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新嘗祭

2011年11月23日 15時13分55秒 | 無題

美しい国からの転載です。きょうは祭日「勤労感謝の日」ですが、戦前は「新嘗祭」と言っていました。古来より、この日は新嘗祭と言われて、農耕民族である日本人にとって、重要な祭祀の日でした。戦前はこうした日本民族の農耕民族としての歴史にちなみ、祭祀王である天皇が国民の代表として、祭りをされる日が、祭日となっていました。

それは日本人が古来から伝え続けてきた文化です。暦は民族の文化の一つとして大切なものです。福田恆存氏によれば、西洋でも、彼らはキリスト教文化ですから、祝祭日もキリスト教ににちなんだもの(西洋でもキリスト教と農業とが合わさった形となっているようです)でだいたい統一されているというはなしです。

 

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天皇陛下 御尊影
 
 
 
 
 
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皇后陛下 御尊影
 
 
 
 
 
 
 
今日は「新嘗祭(にいなめさい)」です。
皇紀2671年、日本伝統の新嘗祭に際し、国民の一人として、新穀の実りと畏くも天皇陛下、君が代、日章旗に感謝を捧げます。
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご不例でもあり臣民の一人としてご平癒を心より 祈念します。
  
  
國を思う皆さまにはご存知の通り、この十一月二十三日は、「勤労
を尊び、生産を祝い、國民互いに感謝しあう」、との主旨をもとに、昭
和二十三年(一九四八年)に「勤労感謝の日」として制定されましたが、この日は、本来、新暦(太陽暦)で「新嘗祭(にいなめさい)」の日に当たります。農耕民族である我國の食は人の命を支え養う大切な財(たから)です。ゆえに最も大切な日であります。
この食を支える 年々の実りに感謝する。そのために、日々汗して働くことを尊び合う。新嘗祭は、その結晶である新穀の実りをお祝いし、時の陛下が新米を神前に奉納する儀式 を淵源としています。民間においてもその年の新穀をそれぞれに供え、感謝の念を以って食(は)み、収穫を祝う日とされて来ました。
新嘗祭の記述は日本書紀にまで遡(さかのぼ)ることができ、「皇極
天皇の元年十一月十六日に「天皇は新嘗祭を行われた」と記されてい
ます。この「皇極元年十一月十六日」は、太陽暦に約せば六四二年十
二月十二日となり、干支は丁卯にあたります。以って、当時に遡れば、
すでに皇極天皇の御代には、陰暦十一月第二の卯の日(太陽暦における十一月二十三日)に新嘗の儀が執り行われていた。この史実の一端からも、新嘗祭の伝統深き意義を拝することができ、先ず感謝を以って応分の礼となす日本人の文化・精神の高さが感じられます。
この古来より伝わる日本の佳き伝統の心に触れ、日の丸を粛々と掲
げ、日々臣民の幸せを願われておられる畏くも天皇陛下、皇室に感謝し、本年の新穀の実りに感謝致す日でありたく思います。世界の諸国には様々な変遷はあり ますが、日本は不変にして皇紀連綿と今日にまで続く無類の国であります。幾多の先人・ご先祖の智慧と労功、そして、尊い命に支えられてこその今日の日本が あります。
その心に感謝する日でありたいと願う次第であります。
畏くも天皇陛下、君が代・日の丸は、日本國民の誰もが共有すべき財(たから)です。
先祖代々の日本の國です。
君が代・日の丸は、両親、祖父母、およびその前々の代から伝わるかけがえのない宝です。
世界の國歌の中で「君が代」ほど重厚で平和を願った美しい國歌は類をみません。
世界の國旗の中でも最もシンプルであり、美観が整い、これほど明快な国旗は他に類を見ません。
現在の國際情勢、世界での我國がおかれている状況は厳しいものがあります。
今年は、東日本大震災という未曾有の災害で多くの同胞の方々が亡くなりました。その後も止まぬ災害。
我国に起こるすべてのことを一身に受け止めあそばされる畏くも天皇陛下のご不例。
我國古来より の、伝統、風習、が失われつつあることにも不安もありますが、次世代に胸を張って引き継げる日本を願い、いかなる台風にも折れない巨木の威容にも喩(た と)えるべき厳とした日本人の誇れる強い心を以って、日々畏くも天皇陛下、君が代・日の丸のもとに凛然たる日本を願い、前へと歩を進めてまいりたく思いま す。國思うみなさまとともに、新嘗祭に際し、天神地祇に感謝し、皇室を崇敬し、建国以来、神々と皇室とともに歩んだ先人を偲びたいと思います。


ふりつもるみ雪にたへて色かへぬ松ぞ雄々しき人もかくあれ
 
 
終戦後の絶望の中であっても、雪の中の青々とした松のように国民も強く生きて欲しいという、昭和21年の先帝陛下の御製です。
先帝陛下の国民への思いです。今上陛下におかせられましても国民への思いは同じであられます。
畏くも天皇陛下は常に国家安寧を祈って居られますが、震災後、日本国民に発せあそばされた玉音放送は悲しみにくれる国民に希望を与えていただき、哀しみをも共有あそばされました。
しかしながら、政情未だ定まらず、荒廃していく世情、親の心子知らずと言いますが、畏くも天皇陛下の大御心、臣民知らずなのではないでしょうか?
 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
  
  
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
  
  
  
 

転載元 転載元: 美しい国

 

 

 


日本人と祭祀への信

2011年11月23日 14時47分47秒 | 無題

 今上陛下のご意向のもとに、皇太子殿下への歴代天皇に関するご進講が始まったのは昭和52年でした。この年の記者会見で、「(歴代天皇のご事跡のご進講は)殿下(今上陛下)が直接お勧めになったのですか」との問いに、陛下は、 

 

 ええ、これは皆で考えた問題ですけれども、天皇の歴史というものを、その事実というか、そういったものを知ることによって、自分自身の中に、皇族はどうあるべきかということが、次第に形作られてくるのではないかと期待しているわけです。 

 

 とお答えになっています。 

 それから数年を経て22歳をお迎えになった皇太子殿下は、記者会見での記者の質問「歴代の天皇についてのご事跡のご進講で最も印象に残っているのは何でしたか」に対して、次のようにお答えになりました。 

 

 いままでお話を伺ったのは、第九十二代の伏見天皇までの歴代の天皇のお話しを伺って来ました。ですから歴代天皇全部のお話を伺ったのではないわけですけれども、そういうお話を伺って感じることは、歴代天皇が文化を大切にしてこられたということです。 

  それと、これはこの次の機会にお話を伺うことになっている花園天皇という天皇がおられるんですけれども、この天皇は先ほどの九十二代伏見天皇の皇子に当た るわけですが、その天皇がその時の皇太子である量仁(かずひと)親王、のちの光厳天皇となる人ですが、その親王に当てて書き残したものが残っているんで す。 

 誡太子書(太子を誡(いまし)むるの書)と呼ばれているんですが、この中で花園天皇は、まず徳を積むことの必要性、その徳を積むためには学問をしなければならないということを説いておられるわけです。その言葉にも非常に深い感銘を覚えます。 

 

  殿下は花園天皇については次にご進講を お受けになると言われているので、まだご進講をお受けになっていない天皇について自ら意欲的に学んでおられることが拝察できます。『誡太子書』は千四百八十九字 から成る漢文ですが、後醍醐天皇の御代、建武の中興の四年前に書かれたこの文書を、殿下は御祖先の声として、切実にお受けとめになったのです。 

 平成二十二年二月お誕生日の記者会見で、殿下はこの書について再び言及されました。

 

 花園天皇の言われる「学問」とは、単に博学になるということだけではなくて、人間として学ぶべき道義や礼義を含めての意味で使われた言葉です。私も五十歳になって改めて学ぶことの大切さを認識しています。

 とお述べになりました。

 

  花園天皇の誡太子書に「余、性拙く智浅 しと雖も、粗(ほぼ)典籍を学び、徳義を成し、王道を興さんと欲するは、ただ宗廟祀りを絶たざらんが為のみ。宗廟祀を絶たざるは、宜しく太子の徳にあるべ し」の一節があります。古来、祭祀は天皇第一の務めとされ、歴代天皇はその伝統を継承して今に至っています。

 

 終戦時に、徹底抗戦を主張した、阿南大将が、鈴木首相に自決を覚悟して暇乞いの挨拶に来られたとき、鈴木首相は阿南大将の最後の心残りであるであろう「国体の護持」がなされるかどうかについて、

 「阿南さん、皇室は必ずご安泰ですよ、なんとなれば、今上陛下は春と秋の御先祖のお祭りを必ずご自身で、熱心におつとめになっておられますから。」

と言ったのは、単なる慰めではなかったでありましょう。敗戦というぎりぎりの状況下で、最後まで信じられるものは何か。

 「皇室は必ずご安泰ですよ、なんとなれば、今上陛下は春と秋の御先祖のお祭りを必ずご自身で、熱心におつとめになっておられますから。」

 終戦時の宰相のこの言葉は、二千年の歴史に培われた日本国民の信の結晶のように思われてならないと、ジャーナリストの打越和子氏は言っています。

日 本人にとって、日本の国を護っているのは、その時代の国民だけでなく、多くの先祖の御霊も一緒にこの国を守り支えているのだという意識があるのです。そして また、皇祖皇宗の御神霊の御加護が、なによりそれに応えてくださるという信仰もあるのです。それは多分各個人の家も同様であったのでありましょう。その家を護 り支えているのはその現代の一代のみではありません。多くの先祖の御霊が支えてくださっているという意識があり、それゆえに一層家を絶やしてはならない、先祖に 顔向けが出来ないという意識が芽生えるのです。

そして、天皇の熱心なご祭祀のお姿に、死を決した阿南大将が揺らぎない神州不滅の信念を持つのは、当然かも知れません。

 美智子皇后陛下も、ご皇室の印象を「歴代天皇が、祈りに終始していらっしゃる」と仰せられましたが、この皇室の祭祀は、敗戦時にも途切れることなく続きました。まるで天界の意志を示しているかのようではないでしょうか。

 

 

 

平成の御代、天皇陛下は昭和天皇がご高齢のため制限された祭祀をすべて元に戻して継承されました。「おそらく、歴代天皇の中でも特に真面目になさっていると渡辺允前侍従長は証言しています。

最 近ある人から、今上陛下は石清水八幡宮に金銀の幣帛を納められたと聞きました。歴代天皇が、石清水八幡宮に幣帛を納められることはよくあるそうです。しかし 金銀の幣帛を納められたことは、歴史上三回しかないといいます。一回目は蒙古襲来の時であり、二回目は、幕末において孝明天皇が納められました。そして今回が三回 目だといいます。今上陛下がいかに現代の日本に危機を感じておられるかが、ひしひしと伝わってくるように感じます。

 

  ところで、渡辺允氏が以前何かの原稿 に、陛下が皇太子時代から新嘗祭についてお詠みになった御歌を示しながら、陛下は斯様に皇太子時代から祭祀にご熱心であると書いたところ、陛下がお読みに なって、それはちょっと違うとおっしゃられたそうです。皇太子時代は祭祀を見ていたのだ、だからあのような歌が詠めたのである。天皇となってからはひたすら 祭祀に務め、一心に祭神に心を集中しているのだから、祭祀に臨む心構えは全く違う、と。

 

  松明の火に照らされてすのこの上歩を進め行く古「いにしへ」思ひて

  新嘗の祭始まりぬ神嘉殿ひちりきの音静かに流る

  ひちりきの音と合せて歌ふ声しじまの中に低くたゆたふ

  歌声の調べ高らかになりゆけり我は見つむる小さきともしび

  歌ふ声静まりて聞ゆこの時に告文読ますおほどかなる御声(みこえ)

  拝を終へ戻りて侍るしばらくを参列の人の靴音繁し

  夕べの儀ここに終りぬ歌声のかすかに響く戻りゆく道  (昭和45年にお読みになった連作七首)

 

  新嘗祭は、天皇陛下が神嘉殿で新穀を皇 祖始め神々にお供えになり、神恩を感謝された後、陛下自らお召し上がりになる祭典で、毎年十一月二十三日に行われます。純白の絹の祭服をお召しの陛下が、夕 の儀、暁の儀とそれぞれ二時間余りを務められる皇室の重儀であります。神嘉殿の本殿で天皇が神饌を供されている間、その隣部屋ともいうべき神嘉殿の西隔殿に、 古来より皇太子だけが坐すことを許されています。西隔殿から本殿の祭祀の様子をみることは出来ません。さきの七首の御歌は、昭和天皇のご所作をお偲びになりな がら西隔殿に座しておられる折のことをお詠みになったものです。

 

 打越氏は次のように書いています。

  新嘗祭の神秘的な夜が、これほど具体的 に再現された御歌はないであろう。ここに祭祀への真摯な御心が表れているのは当然である。ただこれは天皇ではなく、西隔殿に座している皇太子であるからこ そ、お読みになれた御歌だったのだ。天皇の祭祀は、それほどまでに厳粛であり、しかしその境地に進むためには、ひたすら西隔殿で心耳を澄ます皇太子として の年月が必要だということではないか。

 平成の皇太子も、すでに二十年、この新嘗祭の体験を積まれてきている。その事実に、粛然たる思いを禁じ得ない、と。

 

 

 

 

参考文献 「皇太子殿下、皇位継承者としてのご覚悟」 明成社編

 


(花園上皇)誡太子御書・元徳二年二月

2011年11月23日 14時29分14秒 | 歴史

美しい国からの転載です。歴代天皇は、天皇の御位を天照大御神から授かったものとして、非常に厳かな気持ちで即位されました。それは天照大御神とのお約束であり、神々とのお約束であり、決して安易な気持ちでは務まらない敬虔な心構えで臨まれたのです。

 

 

 

【(花園上皇)誡太子御書・元徳二年二月】

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花園天皇像
 
 
 
花園天皇が、甥である皇太子(光巌天皇)を訓戒されるために記されました。
 
 
余聞く、天は蒸民(じょうみん)を生じ、之れに君 を樹(た)てゝ司牧(しぼく)するは、人物を利する所以(ゆえん) なり。下民の暗愚なる、之れを導くに仁義を以ってし、凡俗の無知なる、之れを馭(ギョ)するに政術を以ってす。苛(いやし)くも其の才無くんば、其の位 に処(お)るべからず、人民の一官も、之れを失はゝ゛猶ほ天事を乱ると謂ふ。鬼瞰(きかん)遁るゝこと無し、何(いか)に況や君子の大宝をや。慎まざるべ からず。懼れざるべからざる者か。 

以上文字数の関係上 冒頭のみ以下に全文大意。
 
 
私はこう聞いている、天が民を生みだし、その上に君主を立てて統治をさせるのは、人の役に立つようにするためである。
愚かな(迷いやすい)民衆を道徳に則って指導し、(目先の得失にとらわれて)先を見通すことができない人々を政治の技術で制御する
君主に相応しい能力がないのならば、君主になってはいけない。ただの役人であろうとも、相応しくない人物が役職に就くと天下が乱れるという。神様の目から逃れることはできない。ましてや君主という重大な役職にいい加減な人物が就任して世の中が乱れないということがあろうか。
しかし、太子はお付きの人に育てられて民の苦しみを知らない。いつでもきらびやかな服を着て、服を縫う人の苦労を知らない。毎日ご馳走を飽きるほど食べ て、働いてお金を稼ぐことの大変さを知らない。太子はまだ国家に対してなんの貢献もしていないし、民に全く恩恵を及ぼしたりしてはいない。ただ単に祖先か ら受け継いだ位だからというだけで、国の全てを司る重大なる職に就任したいと願っている。人徳もないのに諸侯の助けが得られると思いこみ、功労もないとい うのに庶民の上に立つ、全く恥ずかしいことだとは思はないのか。
秦の政王(始皇帝)は強かったが滅ぼされた。隋の煬帝も唐に滅ぼされた。しかるに、我が国は大丈夫といっている者がいるが、それは間違っている。今の王家 は累卵や崖の上で馬に乗るくらいに危険な状態にある。たとえ異姓(皇族以外の人間)が皇位を奪おうと望まなくても、自壊する危険性すらある。


冒頭は、君主のために国家人民があるのではなく、国家人民に尽くすのが君主の役目であると宣言されています。ただし、近代の民主制のように無条件で民衆が 正しいなどと無責任なことはいわれません。正しい政治技術の必要にも触れられています。しかし仁義の精神でそれを使いわけよと述べられています。
即 ち、「皇胤一統(万世一系)」の我が国では革命など生じないという思い込みは、甚だしい間違いである、賢聖の主(天皇)がいなければ、國が乱れ内乱が起き るおそれがある、次代を担う皇太子は学問に精励すべきであり、「宗廟の祀(祖先祭祀)」の継承こそ最も重要であると訓誡しておられます。
 
また文中にもありますが、ただの役人であろうとも、相応しくない人物が役職に就くと天下が乱れるとの臣民への戒めもあります。
戦後國が乱れているのは、相応しくない人物が為政者、教職者などの役職に就いているからです。
 
 
現在の皇太子徳仁親王殿下も学習院大学ご卒業の折に「花園天皇は・・・・徳を積むためには学問をしなければならないと説いておられ・・・その言葉に深い感銘を覚えます」と語られた。
代々の皇室に伝わる帝王学ともいえましょう。
 
 
 
 

転載元 転載元: 美しい国