「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

死刑存廃について (2)  団藤重光

2007年12月29日 21時02分50秒 | 死刑制度と癒し
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51911546.html からの続き)

 元最高裁判事・団藤重光氏が、判事補時代に担当した 毒殺事件をきっかけに、

 死刑廃止を確信するようになった 話は有名です。

 被告は 無罪を主張していましたが、高裁は死刑判決。

 団藤氏は、絶対に間違いがないか 悩みましたが、

 重大な事実誤認がなければ、最高裁は 高裁判決を破棄できません。

 如何ともしがたく、上告を破棄。

 退廷しようとした 裁判長と団藤氏の背中に、

 傍聴席から 鋭い声が突きつけられました。

 「人殺しーッ!」

 一抹の不安を 抱いていた団藤氏は、その言葉が 胸に突き刺さったのです。

 以来 団藤氏は、死刑廃止の意見を 発信しつづけています。

 被害者遺族が 犯人に死んでほしいと思うのは、当然だと 団藤氏は言います。

 しかし そういう自然な感情を 持つことと、

 国家が制度として 犯人の命を奪うのとは、全く別のことだと。

 世論では 死刑存置が多数ですが、

 政治は 国民の考えに従いながらも 指導しなければならない。

 川の流れを放っておけば 水害になるが、止めてもいけない。

 治水をし、正しい方へ導くのがいい と述べています。

 1年半後にも 裁判員制度が始まりますが、

 迅速で簡潔な 裁判になるため、誤判の可能性も 高くなると言います。

 被害者遺族が法廷で 意見陳述することもできるようになったので、

 裁判員が その場の感情に流され、極刑を下すこともありえます。

 ヨーロッパの参審制の国では、国民が被告に 死刑を言い渡すことはありません。

 団藤氏は、死刑廃止なくして 裁判員制度なし、と強調しています。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51936066.html