( http://blogs.yahoo.co.jp/geg07531/51510325.html からの続き)
新聞記事というのは 記者の一時取材で 得られた情報に、
分析や解説を加えて でき上がります。
しかし インターネットの世界では、一時取材の術を持たなくても、
優れたリテラシーがあれば 膨大な情報の中から 光る石を選んで収集し、
自分の分析・論評を行なって、新聞以上の記事を 書くことができるのです。
新聞は 百貨店にはなれても、専門店にはなれません。
新聞は一時取材、ブロガーが分析・論評という、
役割分担も 起きてくるというのです。
以上が マスメディアの危機の3つ目です。
また、社会の 「われわれ」 が喪失し、
無数の 「わたし」 が 出現してきました。
従来新聞記事は 無意識的な前提として、
社会の代弁者たる 「われわれ」 を 主語にして主張をしてきました。
しかし 「総中流」 時代は崩壊し、
社会全体が 「われわれ」 と称して ひとつの意見を持つことはなくなりました。
様々な立場の人が、それぞれの立場から マスコミに異議を唱えだしたのです。
「われわれ」 は分断され、数多くの 「わたし」 が、
自分の信じるところを 容赦なく書き込んでいきます。
牧歌的な正義感による 建前論ではなく、タブーなき言論を 展開するのです。
ノイズや中傷、友愛と秀逸な言論、あらゆるものが ごった煮となって渦巻く
インターネットの世界は、生々しい人間社会 そのものではないか。
その先にやってくるものは 何でしょう?
(続く)