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ベルナール・ミロー氏の神風特攻隊への所感

2012年03月17日 16時52分39秒 | 歴史

外国人から見た神風からの転載です。

このサイトは以前にもアンドレ・マルローの言葉を載せていたのを転載しましたが、とても参考になるので、もっと見てみたいと思い訪問しましたら、アンドレ・マルローと同じくフランス人の著書が紹介されており、やはりマルローとよく似たことを言っていました。フランス人というのは、非常に繊細な芸術感覚を持つと言われるだけあって、日本人の感性というものを理解しやすいのだろうかと思ったりします。非常に深く神風特攻隊のことを研究していて、今の日本人よりもよほど、特攻隊の若者の心情を理解していると思いました。

日本人が日本人のことを知らない、理解しないということは悲しい事です。日本らしさを知らない日本人、しかし本当は自らのうちに必ずあるはずなのに、それを気づかないでいる日本人が悲しいですね。

東日本大震災で、思わず発露した日本人の本姓が、日本人としてのあり方を問い直すきっかけになってほしいものです。


 

著作「神風」ベルナールミロー


 

 特攻に関する著作のうち、外国人によるものもいくらか見受けられる。私は二冊、訳されたものを読んでみた。両方とも実によく研究されている。
 
このベルナール・ミロー氏の著作は日本人が特攻にまで至ったこと を表層のみではなく、日本の歴史を深く研究し、日本人でさえ気づかないところにまで掘り下げて特攻を研究している。その一部をここに引用する。残念ながら このベルナール・ミロー氏の「神風」は絶版となっており、図書館で借りるか、古本屋で探すしかない状況だ。ちなみに私の場合、神田の古本屋に注文して約半 年後に入手することができた。


●ベルナール・ミロー略歴(「神風」より引用)
 1929年パ リに生まれる。ジャーナリスト。第二次世界大戦に関する記事には定評がある。20歳のとき太平洋戦争に関する極めて重要な資料を収集。「太平洋戦争」のタ イトルで上梓された二巻(「日本の進撃」「アメリカの逆襲」共にロベール・ラフォン刊)は、太平洋地域の戦闘に関する権威となっている。

●緒言
 「緒言」 (2001/4/29写真追加)においてこの著書の目的が明確にあらわされている。すなわち、日本人の伝統的思考の作用を理解し、日本軍の精神的世襲財産 と戦術的自殺攻撃(特攻)のつながりを明らかにしていくということである。簡単に言えば、日本人は伝統的にどのような思考を行っていたのか、そこからどの ように特攻へと至っていったのかを明らかにするということである。しかも、西欧人の偏見を避け、できるだけ客観的にと述べている。

●「驚くべき日本」
 第1章「驚くべき日本」
の「自己犠牲を勇気づけるもの」という最初の項目で「特攻」の本質的な特徴に触れている。すなわち、日本人の行った特攻の本質的な特徴は
 
「単に多数の敵を自分同様の死にひきずりこもうとして、生きた人間が一種の人間爆弾と化して敵にとびかかるという、その行為にあるのではない。その真の特徴はこの行動を成就するために、決行に先んじて数日前、ときとしては数週間、数ヶ月も前から、あらかじめその決心がなされていたという点にある。そ してこの特殊な点こそが、我々西欧人にとっては最も受け容れがたい点である。それは我々の生活信条、道徳、思想といったものとまさに正反対で、真向から対 立してしまうことだからである。我々の世界には、いまだかつてこれと同様のことも似たようなことも事実としてあったためしをきかない。あらかじめ熟慮され ていた計画的な死--くり返していうが、これは決して行為ではない--、そうしたものの美学が我々を感動させることはあっても、我々の精神にとってはその ようなことは思いもつかぬことであり、絶対にあり得ないことである。」(「神風」より引用)であると述べている。そして、本書の目的を着実に著している。

●「遺書」
 
第9章(最終章)の「遺書」の項にて次のように述べている。
 
「た だ著者はもうひとつだけ、大変重要なことをこれにつけ加えておきたいと思う。それは戦後かなりの広範囲に行われたアンケートによってこれら特攻に散華した 若者たちの人となりに、新たな光をあてることになったある事実である。特攻隊員に関して真実を知りたいと願う有志の手で、多くの調査報告がなされている。
  これらの調査のほとんど全部が一致して報告していることは、特攻に散った若者の圧倒的な大多数のものが、各自の家庭にあっては最も良き息子であったという ことの発見である。きわめて稀な少数の例外を除いて、彼らのほとんどは最も愛情深く、高い教育を受け、すれてもひねくれてもいず、生活態度の清潔な青年た ちであった。そして両親に最も満足を与えていた存在だったのである。」

さらに、西欧における特攻についての偏見に対し次のように述べている。

  「このようにすぐれた息子たちであっただけに、そのような者が特攻に散華したことは遺族たちの悲嘆と痛惜をいっそう深めたのであったが、またアンケートの 結果判明したこのような事実は、我々西欧社会のあいだにあまりにも普及して通説になってしまっている観念、すなわち彼らが人間らしい感情をもち合わせず、 人間の尊厳について無感動な、いまわしい集団心理に踊らされた動物だったという見方に、真向から痛撃を加えて、それがいかに甚しく誤っているかということ をいやおうなく悟らしめるのである。
  ほんのひとにぎりの狂燥的人間なら、世界のどの国にだってかならず存在する。彼ら日本の特攻隊員たちはまったくその反対で、冷静で、正常な意識をもち、意欲的で、かつ明晰な人柄の人間だったのである。

  多くの特攻隊員たちの書き残したものや、彼らを知る人々の談話の中からうかがい知られる勇気を秘めたおだやかさや理性をともなった決意というものもまた、 彼らの行為が激情や憤怒の発作であったとする意見を粉砕するに十分である。彼らから憤怒のえじきになり、激情の発作にかられた人間を想像することは不可能 である。数日、いやときには数週間というもののあいだ、ずっと憤怒の発作にかられつづけている人間など、この世に実在しはしない。」

ここでいう西欧人は、今現在の日本人にも当てはまると私には感じられる。

●「彼らの教えたもの」 
 第9章の「彼らの教えたもの」
では著者はこのように述べるにまでいたっている。
  「この日本と日本人がアメリカのプラグマティズムと正面衝突をし、そして戦争末期 の数ヶ月間にアメリカの圧倒的な物量と技術的優位の前に、決定的な優勢を敵に許してしまったとき、日本人は対抗手段を過去からひき出してきた。すなわち伝 統的な国家への殉死、肉弾攻撃法である。
  このことをしも、我々西欧人はわらったり、あわれんだりしていいものであろうか。むしろそれは偉大な純粋性の発露ではなかろうか。日本国民はそれをあえて 実行したことによって、人生の真の意義、その重大な意義を人間の偉大さに帰納することのできた、世界で最後の国民となったと著者は考える。
  たしかに我々西欧人は戦術的自殺行動などという観念を容認することができない。しかしまた、日本のこれら特攻志願者の人間に、無感動のままでいることも到 底できないのである。彼らを活気づけていた論理がどうあれ、彼らの勇気、決意、、自己犠牲には、感嘆を禁じ得ないし、また禁ずべきではない。彼らは人間と いうものがそのようであり得ることの可能なことを、はっきりと我々に示してくれているのである。」

そして最後において著者が最も述べたかったことを次のように記述している。

 「本書の目的は、そのような皮相的 な見方から一歩踏みこんで、西欧から見た神風に、新たな脚光を浴びせることであった。また著者の意図したところは、この日本の自殺攻撃が集団的発狂の興奮 の結果などでは断じてなく、国家的心理の論理的延長が到達した点であらわれた現象であり、戦局の重圧がそれをもたらしたものであることを明らかにすること にあった。
  著者は日本において2000年間眠りつづけてきたハスの実が、栽培されて開華したことを耳にしたことがある。その花に著者は神風の精神をなんとなくなぞらえてみたくなった。

  たしかに日本人の実行したこの突飛な飛躍はむなしい。結果としてのいたましい敗戦に、この行為はあまりにも不合理とも見えよう。そしてこの行為に散華した 若者たちの命は、あらゆる戦争におけると同様に無益であった。しかし、彼らの採った手段があまりにも過剰でかつ恐ろしいものだったにしても、これら日本の 英雄たちは、この世界に純粋性の偉大さというものにつて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れられて しまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。」

 


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