蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

―直線の川(釧路川)を再び蛇行に―いい話じゃないですか!

2006-03-21 02:14:54 | 時事所感
 3月20日(月)晴れ。風強く、夕方より寒気強まる。

 今朝の日経、社会面の小さな囲み記事が目を引いた。

 記事には、
『国内最大の湿原、北海道・釧路湿原を流れる釧路川の一部で、工事で直線化した川を元の蛇行したながれに戻す計画を、北海道開発局釧路開発建設部が進めている。
 水の氾濫などによって湿原本来の環境を復元するのが目的で、同部によると自然再生のために川の流れを戻す事業は全国で初めて。
 工費が十数億円と見込まれていることから「二重の公共工事」との批判があるほか、効果にも疑問の声が出ており、一部の自然保護運動関係者は反対を表明している。…直線化は洪水対策や農地整備のために実施され1948年に完成した。
 しかし湿原は五十年前に比べ面積が約二割減少、比較的乾燥した場所に分布するハンノキの数も増えるなど、乾燥化が問題として浮上。本来の環境を取り戻そうとの声が強まったことを受け川の復元が計画された。』、とある。

 一読、いい話だなと思った。確かに公共工事の二重投資かもしれない。しかし、もう五十年も経っているのである。当時はやはりそれなりの必要があり、良かれと考えて着工完成したものであろう。

 物事は、特に自然が相手では試行錯誤もやむをえないのではないだろうか?。改めるに憚かること無かれである。
 確かに、水の流れは、光琳の名画「紅梅白梅図」を見ても曲線が美しいのであって、何でも直線定規でサッと一本、線引きゃいいってものではなかろう。

 大体、戦後育ち(何て言っても私もその一人だが、無学の隠居に生意気言わせりゃ)の土木技術者は経済設計優先で、その場の自然環境に合った美しさ何てことは、端から計算の外なのではと思うがいかが?。

 この蛾遊庵の周り近所の田んぼでも、昔は曲線美の棚田の連なりが、今じゃ大枚かけての圃場整備事業のお陰で、どこもかしこも短冊切りのマッチッカク。どこを見ても何の変哲もなくなった。農業機器の大型化で、運転しやすいようにとの気持ちは分かるが、他所者が何か言うのもおこがましいが、もう少し大きな曲線取り入れて、折角残してくれたご先祖の苦心の跡を偲んでも、罰当たることもあるまいにと、ついつい思ってしまうのだが。

 と、まあ勢い余っての脱線くどくはお許しいただくとして、せいぜいまたぞろ、その工事の受注を巡って、五十年前の施工業者に随契とか、談合なんてスキャンダルが生じないよう祈るのみである。

 ところがこれにもたちまち反対者・団体が踊り出ていらっしゃる。お上のやることには、なんでも一言、箸の上げ下ろしにも、一口出さずには居られないお方かとついつい誤解してしまう。その方々にはその方々の言い分があるのだろうが、大方良いことであれば、それはそれとして素直に行政の取り組みを評価し、応援しても良いのではないのだろうか?。
 
 ところで、いたちの何とかか、珍しく良いこと言った大宰相が、移転検討を指示した、東京日本橋の上の首都高速道路も同じである。あんな不格好で鬱陶しい代物一日も早く取っ払ってもらいたいものだ。

 あれを見るたび地下の江戸っ子が「なんてえーざまでぃ。おいらの日本橋を台無しにしやがってぇ!。野暮の田舎っぺぇが、寄って集(たか)ってのやるこたぁー!。」とべそかき捻り鉢巻、茶碗で太鼓を敲いてはいまいか?。

 と、思うこの頃、さて皆様はいかが思いでしょうか?



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