この新聞記事をスクラップしていました。この歌手さんは全く知りませんでした。ビョーク(Björk Guðmundsdóttir)です。ネットで調べてみて、日本との関係もいくつかあるのですが、全く知りませんでした。
昔と違って今、私は“演歌志向”になっているのかもしれません。
<アイスランド出身の女性シンガー・ソングライターのビョークさんが2日、上海で開いたコンサートで“チベット独立”を叫び、物議を醸している。中国紙「環境時報」などが伝えた。報道によると、ビョークさんは上海国際体操センターのステージ上で、「ディクレア・インディペンダンス」(Declare Independence)という曲を歌った際、「あなたたちの旗を高く掲げ、独立を宣言しよう」という歌詞の後に「チベット!チベット!」叫んだ。>(北京=西村大輔/朝日新聞2008年3月6日付)
「ディクレア・インディペンダンス」という歌を聞いたことはありませんが、タイトルは、独立宣言の意味ですね。
これは大変だ、身柄拘束だろう、と思ったのです。続報を探しましたが見つかりませんでした。そうした中の3月14日に、チベット(中国のチベット自治区)のラサで暴動が起こったのです。メディアも大きく扱っています。同時に、中国側による報道に対する束縛も伝えられています。メディアもそのことに注意を喚起しています。
正確な騒乱状況の報道はなされていないかもしれません。
長年思っていたチベット放浪を、今年あたり実現させたいと思っていました。
*世界中の仏教徒が拝む聖山・須弥山です。チベット西部にある“カンリンボチェ(カイラス山)”。昭和2年に旅した長谷川傳次郎の写真集(昭和50年復刻、25,000円)、高くて買えないのでパンフレットを眺めて、行きたいと思ってきました。もう体力的に無理かもしれません。
中国のチベット族への重圧に対する、チベット民族のリアクションでしょう。それを力で封じ込めようとする図式は容易に想像できます。
もっとも私の知識は、1997年のアメリカ映画“セブン・イヤーズ・イン・チベット”から程度です。心静かなチベットの民に武力で侵攻した中国という印象が強いのです。
<詳しくは、ここにあります>
第2次世界大戦が終わり、新しい世界地図ができたのです。
チベットは、中国に飲み込まれたのです。
1949年10月 中華人民共和国成立
1951年 人民解放軍がラサに進駐
1959年3月 中国統治に抗議する大規模デモ(チベット騒乱)、ダライ・ラマ14世がインドに亡命。
1965年9月 中国政府がチベット自治区設立
*19世紀後半の“広いチベット”です。
*1993年3月のアジア。チベットはありません。(2枚の地図は、娘の社会科の副読本・総合世界史図表から)
私ら、学校の社会科で習う世界地図は、国別に色分けされてことが多いでしょう。
国境は、峻険な山脈や大きな河川によることもありますが、自然地勢図的には国境線はないのです。国境は、はるか古代から人が作った歴史の遺産です。いつの時代も、人の欲望や野心、力によって決まってきたのです。
第2次世界大戦後の世界地図が、今、さらに新しい地図に変わろうとしています。
その動きは、旧ソヴィエト・エリア、バルカン・エリア、当然、中国エリアにも波及しているでしょう。民族は、それぞれ力をためてきたのです。しかし、それは、いつの世にも、武力がものをいうのです。
【おまけ】
*ビョークは、上海コンサートの前の、2月19日、日本での武道館コンサートで、同じ「ディクレア・インディペンダンス」の歌で、“コソボ!コソボ!”と叫んだといいます。その時、日本人聴衆はどういった反応だったのだろうか。
*ビョークを詳しく知りたい方は、<ここにあります>