小さな自然、その他いろいろ

身近で見つけた野鳥や虫などを紹介します。
ほかにもいろいろ発見したこと、気づいたことなど。

電通の成田豊最高顧問死去、反日広告代理店電通

2011年11月21日 23時13分48秒 | 現代日本

近野滋之・民族主義者の警鐘からの転載です。電通というのは、噂には聞いていましたが、ものすごいマスコミ支配の力のある会社なのですね。この記事の最後の方にある森田実氏、以前はよくテレビで見かけた評論家だったのに、最近は全く見ないと思っていたら、こういう事情だったんですね。驚きました。これほど、マスコミを通じて仕事をする人々の生殺与奪の権をもっていたら、正しい真実の報道というものを、完全に行うことは無理なのではないでしょうか。

 

転載開始

 

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1202512/img_1202512_35856823_0?20111121152431

 

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良識ある日本国民の皆様には、電通の成田豊最高顧問が死去したのはご存知だと考えます。

成田豊・元電通社長が死去

 電通の元社長で、日本広告業協会会長などを務めた
成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日午前0時57分、
肺炎のため東京都文京区の病院で死去した。82歳だった。  日本統治下にあった現在の韓国・天安市で生まれ、
1953年電通入社。新聞担当の営業が長く、
新聞やテレビ各社だけでなく、
各国の要人・首脳と幅広い人脈を築いた。
93年に社長就任、
2001年11月に東証1部に株式上場を果たし、
仏広告大手との提携を決めた。  02年の会長就任後は海外事業を主に担当、
中国や韓国などとの交流を深めた。04年最高顧問、
10年名誉相談役。
日本広告業協会の会長なども歴任した。
(日経新聞)
http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819695E0E2E2E3848DE0E2E3E3E0E2E3E39F9FEAE2E2E2

 

>成田豊(なりた・ゆたか)氏が20日午前0時57分、肺炎のため東京都文京区の病院で死去

私は本ブログで再三再四批判してきた、日本最大の広告代理店電通、電通の天皇とも呼ばれる成田豊最高顧問が死去しましたが、反日勢力とはいえ、ご冥福をお祈り致します。

しかし20日に死去とは・・・、20日は、「11.20フジデモwith電通・朝日新聞抗議デモ」が決行されて、「売国テレビ局と売国企業を結び付ける反日広告代理店、電通を叩き潰せ」・「電通は、韓流ブーム捏造商法をやめろ」など、抗議をしました。

【11.20】電通・朝日新聞抗議デモ【電通本社前】(動画) http://youtu.be/ER-4TGf6IQg

>日本統治下にあった現在の韓国・天安市で生まれ、1953年電通入社

韓国で生まれ育った成田豊は、日本に帰化した韓国系日本人と言われていますが、成田豊が死去しても、電通には反日勢力が残るのですから反日広告代理店は変わりません。

>新聞やテレビ各社だけでなく、各国の要人・首脳と幅広い人脈を築いた

電通は、日本の政財界との関係も深くて、有力者の子供がコネ入社をしていますが、フジテレビが放送している、キム・テヒ主演の「僕とスターの99日」の企画は、成田豊の息子でフジテレビ社員の成田一樹です。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1202512/img_1202512_35856823_1?20111121152431

 

>02年の会長就任後は海外事業を主に担当、中国や韓国などとの交流を深めた

2002年の日韓共同開催でのサッカー・ワールドカップでは、韓国は遅れて招致に乗り出したのに、日本の単独開催を日韓共同開催へと主導したのが、当時電通の会長だった成田豊でした。

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大学入試センター試験の「外国語」に韓国語が加わったのは、日韓共催でのサッカーW杯が行われた2002年(平成14年度)で、韓国政府の要請を受けて日本政府が決定しましたが、これは成田豊が関係していたと言われています。

NHKが2003年4月~9月までBS2で、2004年4月~8月までNHK総合で放送した「冬のソナタ」から、日本は韓流ブームと騒がれて来ましたが、これも当時電通の会長だった成田豊が仕掛けたものです。

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電通支配のテレビ局は、在日利権の「パチンコメーカー」(パチンコ台)や「パチンコホール」(パチンコ屋)のCMを年々増加していますが、これも電通の成田豊が仕掛けたものです。

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韓国で生まれ育ち、韓国から功労者だと認められた成田豊は、2009年3月24日、韓国政府から外国人に贈られる最高等級の勲章「修交勲章光化章」を授与しました。

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韓国の国策で儲ける「電通」に、広告費支配されているテレビ局ですが、電通は、プライムタイムのスポンサーの割り振りに実質的な独占的決定権を持つので、番組にCMを出したい広告主は電通を通すしかないと言われています。

日本国内二大広告代理店「電通」と「博報堂」の2011年9月分種目別売上高前年同月比を見ると、電通は「その他」の部門が伸びていて、金額は157億1800万円、インターネット48億1800万円の3倍強の額面に相当します。

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リリースの説明で「その他」の具体的内容は、「衛星その他のメディア、メディアプランニング、スポーツ、エンタテインメントその他コンテンツなどの業務が含まれます」とあるだけで、詳細は不明でどのような案件が前年同月比7割増かは把握できません。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1202512/img_1202512_35856823_7?20111121152431

 

電通・博報堂の2011年9月における部門別売上高で、電通は「テレビ」部門売上高は552億7400万円、前年同月比7,2%増、「テレビ」・「その他」部門が伸びていることが、韓流ブーム捏造に関係があるのでしょう。

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1202512/img_1202512_35856823_8?20111121152431

 

私は評価をしていない政治評論家の森田実は、2005年に「電通批判」をしたことが原因で、マスコミから追放されましたが、当時の様子を自身のホームページで説明しています。

森田実の言わねばならぬ
代社会は「広告社会」であり、
独占的な広告企業の影響力は絶大である。
米国においては、この巨大な影響力を政治に利用している。
日本も米国に従って政治に利用している。
だが、広告は政治に使われてはならない。  2005年6月頃のことだが、私は本欄において、
ワシンシン、ニューヨークからの情報にもとづいて、
「米国の保険業界が、日本の郵政民営化を実現するために、
米国の独占的広告会社を通じて
日本の広告代独占企業である「電通」に、
日本国民が『民営化は善、官営は悪』と考えるようにする
コマーシャルを依頼した。
その金額は5000億円といわれている。
この計画は実行された」と書いたことがあった。  この一文は大きな反響を巻き起こした。
たとえばマスコミ界で働く友人から
こんな電話がかかってきた。  「森田さん、電通はマスコミ界の王様。
巨大な独占体。絶対者だ。電通に睨まれたら、
テレビ局もラジオ局も新聞社も、
ましてや個人は、みんなつぶされる。
だから、誰も電通批判はしない。
批判したとたんに首がとぶ。
社会から抹殺される。
森田さん、あなたはこれでお仕舞いだ。
電通を名指しで批判した者は、
マスコミ界にはいられなくなる。
電通は絶対者なんですよ」。  テレビ局の友人からはこんな手紙がきた。  「森田さんのマスコミにおける言論活動には、
これまで政府・自民党側からきびしい批判があったが、
テレビ局内にも少数だが良心的ジャーナリストはいる。
彼らは森田さんのような反体制的な発言も
報道したいと思っていた。
しかし、森田さんは『虎の尾』を踏んでしまった。
電通批判をしたら
マスコミの世界では生きていけない。
これから森田さんに出演を依頼するテレビ局は
なくなるでしょう。
残念ですが、さようなら」。  もう一つのエピソード。
最近、東北地方の某県に講演に行ったとき、
地元テレビ局に出向している知人が訪ねてきた。
彼は会うなりこう言った。  「よう! ただ一人電通批判をやった森田さん。
森田さんは、テレビ界では
『電通批判をやったただ一人の人』
と言われているんです。
電通批判以後、
テレビ、ラジオ、新聞の仕事はなくなったでしょう。
電通批判をしたらマスコミ界では仕事はできません。
これからどうするんですか? 
それに森田さん、
あなたは公明党・創価学会批判もしている。
マスコミ界では創価学会批判はタブーです。
マスコミでは電通と創価学会を批判したらダメです」。
(森田実の時代を斬る)抜粋
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/C03008.HTML

 

http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/1c/80/x1konno/folder/1202512/img_1202512_35856823_9?20111121152431

 

電通の成田豊最高顧問は、「11.20フジデモwith電通・朝日新聞抗議デモ」が決行された当日に死去しましたが、政界への影響力を持って、売国テレビ局と売国企業を結び付ける反日広告代理店、電通を叩き潰すべきです。

良識ある日本国民の皆様、反日広告代理店の電通についてご考慮下さい。

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転載元 転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘

 

 

 

 


皇室の一週間

2011年11月21日 22時43分28秒 | 無題

美しい国からの転載です。今回のブータン国王夫妻のような国賓を迎えて、政府ではなく皇室によるご挨拶や歓迎行事があるということは、ほんとうにわが国の外交に文化や、心の豊かさといったものを添える感じがします。 

それにしても、天皇陛下のご入院は非常に心配な思いがあります。一日も早い御平癒をお祈り致します。

 

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天皇陛下、皇后陛下 御尊影
 
 
 
 

君が代
 
 
 
謹んでお伝え致します。
 
本ブログでも紹介させていただいた記事に、各宮家のご動静などをお知らせします。
  
畏きあたりにおかせられましては、ご不例につき東京大学医学部付属病院に入院あそばされておられますが、平熱まで下がり19日には安定した症状で過ごしあそばされた。依然としてせきはあるものの、音楽をかけながら、病院内を歩く軽い運動もなされたということです。
 
 
皇后陛下におかせられましては14日午前、午後と畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては15日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、御所におかれまして、被災地域の児童図書 館復旧支援につき、松岡享子・東京子ども図書館理事長から説明お受けあそばされた。午後にも畏くも天皇陛下を見舞いあそばされ、夜には東大病院におかれま して畏くも、天皇陛下、皇后陛下におかせられましては、秋の勲章受章者および褒章受章者拝謁ご代行、南アフリカ国民議会議長夫妻引見ご代行を秋篠宮文仁親 王殿下、同妃紀子殿下より報告お受けあそばされた。
皇后陛下におかせられましては16日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、迎賓館赤坂離宮にブータン国王陛下、王妃陛下を訪ねられ、ごあいさつをなさりあそばされた。
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下と会見あそばされる皇后陛下 御尊影=16日午前、東京都港区元赤坂の迎賓館「彩鸞の間」
 
 
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下と握手あそばされる皇后陛下 御尊影=16日午前、東京都港区元赤坂の迎賓館「彩鸞の間」
 
 
皇后陛下におかせられましては16日午後、宮城・窓明館におかれまして、勤労奉仕団ごあいさつ、夜には畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては17日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、宮城・窓明館におかれまして、勤労奉仕団ごあいさつ、午後には、離任する駐日ベトナム大使夫妻をご引見あそばされ、再び畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては18日午前、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
その後、迎賓館赤坂離宮にブータン国王陛下、王妃陛下を訪ねられ、お別れのご挨拶をなされた。
 
 
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ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下、王妃陛下にあいさつあそばされる皇后陛下 御尊影=18日午前、東京・元赤坂の迎賓館
 
 
 
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皇后陛下を見送りあそばされるブータンのワンチュク国王陛下(中央)とジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=18日午前10時39分、東京都港区元赤坂の迎賓館
 
 
 
畏くも天皇陛下におかせられましては18日午後、東大病院におかれまして、皇太子徳仁親王殿下より国事行為臨時代行、山梨県開催の恩賜林御下賜100周年記念大会臨席の名代、ブータン国王夫妻にかかわる名代などにつき報告を受けあそばされた。
皇后陛下におかせられましては18日夜、畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
皇后陛下におかせられましては19日午前、午後と畏くも天皇陛下を見舞いあそばされた。
 
7日以降、畏くも天皇陛下ご不例により、国事行為 の臨時代行や地方行幸の名代などで、皇太子徳仁親王殿下は忙しい日々を過ごしあそばされた。中でも、15日に国賓として来日したブータンのジグメ・ケサ ル・ナムゲル・ワンチュク国王陛下、王妃陛下を歓迎する一連の国賓行事では、両陛下の名代を務めあそばされ、両国の友好親善に務められた。
16日午前には、宮城・宮殿東庭で、国王陛下、王妃陛下の歓迎行事が行われた。皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下が臨まれた。
 
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歓迎行事で国歌を聞く(左から)ブータンのジェツン・ペマ王妃陛下、ワンチュク国王陛下、皇太子徳仁親王殿下 御尊影=16日午前、宮城
 
 
 
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歓迎行事に臨まれた皇太子徳仁親王殿下とブータンのジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=16日午前、宮城
 
 
夜には宮殿で宮中晩餐会が催され、皇太子徳仁親王殿下、秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下と成年皇族として初の公務となった眞子内親王殿下、常陸宮正仁親王殿下、高円宮妃久子殿下と次女の典子女王殿下が陪席あそばされた。
 
 
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宮中晩さん会の招待者を迎えるために並んで立たれる皇太子徳仁親王殿下とブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「石橋の間」 
 
 
 
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ブータンのワンチュク国王陛下、王妃陛下を招いた宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
 
 
 
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宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下とブータンのワンチュク国王陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
 
 
 
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宮中晩さん会で乾杯あそばされる皇太子徳仁親王殿下とブータンのジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影 =16日午後、宮城・宮殿「豊明殿」 
 
 
 
ブータンパロ王宮の庭で行われていた弓技大会で弓を弾かれる浩宮徳仁親王殿下(当時) 御尊影(昭和62年)
 
 
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては昭和62年にブータンを訪問されたことがあり、ブータンの民族衣装を着て当時撮影した写真を持参するなど、国王陛下と和やかに会話を楽しまれました
皇太子徳仁親王殿下におかせられましては18日午前、国王夫妻の宿泊先の迎賓館を訪れ、この日、東日本大震災で被災した福島県相馬市を訪問するため東京を出発する国王陛下、王妃陛下にお別れのあいさつをされた。
 
 
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皇太子徳仁親王殿下を出迎えあそばされるブータンのワンチュク国王陛下(中央)。左端はジェツン・ペマ王妃陛下 御尊影=18日午前10時、東京都港区元赤坂の迎賓館
 
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代わりに務められた公務などについて報告あそばされるため、天皇陛下が入院される東大病院に入られる皇太子徳仁親王殿下 御尊影=18日午後
 
 
 
国賓行事を終えあそばされた皇太子徳仁親王殿下は18日夕、東大病院を訪れられ、国事行為の臨時代行を含め7日以降の務めについて、畏くも天皇陛下に報告あそばされた。
 
 
各宮家は今週もさまざまな公務をなされました。
 
秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下におかせられましては12日、国技館(東京都墨田区)で、「第20回全国ボランティアフェスティバルTOKYO」開会式にご台覧あそばされた。
 
 秋篠宮文仁親王殿下におかせられましては12、13の両日、東京農業大学世田谷キャンパス(東京都世田谷区)で生き物文化誌学会第9回学術大会におでましあそばされた。14日には山階鳥類研究所(千葉県我孫子市)で所員会議に出席された。
 
 
 
 秋篠宮文仁親王殿下におかせられましては15日、宮城・宮殿で、ご不例により入院中の畏くも天皇陛下に代わり秋の勲章受章者らと会い、陛下のお言葉を伝えられた。秋篠宮文仁親王殿下が陛下の代わりを務められるのは初めてです。
 
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秋の勲章受章者らと面会あそばされる秋篠宮文仁親王殿下 御尊影=15日午後、宮城・宮殿「豊明殿」
 
 
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南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と握手される秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下 御尊影=15日午後、宮城・御所「小広間」
 
 
 
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南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と会見される秋篠宮ご夫妻=15日午後、皇居・御所「小広間」
 
 
続いて秋篠宮文仁親王殿下、同妃紀子殿下におかせられましては、両陛下に代わり、宮城・御所におかれまして、南アフリカのシスル国民議会議長夫妻と懇談あそばされた。その後、東大病院を訪ねあそばされ、畏くも天皇陛下に、代わりを務めた公務について報告あそばされた。
 
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少年の主張全国大会の会場に到着あそばされ、関係者の出迎えを受けられる秋篠宮文仁親王妃紀子殿下 御尊影=13日午後、東京都渋谷区の国立オリンピック記念青少年総合センター
 
 秋篠宮文仁親王妃紀子殿下におかせられましては13日、国立オリンピック記念青少年総合センター(東京都渋谷区)で、平成23年度「少年の主張全国大会~わたしの主張2011~」におでましあそばされた。
 
 常陸宮正仁親王殿下におかせられましては17日、国立科学博物館(東京都台東区)で、企画展「化学者展-ニッポンの近代化学の夜明け-」と企画展「ノーベル賞110周年記念展」をご覧あそばされた。
 
 常陸宮正仁親王妃華子殿下におかせられましては16~18日の日程で、大分県と福岡県におでまし。平成23年度九州八県赤十字大会と福岡県日赤紺綬会第52回総会にご台覧あそばされた。
 
 高円宮妃久子殿下におかせられましては15日、大阪府におでまし、平成23年度大阪府赤十字大会にご台覧あそばされた。
 
 
 
畏くも天皇陛下におかせられましては、ご静養あそばされ、一日も早いご平癒をこころより祈念いたします。
 
 
 
 
尊 彌榮 彌榮 彌榮
  
  
日本國民(やまと民族)は皇室と共に・・・・
  
  
 

転載元 転載元: 美しい国

 

 


取り戻すこと

2011年11月21日 17時05分34秒 | 無題

   さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。教育勅語以前の明治の時代が、かなり欧米礼讃的な空気で、それまでの伝統文化をを捨ててしまい、なにか浮ついた感じで風紀がひどく乱れたという話は聞いていましたが、そのひどさは今まで想像していた以上だったようです。やはり革命的な部分もしっかりとある以上、社会的混乱は免れず、そこには思った以上大きい損失があったんですね。

そして同じような革命的変革は、敗戦後の日本にもやってきました。これは明治以上の大きな変化だったかも知れません。何故なら、明治は日本が自発的に変革してものですが、敗戦による変革は、アメリカの占領軍によってもたらされたいわば外からの強制、さらには戦勝国の視点によるプロパガンダを伴った洗脳によるものだからです。戦後から66年間の間に、失われたものがあることは確かなことです。しかしそれすらも日本人ははっきりとは意識できないでいるのではないでしょうか。この66年間という長さ、その間に本来の自分をすら忘れてしまうほど、時間は経過しました。それでも今の社会がなにか間違っていると思わずにはおれないのではないでしょうか。そして歴史をまじめに研究していった人々は気づき始めました。教えられた歴史と違う真実があることを。

私たち日本人は今、自分たちは何であるか、を見つめ直す時期に来ていると思います。

 

 

転載開始

 

 

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                          (教育勅語奉読)
 
日本の歴史というと、「戦前は悪かった」という一方で、「いいことばかりあった」ように思うのも大きな間違いでしょう。実際は全て美談のようなことはありません。当然よくない時も過ごしてきたのです。 
しかし、日本を誇りに思えるのはその「よくない時」から立ち直ることができるということです。 
今回も前回に続き中西輝政氏の著書から引用し、数回引用した最後としたいと思います。 
・・・・・・・ 
 
人は平時が続くと、変化に対する反応が遅くなります。 
とりわけ、本来、変化を好まない傾向がある日本人は、状況は変化しているのに平時のものの見方、考え方を変えられず、気付いた時には取り返しがつかないほど社会が荒廃していた、という事態に陥りがちです。 
 
明 治維新は、日本人だからできた「無血革命」だと言われますが、実際は相当な犠牲を払っています。戊辰戦争では何万という人命が失われましたし、三百年続い た徳川の世が全否定されたことで、社会では大きな悲劇もたくさん生まれ、物理的、精神的な文化的遺産もゴミのように捨て去られました。 
明治維新は起こるべくして起こった社会変革ではありましたが、黒船来航以降の変化、諸藩の動きや考え方の変化に幕府がもっと早く、柔軟に対応していたら、犠牲は最小限に抑えられ、もっとスムーズな社会変革が可能だったのではないかと思えてなりません。 
 
結果的に、急激に社会が変わることになり、その中で日本本来の良さも失われてしまいました。
ほ んの一例ですが、アメリカのボストン美術館には日本の優れた仏教芸術が数多く展示されています。維新期の「廃仏毀釈運動」で日本人が仏教を排斥したため に、膨大な仏教芸術が海外に流出したのです。それまで大切に育ててきた文化まで無造作に捨て去ってしまったのですから、やはり明治維新は行き過ぎた社会変 革だったと言わざるを得ません。
 
教育にしても同様のことが言えます。明治天皇は非常に優れたバランス感覚の持ち主で、西洋の技術を取り入れることを指示する一方、日本人本来の精神性はくれぐれも失わないように、とつねづね言っていました。
と ころが為政者たちは「文明開化」をスローガンにして、日本の良さを顧みず、何でも西洋化しようとしました。明治天皇はたびたび「詔書」を出し、日本人には 日本人にふさわしい教育をすべしと繰り返し自ら主張されましたが、当時の文部省は素知らぬ顔です。そんな江戸時代の封建性の名残のような教育など日本の近 代化の邪魔になるだけだ、というのが彼らの考え方でした。
 
し かし、その一方で、人々のモラルは低下し、明治初期の日本では社会の風紀が大きく乱れました。例えば小学生の子供が休み時間にたばこを吸っている。お巡り さんが大道で平気で博打をする。勤め人が昼間から酒を持って歩いている。男女の性道徳も前の時代に比べ著しく乱れ始めました。明治十年から二十年ごろ、日 本の社会はそこまで荒廃していたのです。
そ のころ来日した外国人は日本への失望感をあらわにしています。『インド人も怠惰だったけれど、日本人はそれに輪をかけてひどい』と書き残しているイギリス 人もいます。当時のイギリスは産業革命の最中で、国民全体が大変勤勉だった頃ですから、なおさら日本人の堕落ぶりがひどく映ったのでしょう。
 
こ んな状態が続き、明治二十年ごろになると、さすがに国政を担う人々も方向性を誤っていることに気付き始めました。急速に西洋化が進む一方で社会のあまりの 荒廃に危機感を募らせた人々、特に上からは明治天皇から一部の政治家や、当時「国粋派」と呼ばれて特に危険視されていた学者たちが立ち上がりました。そう した努力の一環として打ち出されたのが「教育勅語」(明治二十三年)でした。
しかし、こうした「上からの動き」と併せて、実は地方から、そして庶民の間からも自発的な教育やモラルの改善運動が起こってきました。そして日本人全体が社会の近代化の大切さを踏まえつつも、自分たちがかつて持っていた文化に対する誇りを取り戻し始めました。
ここから日本は立ち直りますが、幕末から明治までに失われたものの大きさを考えると、変化への対応の遅さがつくづく悔やまれます。
 
好むと好まざるとに関わらず時代は変化していきます。そうした変化には合わせてゆかねばなりません。
その上で「変化にはコストがかかる」という視点から、そのバランス・シートを考えてみる必要があります。
この時、日本人にとって特に大切なのは決して情緒的に反応せず、あくまで冷静かつ合理的な姿勢に徹することです。「それ行けドンドン」や「石橋を叩いても渡らない」というのは、いずれも堕落、精神の劣化です。
・・・・・
 
やはり教育というのは大きいと思います。戦後、日本の教育は荒廃し続けていると言います。
特にモラルや道徳、日本のよき精神を教えないことが、日本社会に大きな影響を与えていることは明らかです。
日本人に「個人主義」や「自由」、「権利」などというものはあわないものだと思っています。
日 本人の優れた面はもちろん個人の力というのもあるでしょうが、大きく発揮されるのはやはり集団行動にあると思います。その根幹は日本人の規律の正しさ、自 分より他人をいたわり、互いに思いやり、そしてともに行動する時に大きな力となる。そこには自分勝手な自由や権利の主張などあり得ないのです。
西洋人と日本人は違います。グローバルという言葉に釣られて何でも国際基準にする必要などないではありませんか。なぜなら、それ以上に日本人と日本という国は優れた、素晴らしいものを本来は持っているからです。
 
 
・・・・・・・・・
 
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転載元 転載元 さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」