小さな自然、その他いろいろ

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ブータン王国と日本

2011年11月18日 23時52分52秒 | 現代日本

美しい国からの転載です。ブータンは非常な親日国です。経済とか政治の打算を超えた、心と心の友情が芽生えた真の親日国です。たとえ小さな国でも、このような親日国こそを大切にしなくては、国益のぶつかり合う国際外交のなかで、いざと言うときに本当の味方を、日本は失ってしまうかも知れません。

民主党の閣僚、一川防衛相、川端達夫総務相・山岡賢次国家公安委員長・細野豪志環境相の4人は、ブータンのワンチュク国王夫妻を歓迎する宮中晩餐会を欠席しました。一体国家のお客様、国賓をなんと思っているのでしょう。大国にはペコペコして、経済的なつながりも少いこうした小国は無視するとでも言うのでしょうか。この精神のあまりに利害打算的で、自分個人の都合優先の品格のなさに、呆れてしまいます。これはこの民主党の典型なのかも知れません。何しろ、小沢氏もかつて、習近平氏を、無理やりルール破りの日程ゴリ押しで、天皇陛下との会見を設定しましたから、天皇陛下が、ルールに従って、大国小国の別なく会見を行われるというその御心を、傲慢にも無視したのと、実に同じ精神ではないかと思います。

 

 

 
 
昨日、畏くもブータン国王陛下、同王妃陛下をお招きして、国会にて歓迎会が執り行われました。
ブータン国王陛下におかれましては、素晴らしい演説をなされました。
ブータン王国は東日本大震災の翌日に国王主催の「供養祭」が挙行され、18日には義援金100万ドル(日本円で8150万円)が、日本に贈られました。
 ブータンの1人当たり国民総所得は2000ドル(約15万4000円)足らずですので、ブータン王国の厚意が感じられます。
また被災地への行幸もなされる予定です。
ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下の父君であられるジグミ・シンゲ・ワンチュク前国王陛下も1972年に16歳という若さで即位されました。
平成元年に昭和天皇陛下の大喪の礼参列のため、民 族衣装「ゴ」の礼服姿で来日されている。その際に、多くの首脳が日本から経済協力支援を得るため葬儀前後に日本政府との会合、即ち「弔問外交」を行っのに 対し、ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王陛下は一切の「弔問外交」を行わず、大喪の礼で弔意を表され、帰国された。新聞記者がその理由を国王に尋ねると、国 王陛下は「日本国天皇への弔意を示しに来たのであって、日本に金を無心しに来たのではありません」と答えられました。
 
前国王陛下自ら当時の君主制から国民が投票して決める民主 ­制への移行を提唱され、国内各地を遊説された。むしろ ­国民のほとんどが今までどうり君主制でと、国王に懇願したそうです 。君民の強い絆が窺われます。
ブータン王国は、金銭的な豊かさの指標となる国民総生産(GNP)ではなく「国民総幸福量(GNH)」を提唱しています。
ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク前国王陛下 は、1970年代、今後のブータンの国づくりを探るため、日本を含む欧米先進国を研究したそうだ。そして国王が出した結論は「欧米はGDPを伸ばすという 方向性で国づくりをしている。しかし環境はボロボロになり、人の心はすさみ、文化は継承されなくなっている」というものでした。
 つまり、GDPを追求してもいいことは何もない。だったら、GNH(国民総 幸福量)を大事にしようということだった。ブータンではGNHの指標があるが、その項目は人々が情緒的にどれだけ満たされているか、地域社会がどれだけ生 き生きとしているか、というものです。そして国勢調査で、それを把握して政治に生かす施策をとられました。ブータン国民に「あなたは幸せですか?」と質問 したら、94%の人が「はい」と答えたそうです。
 
ブターン王国で農業指導に尽力し、同国民にもよく知られている故西岡京治さんの妻里子さん(75)が16日、来日中のワンチュク国王陛下、同王妃陛下とともに宮中晩さん会に招かれました。
故西岡京治氏については、投稿文字数に制限がありますので、以下の動画にてご覧ください。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
西岡里子氏は、「経済の価値だけが全てじゃない。 日本はもう少し、本当に不幸な人を減らせるのでは」と感じ、「GNHはドル支配の世界で『お金はなくても豊かに生活している』という国王の世界へのメッ セージだった。経済成長を経た日本は今、『お金のない人はだめな人』になっているのでは」と指摘し、述べられています。
 
GDPが増えても国民が幸せになるとは限りません。国民は不幸せでもGDPは増えて行きます。寧ろ国民の不幸の上に、GDPの成長があるのかもしれないのです。
現在、日本は立派な経済大国といえる。だがこれは日本の人口が多い(世界10位)というのも大きな理由であるのです。“1人当たりGDP”で比較すると、日本は世界17位になります。
かっての日本、日本人は清らかで美しかった、貧しくてもみんなが幸せだった、
ブータン王国に素晴らしい王室があるように、我国には素晴らしい皇室がおわします。
我国は本当に豊かな国なのか? 改めて問い直す時 期に来ているのではないだろうか。その上で、このままグローバル資本主義にどっぷり突入してゆくのか、それとも日本独自の新しい目標と指標に基づいた国づ くりを進めてゆくのか、真剣に考えてみる時期に来ているのではないでしょうか?
 
世界の誰もが認めた「美しい国、日本」を・・・・・
 
 
 
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご病気が平癒あそばされることをこころから願い、祈念いたします。
 
 

転載元 転載元: 美しい国



 


歴史の記憶

2011年11月18日 11時23分50秒 | 歴史

さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。さくらの花びらさんの引用された中西氏の視点は、たしかに的を射ているのかも知れません。東日本大震災での、日本人の冷静で秩序ある行動に、東南アジア、南アジアの人々は日本人はやっぱり変わってなかったという喜びをあらわした人がけっこういたようです。彼らは、いつか日本がもう一度毅然とした日本を取り戻すのを期待しているのでしょう。

阪神大震災の時も、やはり世界はその冷静さにびっくりしていました。そうした日本人の気質、それらをアメリカ占領軍は非常に恐れ、いつか日本が再び力を盛り返して復讐される事のないように、日本人の気質を改造することに力を注ぎました。その結果、かなり日本人の団結力や、愛国心を薄めたと思っていたのですが、それは平時のことでした。

今回の震災で、どれだけ多くの方が殉職されたでしょうか。自分一人が逃げれば、助かるとわかっていても、逃げずに職務を遂行された方が多かったのです。しかもギリギリまで我慢して、いよいよというときには逃げるというのでもすごいのに、その最後のギリギリでも逃げなかった人が多いのです。中には非番の警察官がわざわざ職務に出かけて亡くなっているのです。

大東亜戦争での特攻隊員も、このような人々と同じで、自分が力をつくすことで、自分の国の未来が変わると思えば、やらずにはおれなかったのでしょう。それくらい国を愛していたということだと思います。それを騙されたからとかいう人は、あまりに馬鹿にしすぎています。騙されなければ、人は命を捨てることはないというのでしょうか、そんなことはありません。また命を捨てるには国などのためには馬鹿らしいとでも言うのでしょうか。

私は昔、「天平の甍」という井上靖の書いた遣唐使を描いた小説の映画を見たことがあります。その時代、日本に仏教を持ち帰って、仏教によって人々の心を救おうと志す僧たちが、長い年月の苦労に耐えて何とか鑑真和尚を連れ帰ろうとする話ですが、その僧たちとは別に、お経を持ち帰ることで仏教を広めようと、経典を自分が大量に写経して、それに命をかけていた僧がいました。ところがその僧の乗った船は沈みそうになって、船員たちに少しでも荷物を軽くするために、その僧が長い年月をかけて写経した大量の経典を海に投げ込まれてしまいます。僧は何とか止めようとしても甲斐なく、絶望した僧は海に身を投げてしまいました。映画のなかで、この場面が一番印象に残りました。

この遣唐使の時代、日本人が少しでも自分の国を良くしようと、船旅の遭難率の多さにもかかわらず、海外の文化や教えを求めていく勇気と、その一生懸命な一筋の志にひどく感動したものです。古代の交通の不便な時代に、何かを伝え持ち帰ろうとすることの難しさ、その努力の上に、歴史が気づかれていったのだと、強烈な印象をあたえた映画でした。

この遣唐使たちも、皆自分の人生をかけて、国のために尽くした人々です。こうした先人の血のにじむような苦労の上に築かれた部分が確かにあるということを考えたら、その国をどうして愛さずにいられるでしょうか。

 

 

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国賓として来日中のブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王(31)は17日昼、衆院本会議場で演説を行った。
国王はブータンの民族衣装で壇上に立ち、東日本大震災について 
「大混乱と悲嘆をもたらしたであろう事態に、日本国民は最悪の状況下でさえ、静かな尊厳、自信、規律、心の強さをもって対処された」と述べた。
また「日本は歴史を通じてあらゆる逆境から繰り返し立ち直った」と日本をたたえた。(産経新聞) 
 
我々はこの心強いお言葉をしっかり受け止め、これ踏まえて中西輝政氏の著書より以下引用いたします。 
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戦後六十余年、中国や北朝鮮、ロシアといった「危ない国々」を隣人に持つにもかかわらず、日本が一度も攻め入られなかったのは、なぜでしょうか。
こういう議論になると、必ず「憲法九条のおかげだ」「いや、日米安保のおかげだ」という二元論になるのですが、実は全く別のところに、おそらくはもっと大きな理由があります。
 
戦後六十余年、日本が平和であり続けたのは、ひと言で言えば、「神風特攻隊」のおかげです。
原爆で本土に潰滅的な被害を受けた日本は戦争に負けました。通常、敗戦国は戦勝国に弱者とみなされ、見くびられ、後世にわたってつけ入られることになるのですが、日本の場合は、戦後も長い間、事情は違いました。
スターリン、毛沢東、金日成。日本を取り囲む国の独裁者たちは、おしなべて戦中世代です。
彼らにとっては、日本が原爆でひどい被害を受けたことよりも、無敵のアメリカ空母めがけて、神風特攻隊が決死の攻撃を繰り返したことの方が、鮮烈に記憶に残っています。「日本恐るべし」ということが、体感として染みついているのです。
戦後の日本は、実際にはGHQにほぼ骨抜きにされ、国家として大きく弱体化しました。しかし、彼らは、あまりにも特攻隊の記憶が強すぎて、日本の弱体化をそのままの姿として受け止められなかったのでしょう。いまはおとなしくしているが、日本はいずれ恐ろしい敵になるかもしれない、と思っていたのです。
 
たしかに日本国内では「憲法九条」を掲げて「もう戦争はしない」と宣言し、「外国が攻めてきたら白旗を揚げろ」と公言する政治家までいる。しかしその一方で、靖国神社では毎年大々的な祭りが行われ、天皇陛下や首相をはじめ、参拝する日本の指導者や政治家も少なくない。
中国、北朝鮮、ロシアからすれば、だから、まだまだ恐ろしさを秘めた国と思い、日本には慎重に対応し続けたのです。
「今は静かにしているが、こちらの出方次第では何をするかわからない。寝た子を起こすようなまねはやめよう」
こうして彼らは、警戒意識をもって戦後日本を遠巻きに眺め続けたのです。これこそが、戦後六十年余りも、日本がどの国からも攻め込まれなかった一番の要因と見るべきでしょう。
現に、毛沢東や金日成、スターリンやブレジネフも、第二次世界大戦当時の日本軍を詳しく研究しています。
 
いまの北朝鮮の軍隊は、行進の仕方、号令のかけ方など、表面はロシアの軍隊をモデルとしているように見えますが、大本は日本の軍隊です。金日成は、配下の者に「かつての日本軍のような教育をせよ」と言って、自国の軍隊を再教育させたと言います。
毛沢東も日本軍の戦意や組織を高く評価していましたが、うまくそれを利用しました。戦中は、日本軍の影を感じるやいなや、一目散に逃げまわって、蒋介石の国民政府の方へ日本軍をぶつけるように仕向けました。そうして、対立する蒋介石の力を殺ごうとしたのです。
また、戦後、毛沢東は党主席直轄に「情報調査分析局」というインテリジェンスの組織をつくり、徹底的に日本軍を研究しました。単なる研究から「いかにして日本軍のような強い軍隊をつくるか」にまで論考を進め、今日の中国軍を育てようとしました。
毛沢東が、古くはチェ・ゲバラ、最近ではアルカイダなどが熱心に読むようなゲリラ戦の古典的著作を仕上げたのも、日本軍に勝つには「これしかない」と思っていたからでした。
さらにソ連は、日本が原爆攻撃を受けてから日ソ不可侵条約を破り、満州や日本に攻め込みました。この裏切り行為が、日本が徹底的につぶされた後に行われたということ自体、スターリンがどれほど日本軍に恐れをなしていたかの表れといえるでしょう。
 
ことほどさように、これらの独裁者たちはみな、日本をひどく恐れていたのです。
アメリカが、戦後日本をせっせと経済大国に育てたのも、日本がもう一度、強い軍隊を持つことを何より恐れたからです。
ところが、各国の政治リーダーたちの世代交代が完了してしまえば、「日本恐るべし」の記憶がもたらしてくれた効力も消えることでしょう。今日、各国が日本を完全に舐め出したのは、このことも大きく関わっているのです。
しかし、「何千という飛行機がアメリカの空母めがけて突っ込んだ」という歴史的記憶が、実に六十年余りも影響したことは注目に値します。つまり、「歴史の記憶」というのは、実はその後の現実に対し、長く予想を超えた大きな影響を及ぼすことがある、ということです。
歴史はただの過去のことではないのです。
・・・
 
特攻隊というと、悲劇というでしょう。
しかし、上記の文章を呼んでいるだけでも英霊たちが戦後も日本を護っているということは、疑いのないことかもしれません。
 
「二度と子供たちを戦場に送らない」というのは日教組であり、護憲派の左翼であり、そして彼らの言い分に乗せられた人たちです。
戦争は決してすべきではありません。
しかし、一旦緩急あれば、祖国を捨てて逃げるような日本人では先人たちに申し訳がないでしょう。
 
201059日、ロシアの「対独戦勝記念日」にアメリカ軍やイギリス軍までパレードに加わり、
その上でメドベージェフ大統領は記者会見でこのように発言しました。
「第二次世界大戦でカタがついているのに、いまだに領土返還を求めるような敗戦国がいる。
戦争で出た結果は戦争でしか変わらない」。
この発言は産経新聞が少し触れた程度で、日本のマスコミ各社は一切報じず(下の動画の通りです)、そのために日本国民の多くはこの事実を知らないはずです。
この発言は「敗戦国の日本が領土を返してほしければ戦争するしかないぞ。いまの日本なんか戦争などできないし、その勇気もないだろう。今の日本などヘタレだ」と言われているように受け取れます。
これほど日本人を馬鹿にした発言はないでしょう。
 
では、日本はどうするべきか。
そのために今何をすべきか。
その答えはおのずから出てくるはずです
 
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転載元 転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」