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パール博士の戦い、A級戦犯とはどんな罪?

2010年12月30日 01時58分38秒 | 歴史
 天皇誕生日の日は、かつて極東裁判でのA級戦犯の7名が処刑された日であると、先日の記事に書きましたが、ちょうどねずきちさんのブログにも極東裁判の記事が載っていました。
 そのなかに、くわしいA級戦犯の罪状を書いておられました。私はA級戦犯というのが、事後法で裁かれた事、平和に対する罪という罪状であることしか知らなかったので、これを読んで、ほんとにこれは、言いがかりのような罪だと感じました。このA級戦犯が靖国神社に祭ってあるというだけで、首相が参拝するたびに中国韓国から文句を言われ、国内でも反対意見が出て、靖国参拝が悪いことのように言われます。戦犯には、ABCという区別がありますが、これは罪の軽重ではなく、単なる罪状の区別をしめしているだけです。それなのに罪状の一番重いランクだと勘違いしている人もいます。当時戦争をするのは、別に罪ではありませんでした。しかも、日本は当時アメリカとの戦争を避けようと、我慢に我慢を重ねて、いろいろ譲歩しようとしていました。しかしハル・ノートを突きつけられたことで日本はアメリカには日本と交渉する意思がないと判断して、戦争を決断したのです。
以下に、ねずきちさんが書かれたA級戦犯の罪状を引用します


亡くなられた方と、その罪状は以下の通りです。
判決を一瞥しただけで、これが判決といえないシロモノであることは明白です。

■東條英機(陸軍、第四〇代内閣総理大臣)ハワイの軍港・真珠湾を攻撃、米国軍隊と一般人を殺害した罪。
(それなら原爆投下や都市部への無差別空襲は戦犯ではないの?)

■板垣征四郎(陸軍、陸相(第一次近衛内閣・平沼内閣、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀長)中国侵略・米国に対する平和の罪
(平和政権である汪兆銘政権をないがしろにし、毛沢東の八路軍と結託した蒋介石に武器弾薬を裏から与え、支那を戦乱の渦に叩き込んだ米国には罪はない?)

■木村兵太郎(陸軍、ビルマ方面軍司令官、陸軍次官(東條内閣))英国に対する戦争開始の罪
(戦場になったのは、英国ではなくビルマなど東亜諸国です。そこを侵略し支配下に置いていた英国を追い出したのは日本ですが?)

■土肥原賢二(陸軍、奉天特務機関長、第一二方面軍司令官)中国侵略の罪
(支那への日本軍の駐屯は、各国と足並みを揃えたいまでいうなら国連PKOのような形での駐屯です。それが侵略というなら、当時支那に派兵していたすべての国が罪となるはず)

■武藤章(陸軍、第一四方面軍参謀長(フィリピン))一部捕虜虐待の罪
(日本自体がたいへんな食糧不足な中で、ゴボウを糧食に出したことが、木の根のような粗末な食い物を出したという裁判は、誰がどう見ても異常なのでは?)

■松井石根(陸軍、中支那方面軍司令官)捕虜及び一般人に対する国際法違反
(実際の戦記を調べて見ると、松井大将ほどハーグ陸戦条約を遵守した大将は、世界に類例がないのでは?)

■広田弘毅(第三二代内閣総理大臣)近衛内閣外相として支那での残虐行為を止めなかった不作為の責任
(それなら日本人に対して戦前戦後になされた不条理は誰がどう裁くのか?)


この極東裁判が、勝者が敗者を裁くという、完全な茶番であり、復讐劇であることを、パール判事は、明確に指摘されて、この裁判の最大の犠牲は「法の真理」であるといわれました。そしてこののちも戦争は繰り返され、国際法は簡単に破られるだろう、しかし以後国際軍事裁判所が開かれることはないであろう。その責任はニュルンベルグと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない。と言われました。そしてそのとおりになりました。



以下国際派日本人養成講座からの転載です。


■1.東京裁判の最大の犠牲は「法の真理」■

 東京裁判で全被告無罪の判決を下したインドのラダビノート・パール博士が、昭和27年に日本側の招きで再来日された時の事である。羽田に降り立った博士は、待ちかまえた記者団に対し、開口一番、次のように言われた。

 この度の極東国際軍事裁判(東京裁判)の最大の犠牲は『法の真理』である。...勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろうはずはない。
 今後も世界に戦争は絶えることはないであろう。しかして、そのたびに国際法は弊履のごとく破られるだろう。だが、爾今、国際軍事裁判所は開かれることなく、世界は国際的無法社会に突入する。その責任はニュルンベルグと東京で開いた連合国の国際法を無視した復讐裁判の結果であることをわれわれは忘れてはならない。[1,p22]


 博士の予言は当たった。その後の朝鮮戦争、ベトナム戦争、中越戦争、湾岸戦争と、いずれも戦争裁判は開かれていない。朝鮮戦争での北朝鮮、中国、そして湾岸戦争でのイラクも、あからさまな侵略をしかけたのに、結局、侵略の罪も、戦争犯罪も問われずに終わっている。

■2.裁判を装った復讐■

 日本の敗戦後、1946年1月に国際軍事裁判所条例が作られ、その第5条に侵略戦争および、条約に違反する戦争を犯罪とすると規定され、過去の日本の戦争行為を裁くために適用された。

 その東京裁判の11ケ国の判事のうち、国際法で学位をとったのは、パール博士一人であった。博士は東京裁判終了後には、国際連合の国際法委員会委員長にもなっており、文字通り、法学者として国際的な権威であった。

 パール博士は、その判決書において、一国が他国に向かって武力行使する事を違法とする国際法は、いまだかつて成立したことも、適用されたこともない、と、国際関係の史実、国際法学者の発言を豊富に引用しながら、結論づける。

 勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる「裁判」を行うことは、敗戦者を即時に抹殺した昔とわれわれの時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである。かようにして定められた法律に照らして行われる裁判は、復讐の欲望を満たすために法律的手続きを踏んでいるようなふりをするものにほかならない。それはいやしくも正義の観念とは全然合致しないものである。[2,p268]

 東京裁判は勝者が戦争後に自ら法を作って、敗者を裁いたものであり、裁判の形を装った復讐に過ぎない。それは権力者の一存によって人間の生命を奪うものであって、「法の支配のもとでの自由と人権」を重んずる近代文明を抹殺する行為だというのである。

■3.近代法の原則を踏みにじった勝者の裁き■

 行為の後で、法律を作って裁くことは「事後法」と呼ばれ、自由と人権を重んじる近代法では許されないことである。

 たとえば、あなたが時速60キロの制限速度を守って運転している所を、突然警察に捕まって、今から制限速度を40キロに変更し、過去に遡って適用する、として突然逮捕されたら、どうであろうか。 こんな事が許されれば、警察は誰でも好きなように逮捕でき、人権も自由もあったものではない。

 さらに博士は、もし侵略戦争が犯罪ならば、日本を侵略したソ連が逆に日本を裁く地位にいる、という矛盾を指摘する。

 ソ連と日本は中立条約を締結しており、それは1946年まで有効であった。さらに45年6月初旬、日本はソ連に対して連合国との降伏に関する調停を要請していた。それらを一切無視して、ソ連は8月8日、日本に対して宣戦布告したのである。これには自衛戦争の要素はまったくなく、日本の開戦を侵略というなら、それ以上の明白なる侵略戦争である。

 さらにソ連の参戦は、アメリカとイギリスの要請であり、両国も侵略に荷担したことになる。侵略戦争が犯罪であるというなら、これらの国々もすべて裁かれるべきだ、と博士は主張する。

 敗戦国だけが裁かれるのは、法の公平な適用という、もう一つの近代法の原則をあからさまに蹂躙するものである。

■4.禁じられた判決書出版■

 このようにパール博士の判決書は、詳細な事実調査と、徹底的な法理論の展開で、東京裁判が国際法の精神を踏みにじった点を明らかにしている。

 東京裁判が開かれていた約2年半の間、他の判事達が休日毎にドライブやパーティを楽しんでいる間、博士は帝国ホテルの一室に閉じこもったまま、3千巻にもおよぶ文献を調べ、日本語版文庫本にして1400頁以上もの浩瀚な判決書を書いた。

 そのパール博士が、判決書執筆を中断したのは、夫人危篤の知らせを受けて、急ぎ帰国した時だけであった。病床で夫人は「あなたは日本国の運命を裁く大事なお体です。どうか裁判が終わるまで私の事は構わないで...」と述べた。

 博士は「日本は美しい国だ。人情も景色も美しい。裁判が終わったら、一緒に日本へ行こう。それまでに早く良くなってくれ」と言い残して、日本に戻った。しかし、裁判が終わった時には、夫人は口もきけない状態で、5ヶ月後、ついに帰らぬ人となった。[1,p40]

 こうした思いまでして完成した判決書は連合国によって公刊を禁じられ、ようやく1957年になってインドのカルカッタで出版された。 オーストリアの著名なフェアドロス教授編集になる公法雑誌に掲載された書評では、「本書を読むと、他の裁判官は全部盲目のように思われてならない、他日パール博士が正しかったといわれるようになる日の到来することを切望する」と紹介された。

■5.なぜ日本人は沈黙しているのか?■

 さて、再来日した博士は各地で講演会を行い、日本の法曹界やマスコミが、なぜ東京裁判の不当性、不法性に対して、沈黙しているのか、と問われた。

 いまや英・米・仏・独など世界の法学者の間で、東京とニュルンベルグの軍事裁判が、果たし正当か否かという激しい論争や反省が展開されている。...げんに英国法曹界の長老ハンキー卿は「パール博士の無罪論こそ正論である」として「戦犯裁判の錯誤」と題する著書まで出版している。しかるに直接の被害国であり、げんに同胞が戦犯として牢獄に苦悶している日本において、この重大な国際問題にソッポを向いているのはどうしたことか。なぜ進んでこの論争に加わらないのか。なぜ堂々と国際正義を確立しようとしないのか。[1,p25]

 さらに広島の原爆慰霊碑に刻まれた「過ちは繰り返しません」という文字を見て、博士は言った。

 東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。東京裁判の影響は原子爆弾の被害より甚大だ。 [1,p29]

 博士は、日本の法律家やジャーナリストが、東京裁判で提起された問題に対する本質的な論争、すなわち、「大東亜戦争は本当に侵略戦争なのか」、「日本は平和に対する罪、人道に対する罪を犯したのか」という点に関して、あまりにも無関心、不勉強であることにいたく失望した。そして日本人が「長いものには巻かれろ」という事大主義のあまりに、マハトマ・ガンジーのいう「真理把持」の精神に欠けているのではないか、と憤った。

■6.理性は虚偽からその仮面を剥ぎとったか?■

 パール判決書は、次のような有名な言葉で締めくくられている。

 時が、熱狂と、偏見をやわらげた暁には、また理性が、虚偽からその仮面を剥ぎとった暁には、その時こそ、正義の女神はその秤を平衡に保ちながら過去の賞罰の多くに、その所を変えることを要求するであろう。[3,p745]

 しかしこの言葉はまだ実現されていない。たしかに「時」は、「熱狂と、偏見をやわらげた」と言えるが、人類の「理性」が十分に「虚偽からその仮面を剥ぎとった」とは言えない。

 満洲事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない[1,p32]

 こうまで言われた博士が現在の我が国の歴史教科書や謝罪外交を見れば、どう思うだろうか。「真理把持」の精神に欠ける日本人は自ら「歪められた罪悪感」を背負って卑屈・退廃に流されるだけでなく、国際正義の確立を通じて世界に貢献しようともしない、と地下で歯がゆい思いをされているのではないか。

[参考]
1. パール博士の言葉、田中正明、下中記念財団、H7
2. パル判決書(上)、東京裁判研究会、講談社学術文庫、S59
3. 同(下)
4. JOG(39) 国際法を犠牲にした東京裁判







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