「境界に生きた心子」

境界性パーソナリティ障害の彼女と過ごした千変万化の日々を綴った、ノンフィクションのラブストーリー[星和書店・刊]

「フラット革命」 第一章 「フラット化するマスメディア」 (3)

2007年12月03日 21時37分56秒 | 心理
 
( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html からの続き)

 新聞記事というのは 記者の一時取材で 得られた情報に、

 分析や解説を加えて でき上がります。

 しかし インターネットの世界では、一時取材の術を持たなくても、

 優れたリテラシーがあれば 膨大な情報の中から 光る石を選んで収集し、

 自分の分析・論評を行なって、新聞以上の記事を 書くことができるのです。

 新聞は 百貨店にはなれても、専門店にはなれません。

 新聞は一時取材、ブロガーが分析・論評という、

 役割分担も 起きてくるというのです。

 以上が マスメディアの危機の3つ目です。
 

 また、社会の 「われわれ」 が喪失し、

 無数の 「わたし」 が 出現してきました。

 従来新聞記事は 無意識的な前提として、

 社会の代弁者たる 「われわれ」 を 主語にして主張をしてきました。

 しかし 「総中流」 時代は崩壊し、

 社会全体が 「われわれ」 と称して ひとつの意見を持つことはなくなりました。

 様々な立場の人が、それぞれの立場から マスコミに異議を唱えだしたのです。

 「われわれ」 は分断され、数多くの 「わたし」 が、

 自分の信じるところを 容赦なく書き込んでいきます。

 牧歌的な正義感による 建前論ではなく、タブーなき言論を 展開するのです。

 ノイズや中傷、友愛と秀逸な言論、あらゆるものが ごった煮となって渦巻く

 インターネットの世界は、生々しい人間社会 そのものではないか。

 その先にやってくるものは 何でしょう? 

(続く)
 
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