「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

法相 サインの重責 -- 死刑執行の現実 (10)

2008年11月20日 20時36分48秒 | 死刑制度と癒し
 
(前の日記からの続き)

「 裁判記録は熟読したが、 目を通す前から、

 死刑執行命令書に 判を押さないと決めていた」

 91年、 佐藤恵元法相は、 真宗大谷派の住職でした。

「 仏教の教えからも、

 生まれてきた人の命を 勝手に絶つことは許されない 」

 一方、 同じ浄土真宗の 陣内孝雄元法相は、

 99年、 3人の死刑囚の 執行命令書にサインしました。

 3人とも 殺人を犯して服役し、 仮出所中に再び 人の命を奪ったのです。

「 被害者は どんなに怖かっただろう。 法秩序を守るためだ 」

 執行の数日後、 陣内法相は妻と共に 築地本願寺を訪ね、

 被害者と死刑囚の 供養をしたといいます。


 戦後、 死刑の執行は、76年まで 年間10人を超えていました。

 しかしその後 92年までは、 年平均1.4人という 時期が続きました。

 70年代末、 死刑囚の再審開始が相次ぎ、

 死刑制度を疑問視する 声が強まったのです。

 特に 佐藤元法相を含む 89~92年は、

 死刑執行のない 空白期間となりました。

 93年、 後藤田元法相は、

「 法相が責任を回避したら 国の秩序が揺らぐ 」として、 執行を再開しました。

 ただし、 反対論もあるため、 法相が国会で 説明に追われずに済むよう、

 国会開催中の執行は 避けられました。

 前任の鳩山元法相は、 国会の状況を問わず、

 ほぼ2ヶ月に1度のペースで 計13人の執行を命令しました。

 その都度、 執行対象者の氏名を公表し、 記者会見を開くようになりました。

 7ヶ月後には 裁判員制度の施行が迫っています。

「 死刑について 裁判員に 的確に判断してもらうには、

 刑の執行を 透明化しなければならない 」

 保岡前法相は そう指摘しています。

〔読売新聞より〕

(以上)