2月7日(水)晴れ。今日もぽかぽか陽気の一日。
夜、9時10分、BS1で昨夜の続き、BS世界のドキュメンタリー「目覚める大国 インド」-ガンジーの“道”をたどる- ~2005年 フランス ザラファ フィルムズ制作~
を視た。
番組の詳細は、『ガンジーがインドを独立に導く大きな原動力となった「塩の行進」。40キロの行程をたどることで、インド独立の経緯を見つめ直す。この番組は「塩の行進」から75年にあたる2005年に制作された。独立後、ヒンドゥーとイスラムの宗教対立をやめさせるべく、断食を行って融和を唱え、また、貧富の差を解消しようとさまざまな試みを行ったガンジーの思想と哲学は、今のインドにどう生きているのかを探る』と、あった。
■ 視おわっての、山家の隠居の独り言
今の、日本に是非、生まれ変わってお出かけ戴き、化石妄言大臣の尻取りごっこで悦にいっていいるかの諸先生方に、国会議事堂で、議員研修のための記念講演でも一席やっていただけたら、猿の毛1本ぐらいは増えるのではないかと嘆息した。
ガンジーは若い頃の南アフリカでの見聞で、教育こそが人間を自立させ自己実現への道だと確信したという。
その信念を実現するため、1920年、彼は、故郷にグジャラート大学を設立した。ここからは独立インドのリーダーを輩出したという。この大学のユニークなところは、ガンジーの教育観にある。朝6時、学生も生徒も一斉にキャンパスの清掃を始める。勉強の場が清浄で神聖でなければならないとの考えからである。次に、講堂の床に座して、各自が糸車を使って糸を紡ぐ。勤労の精神と物の有り難味を実感し、自我を抑制することを学ばさせるのだ。体験を通して文化を学ぶのだという。そして、共同生活が不可欠だと。
教育は、日日の生活と分離したものでは駄目だと。生物学を学ぶのであれば、綿つくりを学び、それが紡がれて布になり、売られて過程全てをまなぶべきだと。学習することは心身一体でなければならないと。頭だけでも駄目で、身体だけでも駄目でその両方のバランスが大切だと説いた。
しかし、今、インドの現実はガンジーが描いた国のあり方と大きくことなるようだ。ガンジーは心の平安を大切にした。だが、決して近代化を否定したわけではなかったという。精神生活の充実と物質的豊かさの調和ある社会を目指したという。
ところが、後継者とされる、ネルー以降の今に続く政権指導者は、インドの近代化、開発一辺倒に走っているという。
その結果、未だに国民の35%は日に一食の食事ができるかどうかの貧困におきざりにされたままだという。
そして、ガンジート言えば「非暴力、不服従の信念」である。人はそれを理想という。ダガ、ガンジーの弟子たちは言う。理想がなくて、どうして改革が行われようかと。今こそ、非暴力の精神が不可欠だと。それを選ぶかどうかで人類が滅亡するかどうかの瀬戸際にあると。
今、日本は憲法9条を巡ってまさにその岐路にたっている。否、既に非暴力の理想を捨て、大きく暴力には暴力(?)をもってとするほうに、大方の国民の軸足は踏み出しているかの感がある。
今、ウィキペディアでガンジーの項を検索したら、彼の説いた非暴力主義は徹底したものである。イギリス国民に向かって、ヒットラー、ムッソリーニの蹂躙のままにまかせなさい。むしろ崖から飛び降りて自殺しなさいとまで説いている。
果たして、そこまでの理想主義に何人が殉教できるだろうか。私は、そこまでは徹底できない。
ただ、理想を持たずして未来がないことは確かではないか。
興味深かったのは、ガンジーの元秘書がこう語っていた。ガンジーは電報が大好きだった。自分の運動を広めるためには、多くの人に知らせる必要があるとして、電報を最大限に利用した。インド電報局の最大のお得意は、ガンジーだったと。今、彼が生きていれば、インターネットを最大限に活用しただろうと。
確かにそうではないか。ガンジーがブログを立ち上げていたら、その思想は、瞬く間に全世界の人々に伝わる可能性が実際のものとなっているのだ。
誰か、どこかで世界連邦政府設立の激を発信しないだろうか。もはや、まだるっこしい職業外交官のいつまとまるかわからない政府間協議や、国連外交にお任せするのではなく、お役人や、軍人や一握りの独裁者に、我々の、運命を座して委ねて安閑としている時ではないのではないか。
イラク国民の中からも、もっと世界に向かって、直に、どうしてほしいのか、どんな支援が必要なのか、インターネットを通じて発信しないのだろうか。
それとも、発信はされているが、こちらが無学で受信できないということだろうか。
言語の壁が大きな障害となっているのだろうか。アラビア語から英語へ英語から日本語へ、それぞれの言葉がお出来になる方は、ぜひ、翻訳ブログページを立ち上げていただけないものだろうか。
人類は今、せっかくこんなすばらしいコミュニケーション手段を手にしているというのに、頭の中には、まだまだ国境民族の目に見えないバリアーが絡みついているのだろうか。
インターネットこそは、非暴力不服従の理想実現の最大の武器になるのではなかろうか。
と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー参照ー
マハトマ・ガンジー ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンジー - 65k -
夜、9時10分、BS1で昨夜の続き、BS世界のドキュメンタリー「目覚める大国 インド」-ガンジーの“道”をたどる- ~2005年 フランス ザラファ フィルムズ制作~
を視た。
番組の詳細は、『ガンジーがインドを独立に導く大きな原動力となった「塩の行進」。40キロの行程をたどることで、インド独立の経緯を見つめ直す。この番組は「塩の行進」から75年にあたる2005年に制作された。独立後、ヒンドゥーとイスラムの宗教対立をやめさせるべく、断食を行って融和を唱え、また、貧富の差を解消しようとさまざまな試みを行ったガンジーの思想と哲学は、今のインドにどう生きているのかを探る』と、あった。
■ 視おわっての、山家の隠居の独り言
今の、日本に是非、生まれ変わってお出かけ戴き、化石妄言大臣の尻取りごっこで悦にいっていいるかの諸先生方に、国会議事堂で、議員研修のための記念講演でも一席やっていただけたら、猿の毛1本ぐらいは増えるのではないかと嘆息した。
ガンジーは若い頃の南アフリカでの見聞で、教育こそが人間を自立させ自己実現への道だと確信したという。
その信念を実現するため、1920年、彼は、故郷にグジャラート大学を設立した。ここからは独立インドのリーダーを輩出したという。この大学のユニークなところは、ガンジーの教育観にある。朝6時、学生も生徒も一斉にキャンパスの清掃を始める。勉強の場が清浄で神聖でなければならないとの考えからである。次に、講堂の床に座して、各自が糸車を使って糸を紡ぐ。勤労の精神と物の有り難味を実感し、自我を抑制することを学ばさせるのだ。体験を通して文化を学ぶのだという。そして、共同生活が不可欠だと。
教育は、日日の生活と分離したものでは駄目だと。生物学を学ぶのであれば、綿つくりを学び、それが紡がれて布になり、売られて過程全てをまなぶべきだと。学習することは心身一体でなければならないと。頭だけでも駄目で、身体だけでも駄目でその両方のバランスが大切だと説いた。
しかし、今、インドの現実はガンジーが描いた国のあり方と大きくことなるようだ。ガンジーは心の平安を大切にした。だが、決して近代化を否定したわけではなかったという。精神生活の充実と物質的豊かさの調和ある社会を目指したという。
ところが、後継者とされる、ネルー以降の今に続く政権指導者は、インドの近代化、開発一辺倒に走っているという。
その結果、未だに国民の35%は日に一食の食事ができるかどうかの貧困におきざりにされたままだという。
そして、ガンジート言えば「非暴力、不服従の信念」である。人はそれを理想という。ダガ、ガンジーの弟子たちは言う。理想がなくて、どうして改革が行われようかと。今こそ、非暴力の精神が不可欠だと。それを選ぶかどうかで人類が滅亡するかどうかの瀬戸際にあると。
今、日本は憲法9条を巡ってまさにその岐路にたっている。否、既に非暴力の理想を捨て、大きく暴力には暴力(?)をもってとするほうに、大方の国民の軸足は踏み出しているかの感がある。
今、ウィキペディアでガンジーの項を検索したら、彼の説いた非暴力主義は徹底したものである。イギリス国民に向かって、ヒットラー、ムッソリーニの蹂躙のままにまかせなさい。むしろ崖から飛び降りて自殺しなさいとまで説いている。
果たして、そこまでの理想主義に何人が殉教できるだろうか。私は、そこまでは徹底できない。
ただ、理想を持たずして未来がないことは確かではないか。
興味深かったのは、ガンジーの元秘書がこう語っていた。ガンジーは電報が大好きだった。自分の運動を広めるためには、多くの人に知らせる必要があるとして、電報を最大限に利用した。インド電報局の最大のお得意は、ガンジーだったと。今、彼が生きていれば、インターネットを最大限に活用しただろうと。
確かにそうではないか。ガンジーがブログを立ち上げていたら、その思想は、瞬く間に全世界の人々に伝わる可能性が実際のものとなっているのだ。
誰か、どこかで世界連邦政府設立の激を発信しないだろうか。もはや、まだるっこしい職業外交官のいつまとまるかわからない政府間協議や、国連外交にお任せするのではなく、お役人や、軍人や一握りの独裁者に、我々の、運命を座して委ねて安閑としている時ではないのではないか。
イラク国民の中からも、もっと世界に向かって、直に、どうしてほしいのか、どんな支援が必要なのか、インターネットを通じて発信しないのだろうか。
それとも、発信はされているが、こちらが無学で受信できないということだろうか。
言語の壁が大きな障害となっているのだろうか。アラビア語から英語へ英語から日本語へ、それぞれの言葉がお出来になる方は、ぜひ、翻訳ブログページを立ち上げていただけないものだろうか。
人類は今、せっかくこんなすばらしいコミュニケーション手段を手にしているというのに、頭の中には、まだまだ国境民族の目に見えないバリアーが絡みついているのだろうか。
インターネットこそは、非暴力不服従の理想実現の最大の武器になるのではなかろうか。
と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか。
ー参照ー
マハトマ・ガンジー ja.wikipedia.org/wiki/マハトマ・ガンジー - 65k -
機械(インターネット)の機能に人が追いつけない気がしますね。
もっともっと上手く使えたら、と思います。
イラクから、北朝鮮から、ロシアから、インドからの生の声が世界中に届けば、少しずつ何かが変わるかも知れませんね。
翻訳ブログページ・・・出来ればいいですね。
ガンジーの「非暴力不服従」の理念は時として生命の危険をも覚悟しなければならないラディカルな思想だと思います。ワタクシメの如き凡人には到底そのような覚悟はできません。
が、「そんなものは所詮理想論」で終わってしまったら、仰るように何事も解決しないでしょう。
平凡な結論になりますが、個々人がその能力に応じて平和な世界実現のために微力を尽くすしかないのではないでしょうか。
例えば、アムネスティがやっているように各国政府や権力側、紛争の当事者たちに、様々な請願、抗議のための葉書を書いて出す、といったようなことも意義ある行為だと思います(但し、かの団体の死刑廃止運動には賛同しかねる部分がありますが)。
>インターネットこそは、非暴力不服従の理想実現の最大の武器になるのではなかろうか。
私も有力な武器になり得ると思います。
が、一方で戦争や紛争を煽り立てる道具になり下がる危険性も同時に備えているようにも思います。両刃の刃ですね。
私の意余って、誇大妄想とも看做されかねない一文に、ご丁寧な、コメントをいただき心から嬉しく思います。
この頃、つくづく感じますのは、この世の中の問題、これは国際関係、これは経済関係、これは財政問題、とても自分たち学の無い者の出る幕ではないと、遠慮したり引いたりするのではなく、どんな問題でも自分たちの周りの延長として考え、思ったことをどんどん各自が発信していくことだと思います。
全ての問題の解決策は、どんな難しい学術用語や専門用語をつかって煙に巻いた積りでも、落ち着くところは誰にでも当たり前と思える常識だと思います。
お互いに、遠慮せず思ったことをどんどん発信し、同意できることは、共鳴のしていきましょう。
それが、専門家の声に負けない大きなうねりとなって少しでも世の中を変えていくよすがになるのではないかと夢見る次第です。
またどうかよろしくお願いいたします。