「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「フラット革命」 第四章 「公共性をだれが保証するのか」 (1)

2007年12月11日 23時14分16秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51621682.html からの続き)

 これまでの日本社会では、「公」 を保証していたのは マスメディアでした。

 しかし、「わたし」 が浮遊して 「われわれ」 が消失した 現代の社会では、

 新聞の「公」 は 世論を代表していると 言えなくなってきました。

 インターネットの世界の ジャーナリズムでは、記者の取材の内容や、

 取材相手との間で やり取りされたメールなどが、掲示板に公開されるといいます。

 それを見た人が 様々な感想を書き込み、後日

 週刊誌などに発表された 記事を読んで、再び掲示板に 意見や批判を書き込みます。

 そのようなお互いのやり取り、相乗効果こそが、

 インターネットにおける ジャーナリズムだというのです。

 それはプロセスではなく、「場」 なのです。

 新聞社やテレビには 固有の意志がありましたが、

 インターネットは 何かを推し進めるための、統合された機関ではありません。

 ネットに投げ込まれた情報は、融合することなく、

 差異はそのまま残されて、混沌として 存在しているだけです。

 従って、時に誤情報が 瞬く間に伝播して、暴走してしまうこともあります。

 群衆行動が先鋭化して、衆愚を極端にした ファシズムのような方向に

 走ってしまいかねません。

(続く)
http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51670562.html