さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」からの転載です。教育勅語以前の明治の時代が、かなり欧米礼讃的な空気で、それまでの伝統文化をを捨ててしまい、なにか浮ついた感じで風紀がひどく乱れたという話は聞いていましたが、そのひどさは今まで想像していた以上だったようです。やはり革命的な部分もしっかりとある以上、社会的混乱は免れず、そこには思った以上大きい損失があったんですね。
そして同じような革命的変革は、敗戦後の日本にもやってきました。これは明治以上の大きな変化だったかも知れません。何故なら、明治は日本が自発的に変革してものですが、敗戦による変革は、アメリカの占領軍によってもたらされたいわば外からの強制、さらには戦勝国の視点によるプロパガンダを伴った洗脳によるものだからです。戦後から66年間の間に、失われたものがあることは確かなことです。しかしそれすらも日本人ははっきりとは意識できないでいるのではないでしょうか。この66年間という長さ、その間に本来の自分をすら忘れてしまうほど、時間は経過しました。それでも今の社会がなにか間違っていると思わずにはおれないのではないでしょうか。そして歴史をまじめに研究していった人々は気づき始めました。教えられた歴史と違う真実があることを。
私たち日本人は今、自分たちは何であるか、を見つめ直す時期に来ていると思います。
転載開始
(教育勅語奉読)
日本の歴史というと、「戦前は悪かった」という一方で、「いいことばかりあった」ように思うのも大きな間違いでしょう。実際は全て美談のようなことはありません。当然よくない時も過ごしてきたのです。
しかし、日本を誇りに思えるのはその「よくない時」から立ち直ることができるということです。
今回も前回に続き中西輝政氏の著書から引用し、数回引用した最後としたいと思います。
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人は平時が続くと、変化に対する反応が遅くなります。
とりわけ、本来、変化を好まない傾向がある日本人は、状況は変化しているのに平時のものの見方、考え方を変えられず、気付いた時には取り返しがつかないほど社会が荒廃していた、という事態に陥りがちです。
明 治維新は、日本人だからできた「無血革命」だと言われますが、実際は相当な犠牲を払っています。戊辰戦争では何万という人命が失われましたし、三百年続い た徳川の世が全否定されたことで、社会では大きな悲劇もたくさん生まれ、物理的、精神的な文化的遺産もゴミのように捨て去られました。
明治維新は起こるべくして起こった社会変革ではありましたが、黒船来航以降の変化、諸藩の動きや考え方の変化に幕府がもっと早く、柔軟に対応していたら、犠牲は最小限に抑えられ、もっとスムーズな社会変革が可能だったのではないかと思えてなりません。
結果的に、急激に社会が変わることになり、その中で日本本来の良さも失われてしまいました。
ほ んの一例ですが、アメリカのボストン美術館には日本の優れた仏教芸術が数多く展示されています。維新期の「廃仏毀釈運動」で日本人が仏教を排斥したため に、膨大な仏教芸術が海外に流出したのです。それまで大切に育ててきた文化まで無造作に捨て去ってしまったのですから、やはり明治維新は行き過ぎた社会変 革だったと言わざるを得ません。
教育にしても同様のことが言えます。明治天皇は非常に優れたバランス感覚の持ち主で、西洋の技術を取り入れることを指示する一方、日本人本来の精神性はくれぐれも失わないように、とつねづね言っていました。
と ころが為政者たちは「文明開化」をスローガンにして、日本の良さを顧みず、何でも西洋化しようとしました。明治天皇はたびたび「詔書」を出し、日本人には 日本人にふさわしい教育をすべしと繰り返し自ら主張されましたが、当時の文部省は素知らぬ顔です。そんな江戸時代の封建性の名残のような教育など日本の近 代化の邪魔になるだけだ、というのが彼らの考え方でした。
し かし、その一方で、人々のモラルは低下し、明治初期の日本では社会の風紀が大きく乱れました。例えば小学生の子供が休み時間にたばこを吸っている。お巡り さんが大道で平気で博打をする。勤め人が昼間から酒を持って歩いている。男女の性道徳も前の時代に比べ著しく乱れ始めました。明治十年から二十年ごろ、日 本の社会はそこまで荒廃していたのです。
そ のころ来日した外国人は日本への失望感をあらわにしています。『インド人も怠惰だったけれど、日本人はそれに輪をかけてひどい』と書き残しているイギリス 人もいます。当時のイギリスは産業革命の最中で、国民全体が大変勤勉だった頃ですから、なおさら日本人の堕落ぶりがひどく映ったのでしょう。
こ んな状態が続き、明治二十年ごろになると、さすがに国政を担う人々も方向性を誤っていることに気付き始めました。急速に西洋化が進む一方で社会のあまりの 荒廃に危機感を募らせた人々、特に上からは明治天皇から一部の政治家や、当時「国粋派」と呼ばれて特に危険視されていた学者たちが立ち上がりました。そう した努力の一環として打ち出されたのが「教育勅語」(明治二十三年)でした。
しかし、こうした「上からの動き」と併せて、実は地方から、そして庶民の間からも自発的な教育やモラルの改善運動が起こってきました。そして日本人全体が社会の近代化の大切さを踏まえつつも、自分たちがかつて持っていた文化に対する誇りを取り戻し始めました。
ここから日本は立ち直りますが、幕末から明治までに失われたものの大きさを考えると、変化への対応の遅さがつくづく悔やまれます。
好むと好まざるとに関わらず時代は変化していきます。そうした変化には合わせてゆかねばなりません。
その上で「変化にはコストがかかる」という視点から、そのバランス・シートを考えてみる必要があります。
この時、日本人にとって特に大切なのは決して情緒的に反応せず、あくまで冷静かつ合理的な姿勢に徹することです。「それ行けドンドン」や「石橋を叩いても渡らない」というのは、いずれも堕落、精神の劣化です。
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やはり教育というのは大きいと思います。戦後、日本の教育は荒廃し続けていると言います。
特にモラルや道徳、日本のよき精神を教えないことが、日本社会に大きな影響を与えていることは明らかです。
日本人に「個人主義」や「自由」、「権利」などというものはあわないものだと思っています。
日 本人の優れた面はもちろん個人の力というのもあるでしょうが、大きく発揮されるのはやはり集団行動にあると思います。その根幹は日本人の規律の正しさ、自 分より他人をいたわり、互いに思いやり、そしてともに行動する時に大きな力となる。そこには自分勝手な自由や権利の主張などあり得ないのです。
西洋人と日本人は違います。グローバルという言葉に釣られて何でも国際基準にする必要などないではありませんか。なぜなら、それ以上に日本人と日本という国は優れた、素晴らしいものを本来は持っているからです。
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