医療マーケティングの片隅から

医療ライター・医療系定性調査インタビューアーとして活動しています。独立30年を機に改題しました。

ヒトラーとワーグナー家

2013年05月28日 | 音楽


ワーグナーの音楽は、ヒトラーがユダヤ迫害運動のシンボルとして用いたことが原因で、いまだに賛否両論があります。しかし、ヒトラーが一個人としてワーグナーの音楽のファンだったのなら、作曲家がそこまで非難されるいわれもないわけです。そのあたりがもやもやしていたのですが、「ヒトラーとバイロイト音楽祭~ヴィニフレート・ワーグナーの生涯」(ブリギッテ・ハーマン著)を読んで、いろいろなことがわかりました。

ヴィニフレートはワーグナーの長男ジークフリートの嫁。リヒャルト・ワーグナーの4人の孫を育てた母であるだけでなく1930~1944年までのバイロイト音楽祭総監督を務めた人物です。バイロイト音楽祭はワーグナーの作品しか上演されません。ドイツの国家行事的な存在だと思いきや、名声とは裏腹に資金確保に汲々としながら続けられていた、いわばワーグナー家のお家芸のイベントであり、現在でも子孫のプロデュースにより続けられています。

「長男の嫁」であるというだけで、病弱なジークフリート氏が亡くなったあと、全権を委ねられてしまった彼女のプレッシャーは相当なものではなかったかと思われます。ワーグナーの血筋ではないし、いくら音楽家に嫁いだとはいえ特に音楽的才能があったわけではないはず。しかし、世界的な指揮者、演奏家たちと渡り合わなければならなかったのです。

「(ジークフリートが亡くなって)二年足らずのうちに、ムックだけではなくトスカニーニとフルトヴェングラーも辞職、しかも機嫌を損ねて辞職などしたら、私は無能だと非難されることになります」

こんな状況だったし、ワーグナー家には義姉たちがひしめいていて家の中はドロドロ。資金的にも、精神的にも彼女には支えが必要でした。

 

それが、アドルフ・ヒトラーだったのです。

 

長くなるので、その続きはまた。

 

【訂正】
バイロイト音楽祭は、ワーグナーの作品しか上演されない、と書きましたが、リストの楽曲は演奏されたようです。

リヒャルト・ワーグナーの妻コジマが、フランツ・リストの娘だったためで、いわば妻の実家。
現在はわかりませんが、ヴィニフレートが音楽祭の総帥を引き継ぐ直前までコジマも健在でしたし、 少なくとも当時は演奏されていました。
いずれにせよ、実家も含めた壮大な「お家芸」発表会だったのです(身もふたもないなあ)。

一応訂正しておきます。(5月30日追記)

 

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