熨斗(のし)

のし(熨斗)について、趣味について、色々なことを綴っていきます

父の事

2010-09-26 18:45:42 | ひとりごと

松本市美術館で県展が行われているので、実家の両親を連れて見に行きました。
父の作品が展示されているからです。

父は85歳になりました。
8年ほど前、顔の筋肉の病気で目が開かなくなり、眼球に問題はないのに目が見えなくなりました。
瞼が開かないだけではなく、開けようとすると頭痛や吐き気に襲われ、いろんな病院を回ってみましたが改善は見られず、
どの医者も「治らない」という事でした。
多分、その、治らない・・の言葉の裏には「もう年ですから、仕方がないでしょう・・」という意味が含まれていた気がします。
一度ある大学病院で瞼を上げる手術をしたのですが、すぐに同じような状態に戻り、目が見えない状態が1年近く続いた頃、心労も重なり、
胃がんになり、胃の3分の2切除して、会った人が見間違えるほどに痩せて行きました。

父はどうしても目を治したいと言い、もう一度以前の大学病院に行きたいと言いだしました。これでダメなら諦めると・・。
もうやる事はないから来なくていいと言われていたので、大学病院の先生の前で、とりあえず、私が状況を説明した後、
小さくなった父は黙って座っていただけでした。
今でもその時の情景をはっきり覚えています。
しばらく沈黙の時が続き、先生が「何とかしてやりたい・・・」と一言だけ言いました。

その後、私に言いました。
「これから先の人生、目が開きっぱなしでもいいか?」と。
瞼の閉じる為の筋肉を切断して、開けたままで生活するという事でした。
眠る時はアイマスクをしたり、サングラスをかけたり、目薬を点したり、目を閉じないで生活することなど考えてもみなかったので、
それでもいいか?の質問に私は意味すらつかめていませんでしたが、
父は、即答で「いいです」と言いました。
忙しい有名な先生で、2年先まで予約でいっぱいでしたので、「キャンセルがあったらすぐ電話するから、その日にでも来れるか?」
と私に聞かれたので、「来ます」と答えました。

その瞬間から、父の人生は変わりました。この時78歳でした。
元々好きだったとはいえ、
80歳から彫刻を始め、南信美術展に出し、82歳で初入選。

この作品、飛び込みの瞬間を彫ったらしいのですが、審査の先生が
83歳とは思えない力強さを感じると言って下さいました。

   平成20年作品 飛び込み

昨年のこの作品は県展でも賞を頂きました。


    平成21年作品 鶏


     平成22年作品  青鷺

今年も入選し、
私は、作品の良し悪しは大して分からないのですが、
80歳から何かを始めようとする事。
県展にでもどこにでも出してみようとする気持ち。
一木から生み出されて行く生き物に、85歳の人の彫った物とは思えない
エネルギーを感じます。
何歳になっても、どんな事があっても、前を向く事、諦めない事。
父から教えられている事です。

父の目は5年経って、閉じるようにもなり、元の目に戻りました。