四国88ケ所巡礼一番・二番から冥土の旅をスタート(徳島余聞②)(2009.8.28)

2009-08-28 06:24:15 | Weblog

*瀬戸内寂聴さんの実家の瀬戸内仏具店。歓迎お遍路さんの赤い幟が冥土の旅に誘います。

 昨年に続いての徳島阿波踊り参加ですが、昨年と大きく違う気持ちがありました。
 わが寿命は無限大と思っていた昨年までと違い、今は、そうでもなさそうだ、と感じているのです。阿波踊りの旅の自由時間には、冥土の旅の準備として、四国88ケ所の一番、二番札所をまわっておかなければと思っていたのです。

*初めての駅におります(板東駅)。

 阿波踊り遠征の第3日目の午前は、まるまる空いています。徳島駅から高徳線で30分ほど。板東駅におります。むろん白装束スタイルでなく、Tシャツスタイルです。駅前の古そうな道を東に、そして北に折れて、一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)に着きます。駅から20分です。

*山門前の白装束姿のマネキンさんにガックリでした(一番札所・霊山寺)。

 巡礼さんの姿はなく、山門前に、白装束姿のマネキンが立っていて、厳粛さというか、祈りの気持ちは、失せてしまいました。まあ、それでも、ここでくじけたら、いかんぞ、と思い進みます。
 まず、2500円出して朱印帳を買います。すでに、一番札所・霊山寺の朱印は押してありました、300円。本堂で、手を合わせます。私に関わる何人もの顔を思い浮かべ、無病息災を祈ります。

*なぜかここに原爆の火がありました。

 それから、東へ20分歩き、二番札所・極楽寺(ごくらくじ)に着きます。
 さっと境内を通り過ぎ、奥のお寺に向かいます。少しお賽銭を投げ入れ、手を合わせます。朱印をもらおうと探したら売店の片隅でした。お坊さんでなくアルバイトの女性がさらさらと書いてくれ、ポンポンと朱印を押してくれます、300円。

*父母子のお遍路さん、どんな思いがあるのでしょう(二番札所・極楽寺)

*弘法大師お手植えの杉です。

 ここから40分歩けば、三番札所・金泉寺ですが、もういいか、という気持ちなりました。金剛杖をつきながら、鈴を鳴らし、ご詠歌を唱なえながら歩いてみようかと、思っていたのですが、まだまだ、なじめません、そんな気になれません。一番・二番だけですが、ちょっとチャラチャラしすぎで、心は洗われそうにありません。

  ひょっとすると、私の冥土の旅は、まだまだ先じゃあないか、と感じたのです。

    【おまけ】

* 一番札所から二番札所に歩いていて、<俘虜(ふりょ)収容所跡>の標識を見つけていました。戻りながら、田舎道を北へ歩いてみました。ちょっと開けた林にぶつかり、板東俘虜収容所の看板があるゲートにつきました。

*この木立の中で、<第九>が演奏されたようです。赤い電灯たったひとつが<怖いところ>を感じさせます。子どもの頃、駐在所がそうだった。

* 第一次世界大戦で、日本は、ドイツの租借地だった中国・青島(チンタオ)攻撃し、敗れたドイツ兵士5000人が俘虜となって日本各地の収容所に送られたのです。四国にいた1000人が、1917年(大正6年)から3年間、この地で過ごしたのです。

* 地域の人々も、俘虜たちの進んだ技術や文化を取り入れようと、牧畜・製菓・西洋野菜栽培・建築・スポーツの指導を受けたといいます。

* 音楽面では、複数のオーケストラや楽団、合唱団が定期的にコンサートを開き、なかでも、ベートーヴェンの交響曲第9番を、日本で初めて全曲演奏したとのことです。

*ドイツ館といっても、小さなテーマパークです。

*しばらく賀川豊彦記念館にいました。

* 収容所跡地から10分ほど歩いたところに、鳴門市ドイツ館あって、そのあたりの事情を展示していました。また、近くには、<賀川豊彦記念館>もあって、徳島の地の大正文化を知ったのです。 徳島には、不思議な伝統文化がありそうです。