「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

市民が直接 裁判に向き合う意義

2010年11月02日 11時35分45秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の記事からの続き)

 テレビを見ていると、 今回の死刑判決回避を批判し、

 被告を死刑にすべきだと 声高に言うコメンテーターなどもいます。

 でも こういう人たちは、 死刑というものをまだ 具体的に、

 実感として考えていないのではないだろうか という気もします。

 今回の裁判員経験者は、

 「殺人事件に死刑があることは 当たり前と思っていたが、

 そんなに簡単に 死刑を科すことができるだろうか」、

 「遺族の思いと向き合ったが、 感情だけでは 死刑という判断はできない」

 と思うようになったといいます。

 市民が直接 裁判に参加する 意義が現れています。

 実際に 公判を傍聴した人の中にも、 元々死刑を肯定していたが、

 法廷での 被告の姿を見ていて 考えが変わったという人がいます。

 被害者遺族でさえ 感情に変化があり、

 被告が 「可哀相だ」 という、 “変な気持ち” になってきてしまったそうです。

 ともあれ、 一般市民である 裁判員の人たちは、

 事件を様々な面から 総合的に、 冷静な判断が できたことを示しているでしょう。

 死刑存廃の論議にも 国民が直に 関心を持つようになり、

 裁判員制度の意義は とても大きいと思います。

 さらに 今後は、 死刑か無期懲役かというだけでなく、

 有罪か無罪かから 決めなければいけないケースも出てきます。

(折しも 今日から公判が始まる、

 鹿児島の高齢夫婦強盗殺人事件が それに当たります。)

 現実に 法廷に身を置いて、 生身の被告や被害者遺族に 接する裁判員たちは、

 本当に 真実や量刑の見極めに 苦しむでしょう。

 死刑判決に加わったという 重荷を生涯背負ったり、

 死刑が執行されたときにも 相当心が揺らぐかもしれません。

 裁判員経験者には、 24時間心のケアに当たる 相談窓口がありますが、

 9月までの利用は 6件だそうです。

 裁判所のほうから積極的に ケアを行なうべき、 という意見もあります。

 また、 経験者は守秘義務があるため 周りに相談することもできないので、

 経験者同士が判決後に 話し合う機会を設けてはどうか、 という提案もありました。
 
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