小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

「放射能をうつしてやる」発言で辞任は大臣最短辞職記録4位、辞任杯ステークス次の辞任は誰だ

2011年09月11日 15時43分24秒 | 現代日本

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。 

こんなに問題発言や問題発覚が起こっているなど、すごいですね。

第2回、野田政権辞任杯ステークス には笑えましたね。
でも、結局民主党には、政権担当能力が極端に欠如している
ということではないでしょうか。

 

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1132244/img_1132244_35500689_0?20110911153002

 

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良識ある日本国民の皆様には、鉢呂吉雄経済産業相が辞任したのはご存知だと考えます。

「ほら、放射能」厳しい状況共有のため…鉢呂氏

東京電力福島第一原子力発電所周辺自治体を視察後の不適切な言動の
責任をとって辞任した鉢呂経済産業相は10日夜、
経産省で緊急記者会見を行い、「私の一連の発言で国民の皆様、
とりわけ福島県民の皆様に多大な不信の念を抱かせ、心からおわびしたい」
と謝罪した。  鉢呂経産相は、視察から帰京した8日夜、
防災服の袖を取材記者にこすりつけるしぐさをし、
「ほら、放射能」と発言したことについて、
「(被曝の)大変厳しい状況を共有していただくためだった」と釈明した。
(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110910-00000650-yom-pol

 

>東京電力福島第一原子力発電所周辺自治体を視察後の不適切な言動の責任をとって辞任した鉢呂経済産業相

鉢呂経済産業相は、福島を「死の町」と発言しただけでも、大臣どころか議員辞職すべきでしたが、9日間での大臣辞任は、松本龍復興担当相と並んで大臣最短辞職記録で、歴代4位の短命大臣として名を残しました。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1132244/img_1132244_35500689_1?20110911153002

 

大臣最短辞職記録 

長谷川峻 法務 竹下改造内閣 4日
リクルートからの献金がバレて辞任

中山成彬 国交 麻生内閣 5日 
「成田反対はゴネ得」「日本は単一民族」「日教組は癌」発言 ←← 正論!

遠藤武彦 農水 安倍改造内閣 8日 
国庫負担分約115万円の不正受給が発覚

松本龍 復興 菅第2次改造内閣 9日 
宮城県と岩手県を訪問し、「おまえらちゃんとやれぇ」「これオフレコだから書いた社は終わり」

鉢呂吉雄 経産 野田内閣 9日
「死の町」発言、記者の体に触れるような仕草をしながら「放射能をうつしてやる」 ←NEW!

 

>防災服の袖を取材記者にこすりつけるしぐさをし、「ほら、放射能」と発言したことについて、「(被曝の)大変厳しい状況を共有していただくためだった」と釈明した

鉢呂経産相は10日の辞任会見で、放射能発言について「定かな記憶がない」などと述べていましたが、福島原発事故での風評被害対策をすべき立場との自覚がないから、人間失格の不謹慎な発言をしたのです。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1132244/img_1132244_35500689_2?20110911153002

 

野田政権は、経産相の臨時代理に藤村官房長官を充てることを決めていますが、野田首相の外国人献金など、野田内閣の閣僚は問題児ばかりですから、鉢呂経産相の任命責任を取り、野田首相は衆院解散すべきです。

野田内閣 

・野田首相、外国人献金発覚 暴力団フロントとの癒着発覚
 
・3日、台風12号上陸。でも野田首相は散髪
 
・4日夜、ようやく対策本部を設置。死者・不明者100名超す
 
・仕分けで凍結したはずの公務員宿舎建設再開。
凍結解除したのは野田首相(当時は財務大臣) ・一川防衛相「(私は)素人だが、これが本当のシビリアンコントロール(文民統制)だ」 ・平岡法相 品川美容外科から献金発覚。外国人献金を「ほかの先進国と比べて、
日本はかなり厳しい」 ・民主党山口県第2区総支部(支部長:平岡法相)が9月3日(台風被害発生中)、
政治資金パーティー開催 ・山岡拉致問題担当相(国家公安委員長)、被害者家族の前で原稿棒読み ・タバコ700円で閣内不一致 ・細野原発相「日本全国で福島の痛みを分かち合うべきだ」 ・臨時国会やるが、ただし4日間だけ ・辻元清美、民主党に入党 ・野田首相、復興増税に意欲   ・平野国対委員長「内閣が不完全な状態では十分な答弁はできない」 ・山岡消費者担当相(国家公安委員長)マルチ商法から254万円献金 ・小宮山、行政処分の会社から献金発覚 ・山岡、マルチは「合法的にビジネスをやってる人。返還の必要なし」と認識 ・鉢呂、「福島は死の町」発言 ・違法献金追及をおそれて臨時国会4日だけと、国民からの批判 ・鉢呂、放射能をうつしてやる発言   ・藤本、辞任する必要はないと擁護 ・鉢呂、辞任←new

 

ネットでは、「第2回、野田政権辞任杯ステークス」で、次の大臣辞任は誰かと話題になっていますが、未曾有の国難に、こんなことが話題になる民主党政権が問題です。

掲示板より~

第2回、野田政権辞任杯ステークス 

出馬表 

1番 ダチョウウエシマ(野田) 
2番 ダレナンダオマエ(藤村) 
3番 タンクローリー(玄葉) 
4番 ガソプー(安住) 
5番 シッコウシナイデー(平岡)▲ 
6番 ジェンダークソババー(小宮山) 
7番 モナオウ(細野) 
8番 シロウトシビリアン(一川)△ 
9番 カクマルチ(山岡) ◎ 
10番 マジコンオンリーワン(レンホー) ▲ 
11番 クシャオジサン(自見) 
12番 ドウカツアオヤマ(平野) 
13番 ジャケットガサイン(鹿野) 
14番 キャバクラバクフ(川端) 
15番 オマエダレダオー(中川) 
16番 ザイムノツカイ(古川) 


第1回、優勝馬  ホウシャノウワケルデー(鉢呂)



鉢 呂経産相は、日教組の政治組織、「日本民主教育政治連盟」(日政連)の所属議員で、2010年に鉢呂が代表を務める「民主党北海道第4区総支部が、北海道 教職員組合から3年間に総額1200万円超の個人献金を受けたとして、政治資金収支報告書に記載している日付が虚偽だったことも発覚しています。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1132244/img_1132244_35500689_3?20110911153002

 

鉢 呂経産相は、民主党の「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」の所属議員で、在日韓国・朝鮮人など「永住外国人に地 方選挙権を付与する法案」を通常国会に提出して、実現させることを目的にしているので、売国議員は議員辞職すべきです。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1132244/img_1132244_35500689_4?20110911153002

 

鉢呂吉雄経済産業大臣は、防災服の袖を取材記者にこすりつけるしぐさをして「放射能をうつしてやる」発言での辞任は、大臣最短辞職記録4位として名を残しました。

野田首相は任命責任を取って衆院解散すべきですし、問題児ばかりの閣僚で、第2回、野田政権辞任杯ステークスで次の辞任は誰かと話題になる政権が問題です。

良識ある日本国民の皆様、野田政権についてご考慮下さい。

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転載元 転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘


原発はなくならない。安全である限り・・・ 英で支持増加「大事故なのに一人も死んでない」

2011年09月11日 14時48分21秒 | 現代日本

My favorite ~Osaka, Japan~からの転載です。イギリスでは福島原発の事故後の世論調査で、原発支持は増加しているそうです。理由は大きい事故にもかかわらず、一人も死者が出ていないことから、支持が増加したのだそうです。安全の信頼度が上がったということです。イギリス人の冷静な分析力には驚きですね。

またメディアもきちんと事実を冷静に伝えたということでしょう。日本の微量な放射線に過剰なほど恐怖心をいだいて、風評被害を増加させたり、反原発に誘導しているようなマスコミに比べると、正しい情報あるいは、いろんな情報をきちんと伝えているのでしょう。

日本のマスコミで、ホルミシス効果のことを一言でも伝えた局なんてないですからね。いや、たかじんの番組で言ってたことはあったかも知れません。とにかく、普通の番組で、閾値の話もそういう説があるという話も一切報道しません。風評被害に加担する報道のほうが圧倒的に多いです。

ところで、エネルギーを中国韓国から買取るという政策、あまりに国益を損なうことが露骨すぎではないでしょうか。以前東欧諸国が、ロシアに天然ガスを依存していて、ロシアに逆らったことで、ガスを止められて、真冬に凍えるよな思いをしたことをわすれたのでしょうか。ウクライナなどが結局ロシアよりに戻ったことも忘れたのでしょうか。現代の世に、エネルギーの供給を押さえられるというのは、死活問題です。尖閣諸島問題だって、もはや中国の言いなりにならざるを得なくなります。韓国も中国も反日政策のせいで、国民は日本を嫌いという人間が多いのです。韓国の若者に取材したら、北が攻めて来たらどうしますかという問に、日本と戦いますと答えた若者の動画が広く出回りましたが、あの調子なのに、一体何を考えているのか、外交にはじめから負けるための政策としか思えないです。まさに「美しい国」から転載した「反日日本人三」のそのままではないかという気がします。


 

福島事故後も原発支持増加 英、科学協会が世論調査「非常時こそ慌てずに行動するという精神」

 今年3月の福島第1原発事故後、英国民の原発に対する支持が事故前より増加していることが9日、英科学協会(本部ロンドン)の世論調査で分かった。
原発による利益は事故などのリスクを上回ると答えた人の割合は2005年の調査で32%、10年には38%になり、今回調査ではさらに41%に増えた。
 同協会は「非常時こそ慌てずに行動するという英国の精神が影響している」と分析、大規模な事故にもかかわらず死者が出ていないことが、支持増加をもたらした可能性も指摘している。
 調査は8月下旬、約2千人を対象に実施。過去に他の大学が行った調査データと比較、分析した。
 協会の発表によると、原発の増設に賛成する国民の割合は05年の9%から今回は23%に増加。福島事故をきっかけに脱原発を表明したドイツの政策は過剰反応か否かという問いには、51%が過剰反応であり同意しないと答えた。(共同)
 
ドイツに比べてイギリスはまともだね。
 
そもそも「誰も死んでないんだから、安全なのは間違いない。
 
 
 
 
 
それよりもエネルギー政策を買い取り法案かなんかで
 
反日国家に依存する事の方が
 
より多くの死人が出る可能性が高い。
 
 
 
 
みんな歴史を忘れたのかね?
 
歴史に学んでいないのはバカ左翼ばかり也。
 
 
 
 
 
今現在、日本はかつて多数の死傷者・惨害を出した、
 
第二次世界大戦と同じ轍を踏もうとしている。
  
  
  
  
  
日本は石油・鉄鋼の輸入を止められて戦争に突入した。
 
エネルギーはその国の命である。
 
 
 
それを他国、しかも世界で一番日本が嫌いな国に依存しようとするなんて
 
戦争をまたやりたいとしか考えられない。
 
 
 
戦争をやりたい方々は、どうぞ脱原発を唱えなさい。
 
私は戦争なんてしたくないんで、「ファイト~原発!」
  
  
ということで、まずは「原発維持路線」でいきます。
 
 
 
核兵器と原発が似てるのは、まずその「廃止」に関しては
 
一つの理由が達成されない限りムリだということだ。
 
 
 
核兵器よりも安価で破壊力のある兵器が開発されれば核兵器は無くなる。
 
原発よりも安価でエネルギー発生効率が優る物が開発されれば原発は無くなる。
 
 
 
 
 
 
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転載元 転載元: My favorite ~Osaka, Japan~

 

 


反日日本人(三)

2011年09月11日 13時00分34秒 | 無題

美しい国からの転載です。社会党(社民党)、日教組が北朝鮮を非常に美化して賛美する姿勢のおぞましさは、この記事のとおりです。日教組の声明文にも、北朝鮮の主体思想こそが理想だとか書いてあった記憶がありますし、よく北朝鮮に幹部研修に行っていたという話です。そんな日教組のドンが輿石氏であり、民主党の幹事長なのです。

さらには北から指令が来ている団体「市民の党」と民主党の議員の多くが関係があってその団体からの人間を秘書として使っているという話だし、それによって重要な機密も北朝鮮に筒抜けだという話です。菅や鳩山がその団体に多額の寄付をしていたり、あるいは在日朝鮮人から菅や前原、果ては野田総理までも献金を受けていたのですから、民主党という党がどんな党だか、察しがつくというものです。

朝鮮戦争の時に、北朝鮮はもちろん、そのバックにいたソ連、中共も、日本への侵攻 こそが目的であったと言う話であり、その宣言文もまさに日本へ向けたものだったそうです。アメリカはこの時に始めて、ソ連にはめられたことに気づいたそう です。アメリカの素早い対応が無かったら、日本は外から攻めこまれ、それに呼応する内からの勢力で赤化されていた可能性があります。アメリカは、ヤルタ会談からの一連の流れに、共産主義の策謀があったことに気づいたようで、慌てて対日政策を変更し、日本を独立させましたが、すでに占領政策に よって、日本は腑抜けになっていました。

そして日教組教育は、左翼学生を大量生産しました。こんな若者を見て、日本の招来を憂えて三島由紀夫が自刃せずにはお れなかったのも、無理も無い気がします。若者を見ればその国の将来が判ると言われるのに、この有様では戦慄せずにはおれなかったでしょう。このときの左翼学生が遂に 民主党として国政を牛耳る様になったと思うと、恐ろしい話です。



 

 
 
 
 
反日日本人(一)では、GHQの占領協力者について、(二)では共産主義者について述べましたが、今回は社会主義者について述べたいとおもいます。
 
鳩山元首相・菅前首相による「民主党」の旗揚げに際し、社会民主党は分党方式で参加しました。社会民主党の前身は日本社会党であり、昭和30年の結党以来一貫して日本の左翼の最大多数派を占めた社会主義者の政党であったことを忘れてはならないと思います。
社会主義者・共産主義者でも、愛国的で自国の国益を大切に考えるならば何ら問題はありません。しかし、旧社会党及びその支持者の多くは自国の立場を見失い、国民を誤った方向へと導きました。
旧社会党 左派(社会主義協会派)は、自身をマルクス=レーニン主義者と称し、議会制社会民主主義者としては他国にみないほど戦闘的な特性を持っています。70年安 保のときには、総選挙によって議会での多数を獲得しようとするとともに、記載しています動画にあるように、議会外では社青同という武闘組織をもって大衆的 な革命運動を起こし、日本を社会主義化しようとしました。
社 会主義の理論的支柱である向坂逸郎氏は、(月刊『諸君』昭和52年7月号)で、「ソ連人の教養というのは、日本とはくらべものにならない。はるかに高いで す。自由もね、日本とはくらべものにならない。自由です。思想の自由も、日本とはくらべものにならないくらいある。それは全然ちがいます」と述べていま す。
はたして、ソ連という国家は、自由と教養の国だったでしょうか?ソ連崩壊を目のあたりにしてきた私たちは当然、向坂逸郎氏の論を否定しますよね。
こ ういう人物が旧社会党の顧問をして、実に危険な活動へと誘導していたのです。社会党は、ソ連から指導を受け、多額の活動資金を受けていたからです。これは ソ連からの亡命将校レフチェンコによって暴露されたことです。レフチェンコは月刊『文芸春秋』平成5年6月号で、日本社会党はソ連から多額の資金援助を受 け、その綱領もKGBの影響下、指導下にあったと証言しました。これに対して、旧社会党から『文芸春秋』への抗議は全くありませんでした。そして、最近、 旧ソ連の資料が公開され、ソ連の旧日本社会党への資金援助が、事実として裏付けられました。
終戦間際に日ソ不可侵条約を破棄し、我国固有の領土を不法占拠している国に資金援助を受けたこと自体が、日本国民への裏切りであります。
旧社会党は、安保廃棄・自衛隊違憲・非武装中立を主張してきた政党です。それは単なる人道的な反戦平和主義ではなく、日本社会主義化の戦略に基づくものでした。今日の社民党も何ら変わってはいません。
人権、平和、護憲の美名を語る、邪悪な革命者にしか過ぎないのです。
 
その戦略は、
日米安保の廃棄→米軍の撤兵→自衛隊の違憲・解体→ソ連軍の進駐
   →ソ連の衛星的社会主義国に・・・
 
 
事実、石橋政嗣元委員長は、「ソ連が侵攻してきたら、降伏したほうがよい」と「非武装中立論」で降伏の勧めを公言していました。
戦 後、日本を武装解除したGHQは、その後日本を再武装化しましたが、ここで日本再武装の必要性を力説した人物にマッカーサーの腹心・アイケルバーガー中将 がいます。・アイケルバーガー中将は、昭和23年7月に『リーダーズダイジェスト』誌代表に対し「ソ連のやり方は、日本人の”赤”連中に内乱を起こさせ、 自分たちを日本に引き入れさせる方法を取るはずだ。だから、米軍が日本から撤退すれば日本は赤化する」と主張していました。(児島襄著『日本占領』文春文庫)
今日の社民党、民主党が米軍を日本国内から追い出そうとしているのは、この理論です。
ま た現在、菅前首相の北朝鮮関連団体への献金問題の闇が、捜査されていますが、旧社会党は北朝鮮に対する異常なほどの思い入れを持ち、おぞましいほどにその 体制を理想化し、金日成を偉大な領袖と賛美していました。これは単なる国際親善・日朝国交正常化のためではありません。昭和40年代、日本が左翼革命運動 で騒然としていた時代には、ソ連軍とともに北朝鮮軍が、日本を侵攻する可能性があったのです。安保廃棄で米軍が日本から撤兵し、我国が丸腰となり、力のバ ランスが逆転したならば、日本国内の左翼と呼応して侵攻し、朝鮮と日本の社会主義化を実現するという筋書きです。これらのスパイ養成に多くの同胞が拉致さ れました。
北朝鮮には、朝鮮戦争において、米軍の削減で防衛が手薄になった韓国を突如侵略したという前例がありますから、当時の社会党がいかに恐るべき国際謀略に加担し、国家転覆を図っていたのかをお解りいただけましょう。
しかも、韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を求め、同胞の拉致事件に関わった北朝鮮スパイの辛光洙の釈放の要望書を日本社会党、公明党、社会民主連合、無所属の議員有志133名の署名とともに提出しています。
平和・護憲・人権を党是としてきた旧日本社会党には、日本の国益よりも、旧ソ連や北朝鮮の国家目標に協力・奉仕するという反日的な体質があり、その体質が現在の社民党にそのまま受け継がれ、さらに民主党にも流れ込み政権を担い総理すらその工作を行っています。
55年体制の終焉後、政治家の集合離散が繰り返されてきた。いくつもの新党が現れては消えた後に、反自民で寄り集まった最大の集団が、民主党です。民主党 に様々な政治団体が参入したのは、鳩山氏の「友愛」の理念をよしとして、結集したのではなく、政権奪取、冷戦の終結により、共産主義・社会主義が世界的に 大きく後退し、わが国では社会党が四分五裂して、左翼が弱体化した結果なのです。
民 主党は、巨大化の過程で、傘下に労働組合や各種の左翼団体を抱えるようになった。そして、こうした集団は組織的な集票力がある。それだけ、政党の指導層に 影響力を持つ。そのため、民主党は「第2社会党」的な政党に変わってきた。民主党という名称は、保守的・中道的な感じを与える。ソフトで明るくやさしい感 じを与える。その看板のもとに、旧社会党系の諸団体が鳩合し、巨大な政治勢力としてよみがえっているのである。
  今日、民主党の最大支持基盤は、労働組合です。最大の支持団体は連合(日本労働組合総連合会)であり、また日教組・解放同盟を支持団体に持ち、民主党 は在日外国人も党員になれる政党であり、在日韓国人による民団との関係も深く、朝鮮総連との繋がりも露呈しています。民主党の政策は、リベラルの政策を ベースにしながら、連合、日教組、解放同盟、在日コリアン・朝鮮総連その他団体等の主張・要望が混合されたものとなっており、東日本大震災の事よりも 朝鮮学校無償化、外国人参政権、などの政策に熱心なのはすべて体制転覆の為であります。
 21年9月、民主党は社民党・国民新党と連立を組み、鳩山内閣が成立した。しかし、その後一年と持たず鳩山内閣は崩壊、菅前内閣も一年少しで崩壊しました。
民主党は、日本を崩壊に導く危険性を持った政党です。その危険性が政権発足後、明らかになってきている。野田内閣の閣僚をみても、そう大きな変化もなく、もし民主党政権が長期化すると、わが国は後々回復が困難なほど深刻な打撃を受けるでしょう。
   
   
   
投稿文字数に制限がありますので、次回は進歩的文化人について述べたいと思います。
   
 


 

   

転載元 転載元: 美しい国


修身(12) 父と子

2011年09月11日 12時26分06秒 | 歴史

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。松陰先生の家庭の教育の凄さ、まさに信念を育てる教育だったのですね。それには親自身が率先して範を示すということの大切さが現れていますね。

 


イメージ 1
                                              (萩城)
  
父と子 
 
幕末のこと。 杉百合之助の家では、春秋の二回、日を決めて、
藩公毛利氏の先祖を祀ってあるやしろと、氏神様にお参りする習わしであった。
そうでなくても、百合之助は毎朝、家の誰よりも早く起き、
清水を汲んで祖先の御霊(みたま)に供え、西の方藩公のおられる萩城(はぎじょう)を拝し、
東に向かって、うやうやしく皇室のみさかえを祈ることにしていた。
 
ある年、その日の朝、あたりはまだ暗く静まり返っていた。
「梅太郎も、大次郎も、目が覚めたか」
声をかけると、どちらが先ともなしに、兄弟二人がすぐに答えた。
「はい、とっくに起きております」
「では、庭におりなさい」
春まだ浅く、肌にせまる暁の闇の冷たさ。
足元にくずれる霜柱の色は見えぬが、地は固く凍っている。
百合之助は、二人の男の子を連れて井戸端へ出た。
「いつもいうように、からだを洗い、心を清めるのだ。まず、私が先にやる」
くるくると着物を脱ぐと、つるべを取り、水を汲みあげて、冷たさもいとわず、ざぶりと頭から浴びた。
「すがすがしい気持ちだ。今度は、梅太郎、なさい」
「はい」
まだ明けやらぬ薄明かりの中に、汲みあげられる水は、氷のように白く光る。
しかし、梅太郎は元気よくかぶった。
「さあ、次は大次郎」
「はい」
満々と水を汲みいれたつるべは、幼い大次郎の腕には、かなりに重かったが、
それでも大次郎は、ゆっくりと慌てずに、ざぶりざぶりと上手に浴びた。
家の中では、あかのつかない、さっぱりした着物を取りそろえて、母が静かに待っていた。
「では、出かけるぞ。途中で人におうても、言葉を交わしてはならない」
父百合之助の声は、いつもと違って、厳しさを含んでいた。
この宮まいりの朝だけは、心をけがすことのないよう、家の外へ足を踏み出したら、
決して人と口をきかぬと父と子は、かねてから固く約束してあったのである。
 
この日、無事にお参りを済まして、家に帰ってからのことであった。
「梅太郎は、何を祈った」と、父がたずねた。
「はい、皇室のみさかえを祈り、殿様の御無事を願いました」
「うむ。なるほど。では、大次郎は」
「私も、第一に皇室のみさかえを祈りました。それから、自分が本当の日本国民になることをお誓いいたしました」
「本当の日本国民とは、どういうことか」
「臣民として道を守り、命を捧げて陛下の御ために尽くすのが、本当に日本国民だと、玉木のおじ様が教えてくださいました」
「うむ、それを神様にお誓いしたのか」
百合之助は、我が子ながら大次郎は、あっぱれな魂の持主だと心ひそかに感じ入った。
大次郎とは、だれあろう。のちに寅次郎と名を改め、
おじ吉田大助の家を継いで、吉田松陰先生とあがめられるようになったその人である。
(第五期(昭和十六年)初等科修身四より)
 
 
 
 
イメージ 2
            「至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり」松陰直筆の書。
             (写真)高杉晋作、吉田松陰、久坂玄瑞の像(萩往還公園)
 
 
 
<画像:「吉田松陰.comより>
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転載元 転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


修身(11) 公益(栗田定之丞)

2011年09月11日 12時02分34秒 | 無題

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。日本の歴史には、人々の暮らしを楽にするために、私財をなげうっていろんな施設を作り上げ、時には人々から罵られながらも、信念を貫いて、工夫研究して遂に目的を達成して、人々から神のようにありがたがられて、没後は神社にまつられるような偉人が、時々生れます。

このような公に尽くす精神を持った先人たちを、昔は修身という授業で、子供たちに教えていました。こうした先人の生き方は人の心を打ち、子供たちもこのような立派な人になりたいと思うものです。人間というのは、誰でも高貴な心をもっているのです。その心を発掘した人が偉大な人間となるのだと思います。そして、その心を発掘するには、やはり高貴な心を持った人間に接した時に、自分の中に埋もれていた心が目覚めるのだと思います。人の生き方は、その高貴なこころが目覚めるか目覚めないかの違いです。

ウグイスの鳴き声を競う趣味が流行った時代には、ウグイスをいい声でなくように育てるのは、いい声で鳴く先輩ウグイスのそばに連れていって、その声を聴かせることでした。いい声を聞けば、いい声でなくようになるのです。いいものを見ると、いいものが判るようになるのです。

日本教育から修身がなくなり、先人は忘れ去られるようになりました。それは先人の恩を忘れることでもあり、同時に偉大で高貴な心に接する機会を奪うことでもあったのです。まさにアメリカ占領軍の日本弱体化政策は、大成功です。

 

 

 

イメージ 1
          (飛砂に埋もれた家)

 

 
栗田定之丞 
 
日本海方面の海岸では、秋の末から春先にかけて、海から烈(はげ)しい風がよく吹きます。 
そのために、砂の多い海岸では、広い広い砂山が出来ている所もあります。 
今の秋田県の海べの村々では、その風がことに烈しく、吹寄せた砂のために、
昔は家も田畑もうずめられ、くらしの立たなくなる家も、たくさんありました。
 
ある年、栗田定之丞という人が、その地方の砂留役となりました。
定之丞は、先ず村々を見て廻りましたが、海べは、見とおしもきかない程の広い砂山でした。
「これだけの砂をどうして防ぐことが出来よう」とただ驚きあきれるばかりでした。
けれども又、これから後、この砂山が田畑をうずめ、百年も二百年も、
村々が苦しめられどおしに苦しめられることを思うと、じっとしてはいられない気がしました。
「よし、戦場に出たつもりで根(こん)限り風や砂と戦ってみよう。」とかたく決心をしたのでした。
 
そこで、これまで砂留に骨折った年よりを呼んで、いろいろ話をきき、
ここに先ずぐみややなぎなどを植え、いくらか砂がしまったところで、
松の苗木を植えることにしました。
そうして又季節を考え、植え方にくふうをして、寒中、それもなるべく風の吹く日をえらんで、
人々を呼集めて仕事をさせました。
風の吹く日には、砂の吹寄せられる方向がよくわかりますから、
風上の方に、かやのたばなどで風よけをして砂を防ぎ、
そのかげに、最初はぐみややなぎの枝をささせましたら、皆芽をふくようになりました。
そこで、さらに松の苗木を植えさせました。定之丞は、此の方法で仕事を進めて行きました。
 
ところが、人々は、風の吹く寒い日に働くのがつらいのと、
うまく松林になるかどうかということが心配なのとで、なかなか定之丞のいうことをききません。
定之丞は、子供をさとすようにやさしく道理を言いきかせ、その上自分から先に立って働きました。
朝は、夜の明けないうちから仕事場につめかけ、
夜は、人々を帰らせた後まで居残って明日の仕事のくふうをしました。
時には、冷たい砂の上にふして、風の当りぐあいをたしかめたこともあります。
やがて村の人々も定之丞の熱心に動かされて、仕事がはかどり、
たくさんの苗木を植込むことが出来ました。
それが次第に大きくなって、ついに立派な松林になりました。
 
定之丞は二十余年の間、引続き方々で、砂留の事に骨を折りました。
そのために、風や砂の心配がなくなって、麦・粟などの畑もところどころに開け、
又しょうろや、はつたけも生えるようになりました。
この地方の人々はその恩をありがたく思い、定之丞のために栗田神社という社を建てて、
今日まで年々のお祭をいたします。
 
社は今の秋田市の町はずれにあります。
そこから見渡す海べには、定之丞が三百万本を植込んだという松原が続いて、
青々とした美しい色をたたえています。
(第四期(昭和九年)・巻四より)
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江戸時代の秋田藩は米や木材や金銀などに恵まれて農民の生活を潤していた。
しかし日本海側は季節風が砂を運んで、田畑を埋めてしまう被害が耐えなかった。
佐竹家の家中であった栗田定之丞は、
「植林砂防を思いついたが、どのようにして森林をつくるか」と、砂留役という職名にしてもらった。
その半生を砂防植林に注いだが、定之丞のすることに藩も農民も冷淡だった。
「砂を留めて林にすれば薪にもなるし、堆肥にも役立つ。
なによりも命の種の田畑が砂にうずめられなくてすむ」
そこで定之丞はひとり私費を投じて、砂に強いグミやヤナギを自分で植えた。
一冬が過ぎ現場に戻ってくると、植えた物はすべて砂に埋没しているか枯死していた。
砂は、飛び、走り、何もかも呑み込んでいく。
飛砂の現象を把握するために、寒中にムシロをかぶって砂丘で寝ることもあった。
海岸を巡視していた定之丞は、砂の中にわずかな緑の葉がを見つける。
それは彼が植えた一株のグミであった。その周囲には波に打ち上げられた枯木一本に、
古ゾウリが1つ引っかかっていた。古ゾウリが飛砂を防ぎ根付くことが出来たと知る。
それからグミやネムの木を植え、次の段階で黒松の植林に成功を収め「衝立工の技術」が体系化された。
農民たちは定之丞の物狂いを当初いやがり、「火の病(やまい)つきて死ねよ」と罵ったという。
定之丞は「耳にも懸(か)」けなかったという。
純粋な狂気というべきものが、麗しき「風の松原」と豊かな田畑を与えた。
村人たちもその熱意にうたれ全村をあげて協力して、
植栽されたクロマツは300万株に及び成功をみるに至った。
日本海に沿って14キロメートルも続く「風の松原」の基である。
それは定之丞の没後の天保3年に完成した。
(司馬遼太郎著「街道をゆく29」)
 

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        (風の松原)


  
 

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         (栗田定之丞)


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転載元 転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」