「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

やはり死刑回避、 よんどころなし

2010年11月01日 22時49分26秒 | 死刑制度と癒し
 
 初の死刑求刑となった 裁判員裁判の判決が出ました。

 やはりというか、 死刑は回避されました。

 判決理由では、 僕が 先日の記事に書いた、
(http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/61248667.html)

 極刑しかないとは言えない 要素が考慮されました。

 裁判員にとって、 死刑の選択は 非常に重圧だったでしょう。

 法廷では 主文の言い渡しがあったとき、 遺族の嗚咽も聞こえたといいますが、

 それは 如何とも止むを得ないことです。

 遺族の感情は 判断基準のひとつであって、 報復感情だけで判断するのは、

 江戸時代の仇討ちと 変わらないからです。

 被害者遺族が 犯人を殺したいほど 憎むのは当然ですが、

 国家が正義の制度として、 権力によって 被告を殺すこととは 別次元の問題です。

 従って、 死刑犯対論者が、 自分自身が被害者遺族になった時、

 犯人を殺したいと思っても それはそれで構わないのです。

 でもだからこそ、 被害者遺族の心のケアや 社会的な保障を、

 最大限に充実させることが 何よりも重要だと、 僕は初めから訴えています。

 裁判員の 精神的な負担に関しても、

 今後 アフターケアを充分に やっていくべきだと思います。

 アメリカで 死刑判決を下した 陪審員 〔*注〕 の中には、

 PTSD様症状に悩まされる人も 少なくないそうです。

 拘置されている死刑囚に 復讐されるのではないかと、 恐れる人もいるといいます。

 死刑を宣告した 責任に苛まれたり、

 逆に 検察などに責任転嫁する 人もいるということです。

 まだまだ課題が多い 裁判員制度です。

〔*注: 陪審員制度は 有罪か無罪かを決めるだけで、

 量刑までは決めないのが 基本ですが、 州によっては、

 死刑に関してのみ 全員一致を絶対条件として 科する所があります。

(次の日記に続く)