日本国内では、唯一、アメリカが横浜地方裁判所を接収して行いました。これを、BC級横浜裁判といいます。事件総数は327件、起訴人 員は合計1,037名で、各地のBC級裁判の中でも最大規模であり、判決では112名ないし123名あるいは124名に絞首刑が言い渡され、うち51名の 絞首刑が執行されました。 
約千名の人々が、東京・横浜以外の法廷で裁かれ、処刑されたわけです。そのうちの多くは、外国でずさんな形で起訴され、弁護らしい弁護も受けられずに、戦勝国による見せしめ、復讐として処刑されました。
  
昭和60年に突如として始まった中国の批判によって、「A級戦犯」の合祀が問題にされるようになりました。「A級戦犯」を分祀すべきだという意見も出てきた。これはおかしな話であり、理解に苦しみます。「戦犯」とされた人々の合祀は、日本国民の願いの実現だったからです。
前節「靖国神社(六)」でも述べていますが、昭和27年4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効し、戦後6年8ヶ月に及ぶ異常に長い占領期間が終わりました。しかし、「戦犯」とされた日本人1,224名は、講和条約の第11条によって、引き続いて服役しなければならなかったのです。当時の日本国民は極東国際軍事裁判の不公平を見抜いていたのでしょうか、多くの 同情が集まり、同年7月から、その人々の早期釈放を求める一大国民運動が起こり、署名は大多数の国民の及び、最終的には約4千万人もの署名が集まりました。
前 節でも述べていますが、国民世論を背景にして、昭和28年8月から国会で、「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(遺族援護法)および「恩給法」の改正が重ねら れ、この時に中心となった一人が、右派社会党の堤ツルヨ衆議院議員でした。堤氏は、戦犯とされたうち服役中の人々の留守家族は保護されているのに、処刑ま たは獄死した者の遺族は国家の補償を受けられないという矛盾を指摘した。また「その英霊は靖国神社の中にさえも入れてもらえない」という遺族の嘆きを代弁 して訴えた。この主張が認められ、遺族援護法の改正が行われました。
当 時の国会は、「戦犯」とされた人々を国内法上での犯罪者とはみなさないことにし、大東亜戦争後の戦勝国による軍事裁判は、日本が主権を喪失していた時期に 一方的に裁いたものだからと捉え、「戦犯」とされた人々の遺族も一般戦没者の遺族と同様に扱うように法規を改正したのです。決定は全会一致でした。国民の 要望に応えるものだった。まさに国民の総意による改正だった。その結果、「戦犯」とされた人々の遺族にも遺族年金・弔意金・扶助料などが支給され、受刑者 本人に対する恩給も支給されるようになった。そこにはA級とB・C級の区別はなく、刑死者はすべて「法務死」と呼称したのです。戦争犯罪人ではなく、国の ために亡くなった殉難者として扱われたのである。これによって、「戦犯」とされた人々も、A・B・C級の区別なく、靖国神社に祀られることになった。
旧社会党及の残党が多く在籍する与党民主党、社民党の支持者は、よく知っておくべきである。貴方がたの尊敬する先輩が決めたことだと・・・
   
昭和34年に最初の合祀が行われ、まずBC級と呼ばれた殉難者の人々から合祀し「A級戦犯」とされた殉難者14人については、昭和53年秋季例大祭前日の霊璽奉安祭で合祀されました。
   
   
だから日本人は、靖国神社の英霊を戦犯などと呼んではならないのです。
   
昭和47年に 中国と「日中共同声明」を結び、その第6条に「内政に対する相互不干渉」を謳っています。「日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互 尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立することに合意する」と ある。日本の首相が靖国神社に参拝するかどうかは内政問題であり、中国の非難は「日中共同声明」違反に当たります。これもはっきり言っていかなければなり ません。
   
   
堂々とするべきです。
   
御国の為に、散華された多くの英霊の名誉の為にも、誇りある日本の精神を後世に伝える為にも・・・
   
   
   
   
   

転載元 転載元: 美しい国