「ヒトラーとワーグナー家」の続編です。
ユダヤ人の排斥は、何もヒトラーが言いだしたわけではないのですね。
とはいえ、ヒトラーを擁護しようというわけではありませんが。
「ヒトラーとバイロイト音楽祭」で初めて知ったのですが、ヒトラー登場以前から、ドイツにはユダヤ人の対するヘイト・スピーチが蔓延していたのです。
長い経済不況にあえいでいたドイツは、外から流れてきたユダヤ人が自国でうまく商売をするのを苦々しく思っていました。
新聞は「ユダヤ人問題」を書きたて、いわばドイツは国を挙げてヘイト・スピーチを行っていたわけです。
そういえば、ワーグナーの歌劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」にもおかしなところがあります。
唄のうまい異国の貴公子がコンテスト(?)で優勝して、めでたく相思相愛の女性と結ばれるところで終わりかと思いきや、審査委員長格の靴屋が突然「ドイツのモノづくりは世界一だ」だと歌い上げ、全員の「ドイツ万歳!」「アーリア民族万歳!」の合唱で終わるのです。すっごい違和感。
春にこのオペラを「東京春祭」で観て、この展開、本題と何も関係ないじゃんw と思っていたのですが、なんと、ワーグナー自身もそう思っていた由。問題のラストは後で書き足したそうですが、「これって本題と関係ないしなあ~」とためらっていたのだそうです。ワーグナーは世論に押された形で、アーリア民族を讃え上げる歌を無理やり入れたのでしょう。
さて、ワーグナーの死後も相変わらず続くユダヤ人へのバッシングのなか、きら星のごとく登場した若く威勢のいい政治家が、アドルフ・ヒトラーでした。
ヒトラーは、いわばユダヤ問題を“利用して”政治の表舞台にのし上がってきたのです。
その歴史認識は日本ではあまり持たれていないかもしれません。仮想敵を作れば、国内はまとまります。ユダヤ人排斥というコンセプトは、ヒトラーの国づくりの原動力になりました。ヒトラー自身もユダヤの血が流れているという説がありますが、そうだったとすれば、あの状況のなかでそんなカミングアウトができるわけがありません。というか、それ以前に政治家として全ドイツデビューできなかったでしょう。
ヴィニフレートは、ワーグナー家の長男の嫁として、ヒトラーを担ぎ上げた後援者の1人でした。
ワーグナー家は有名人ですから、ヒトラーの政治活動のための資金集めにも協力。夫のジークフリートも共に後援していましたが、ヴィニフレートの方が派手に活動し、ジークフリート亡きあとは、単独でヒトラーのために尽くした。
ヒトラーにとっては大きなパトロンであり後援者だったヴィニフレートは、逆に自分のバイロイト音楽祭では政治的妨害や出演者とのトラブル回避をヒトラーに頼んでいた・・・と、まあ持ちつ持たれつの関係なのですが、「女」としての気持ちの上では、ヴィニフレートはもう熱狂的ファン状態でした。
ヒトラーの演説会に行っては、声をかけてもらえるのではないかと期待し、ヒトラーがいつ自宅を訪れてもいいように準備を整え、ヒトラーの電話がまだないかと待ち続ける・・・なんだかもう少女の恋愛心情に近いものがあると思います。
一方、ヒトラーもヴィニフレートには気を許していたようです。
多忙な中、バイロイト音楽祭のリハーサルを観に来たり(写真)、ワーグナー邸を訪ねてはヴィニフレートの家族とともにご飯を食べたり、パンツ姿になったり(ズボンにバターをこぼしたため)、ヴィニフレートと2時間散歩したり、ヴィニフレートの運転で2人で山荘に行ったりしていました。子供たちにも本当のお父さんのように慕われていたようですし、単なる政治家と後援者ではなかったと考えるのが自然でしょう。
ドイツの敗戦・ヒトラー自殺のあと、ヴィニフレートはバイロイトの表舞台から身を引くのですが、それ以降のことは「下巻」をまだ読んでいないのでわかりません。
読んでみたい気もするのですが、本が分厚いのに加え、その中身がほとんどどす黒い家庭内のドロドロだと思うと、なかなかしんどいのです(笑)
バイロイトの「祝祭劇場」でのリハーサル風景。左よりヴィニフレート、ヒトラー、ヴェレーナ(娘)、フルトヴェングラー。
(「ヒトラーとバイロイト音楽祭」より)
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