美しい国からの転載です。日本人がかつてはどのような考えを持ち、どのように生きていたか、それを失った現代を見ていると、昔の幸せだった、誠実な時代が輝いて見えます。先日のブータン国王夫妻の来日は、日本がかつて持っていて、今は失ったものを、見せつけられたような気持ちでした。私たちは立ち止まって、本来の日本とは何であるか、歴史を振り返ってみる必要があるのではないでしょうか。
■ 森羅万象に神が宿ると信じ、日本人独特の無常観で他者への思いやりを育む
古来、日本人は、森羅万象すべてに神々が宿ると信じ、崇敬してきました。また他者に対しても、同じ運命を背負う人間仲間として捉え、深く共感できたのです。そこから、「思いやり」「いたわり」という優れた感性が芽生え育んできたのです。
無常とは、元来仏教用語ですが、他の仏教国では捉え方が異なります。
いかに権勢を振るって栄耀栄華を極めようとも、多くの権勢なき人々と同じように、やがて死を迎えます。
未来永劫、盛者であり続けることなどできず、無常を知ればこそ、敗者や弱者の姿に、明日のわが身を見る思いがして、敗者への思いやりとか弱者へのいたわりといった感情が湧き上がるが、日本人だけが持ち得る感性なのです。
■武士道の価値観
武士は侍とも書きます。もののふともいいます。
またその語源は天孫降臨された皇祖ニニギノミコトより前に天孫降臨されたとされるニギハヤヒミコトを祖とし、大和朝廷では国の軍事氏族として活躍した、物部氏(もののべうじ)とされてます。
侍=その文字が示すとおり、もともと高貴な人に侍り、その身辺警護が仕事でした。役目柄、要人よ り華美な振る舞いは許されず、常に死を覚悟していなければなりませんでした。このことが質実剛健な精神構造を生み出し、支配階級となったあとも、「武士 道」として武家社会の規範になっていきます。明治維新で武士階級はなくなりましたが、代わって徴兵制が採用されたため、武家だけの「武士道」からむしろ国 民全体にも拡がり、大東亜戦争終戦まで、日本人の精神的支柱であり続けました。
武士道における価値観は、西洋とでは対極をなします。
武士道における価値観は、西洋とでは対極をなします。
・新しいものよりも古いもの
・華美よりも質素
・物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ
・私よりも公( 滅私奉公)
・動よりも静
・剛よりも柔
・華美よりも質素
・物質的な豊かさよりも精神的な豊かさ
・私よりも公( 滅私奉公)
・動よりも静
・剛よりも柔
自分の命より名誉のほうを重んじ、それに増してすばらしいのは、「惻隠の情」(そくいんのじょ う)(かわいそうに思うこと。あわれみ)に高い価値を見出していたことです。弱い者いじめや敗者に鞭打つなどの卑怯を最大の恥とし、弱者敗者をいたわり、 護ってやるのが武士の情でした。
戦後、アメリカ的価値観を妄信する人が増え、武士道精神は急速に忘れ去られようとしています。軍国主義と結びつけて、頭ごなしに非難する人たちもいます が、しかし、卑怯者がはびこる現代社会にあって、かつての凛とした日本を取り戻すためには、「武士道」を蘇らせるしかないとおもうのです。
戦後、アメリカ的価値観を妄信する人が増え、武士道精神は急速に忘れ去られようとしています。軍国主義と結びつけて、頭ごなしに非難する人たちもいます が、しかし、卑怯者がはびこる現代社会にあって、かつての凛とした日本を取り戻すためには、「武士道」を蘇らせるしかないとおもうのです。
■自然への崇敬
人間は、神代の昔から変わることなく、自然の恵みを受けて生活しています。森羅万象、見えないも のまで、自然は子々孫々に受け継がなければならない人類共有の財産です。太陽・空気・水、どれが欠けても人間は生きていけません。これらすべてのものを、 当然あるものと考えていないでしょうか。自然は人間が創り出したものではなく、一度無くしてしまったら取り返しがつきません。古代の日本人は、自然を崇敬 し護るべきものと知っていました。失ってしまったらら元に戻せないと知っていたからです。古代人に習い、自然への感謝と畏怖の気持ちを忘れてはなりませ ん。これらが、 『斎庭(ゆにわ)の穂(いなほ)の神勅』と繋がっているのです。
一人の人間は、小さな能力しかなく弱い存在なのに、なぜこの地球上に人類が君臨しているのでしょ うか。太古の昔から、助け合うことが力になる、という知恵をもっていたからです。原始時代の人々は、火を熾せるようになり、道具を使うことも覚えました。 皇室のご祭祀は、火を熾すことから始まります。古代さながらの鑽火(きりび)(堅い板に棒を揉み込み自然に起す清浄な忌火)で行われます。
そして神聖なものと崇められています。また、全国各地の神社の新嘗祭でも、新穀を得たことを神様に感謝し、境内で火を焚き上げ、火の災いを鎮める祭りが行われています。
■先祖から受け継いできた自分の命、800年遡れば、約2700億人以上の先祖が自分に集約している
人には必ず両親がいます。父母各一人の合計二人です。その両親にも両親がいます。自分からみれ ば、祖父母にあたる人です。父方と母方の祖父母各一組合計四人です。祖父母、つまり三世代前程度でしたら多くがご存命でしょうからすぐ思い浮かびますが、 何世代前になるともうわかりません。
では、20世代前に遡ると何人になるでしょうか?
52万4288人、さらに30世代前になると5億3687万0912人、40世代前では2748億7790万6944人になるのです。
世代間年数を二十年とすると、20世代前で400年、30世代前で600年、40世代前では、800年前になります。
800年前は、源頼朝が鎌倉に幕府を開いて19年後にあたります。人一人のご先祖様が800年前まで遡ると2748億7790万6944人もいるのです。
勿論、我国の人口が鎌倉時代初期に2748億も存在するわけがありませんから、同一人を重複して数えることになります。
同じ父母から生まれた兄弟姉妹。または、同じ国土に生まれた人々、同じ国民、また、同じ民族のことを同胞(どうほう)といいます。
上記の数字からも、日本人が殆ど、血の繋がりのあることの証左でもあります。
系図のなかった庶民では辿りようもありませんが、間違いなく同じ父母から生まれているのです。数 多くのご先祖様のうちたった一人でも欠けていたら、今の自分は生まれてこれなかったはずです。これは生命の奇跡としか言いようがありません。一人一人の生 命はやがてつきます。しかし、生命そのものは親の代から受け継ぎ、子の代へと引き渡されていきます。
筆者が子供の頃には、どこの家庭にも神棚と仏壇があり、日常の明け暮れに神仏に祈り朝日に手を合わせ、夕日に感謝する親や祖父母の後ろ姿がありました。
勿論、お正月、国の慶事には、国旗がどこの家にも掲げられていました。
■40年前のまだ古き日本の残っていた幸せの時代
そして、食べ物と大切にしていました。
一粒でもご飯を食べ残したり、好き嫌いを言うと「もったいないと、親は子供を叱りました。食べ物や、ものに対して「いただきもの」「さずかりもの」と天地自然への感謝の気持ちをいつも忘れませんでした。みんな昔話になってしまったのでしょうか。ほんの40年前のことです。
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「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」親の言葉が頭のどこかにあるから、自制心 がはたらき、悪いことをしょうと思ってもできません。「おてんとさま(お天道さま)が見ているよ」おじいさん、おばあさんの口癖が、いつも心の片隅にあ り、心に残っています。 親や祖父母の教えが、「生き方の規範」になって、より良き行いをしようと心掛けます。かって人々は「人の道」という、歩むべき方向を持ちあわせていました。 |
ご飯を食べ残したり好き嫌いを言っても、最近の親達は「もったいない」と叱らなくなりました。子供は食べ物があふれているのに、自分好みの品を求めてとめてコンビニに行きます。 精神の不安定な時期にある青少年の自暴自棄の行動、大人達の自分勝手な独りよがりの行い、失望と絶望、人々はさまざまな心の不安を抱きながら、日々明け暮れしています。 現代人は老いも若きも「生き方の規範・人の道」という、心のよりどころを持たないから、ストレスで心身を病み、自信を喪失し、ささいなことにつまずいてしまいます。 |
「もったいない」という言葉をつぶやきながら、天地自然に手を合わせても、いいのではないでしょうか。 「ご先祖さまに顔向けできないようなことを、してはいけないよ」 「おてんとさまが見ているよ」「神さま、仏さま、ご先祖さま、おてんとさま」と拝む、日常行動があっても、いいのではないでしょうか。 経済や政治・社会情勢に押し流されるようでは、潤いのある生活はできません。昨今のように混迷する社会情勢のもとでは、人々は目先のことばかりに心うばわれます。そんなご時世であればこそ、なにか大きな恐れるもの、畏敬の念を抱くものがあれば、かえって安心します。 神仏や、天地自然に手を合わせる、積極的な行動によって、子供達は健やかに成長し、大人達は希望と自信をとりもどし、安らぎを得ることができるでしょう。 |
かっての日本人とは、そのような民族だったのです。
そして、その時代のほうが、皆幸せであったように筆者は思います。
今一度、大らかで、高貴な、こころ優しい日本人の戻ってみませんか・・・
今一度、大らかで、高貴な、こころ優しい日本人の戻ってみませんか・・・
子孫の為にも・・
転載元: 美しい国