蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

弱き者(汝の名は国民)の訴えを無視する警察機関ー主権在民の欺瞞(?)を問う!

2006-05-23 11:20:58 | 時事所感
 5月22日(月)晴れ。気温20~26度か、暑い一日。

  毎晩チェックしている「佐藤立志のマスコミ日記」を開いたら下記の記事が目に飛び込んだ。

『●秋田の幼児殺害事件は逮捕間近!!??
 秋田の幼児殺害については、逮捕が近いとのこと。顔見知り・
3時から4時の間に自由に動ける・近所の土地勘がある。これな
ら自営業か主婦という絞込みができる。
現地の情報では特定されているようです。
 今朝の「朝ズバッ」で元捜査一課長が「家に連れ込まれて後ろ
から殺害された」という推理をしていた。しかも紐を使ったのは、
女ではないかとコメントしていた。
 男児の住んでいた住宅団地はたったの28軒しかないから、当
日のアリバイを押さえれば、絞られてくる。ドンデン返しがある
ようだ。
 ちなみに最初の犠牲者の女児の母親は、テレビで声しかわから
なかったが、こんな映像があった。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060521-00000014-maip-soci.view-000
 不謹慎だけど、すごい刺繍のジーンズ(?)ですねw』

 そして、さらに、上記のURLに跳んだら下記の記事があった。


 『秋田女児水死 「不自然な点…徹底捜査を」母が訴え

  「ショックが大きくて流したい涙も出ないほど、苦しい」。秋田県藤里町立藤里小1年の米山豪憲(ごうけん)君(7)が他殺体で発見される38日前に同小4年の長女彩香ちゃん(9)を失った元遊技店店員、畠山鈴香さん(33)が20日、毎日新聞の単独インタビューに応じた。
 
  県警能代署は誤って川に転落した可能性が高いとみていたが、畠山さんは「彩香の死には不自然なところがある。徹底的に捜査をしてほしい」と訴えている。
 
  畠山さんは彩香ちゃんと2人暮らしだった。自宅は豪憲君の自宅の2軒隣で、彩香ちゃんと豪憲君は仲が良く、よく一緒に遊んでいたという。
 彩香ちゃんは4月9日午後4時ごろ外出したまま行方不明になり、畠山さんは捜索願を出した。翌10日、約7キロ離れた能代市内を流れる藤琴川で彩香ちゃんの遺体が発見された。解剖の結果、死因は水死とされた。自宅近くの河原に石を積んで遊んだ跡と、水辺の石に足を滑らせたような跡があった。
 
  畠山さんは、署の説明に納得がいかず、ビラを手作りして商店などに掲示してもらった。「彩香は普段川に行かなかった。それが私との約束の一つだった」と話す。
 
  豪憲君の事件については「行方不明と聞き、直感的に『川だ』と思った。彩香のことがあったから」と話し、彩香ちゃんの水死とともに徹底捜査するよう要望した。
 
  一方、県警は彩香ちゃんの水死について「当初から事件と事故の両面で捜査している」と説明する。【田村彦志】
 
  畠山さんとの主なやりとりは次の通り。
 --彩香ちゃんが亡くなって今のお気持ちは
 ◆ショックが大きくて流したい涙も出ないほど、苦しい。彩香は豪憲君と仲良しで、私も豪憲君のご両親に優しくしてもらってきた。彩香が亡くなって、私は彩香が座っていた椅子に座って元気だったころの彩香を思い出しています。
 
 --手作りのビラを配ったのはなぜですか
 ◆警察に事故のように言われ、「お母さんだって行動を全部分かっているわけではないでしょ」と言われた。本当に捜査しているのか、捜査が目に見えてこなかったので、親の私が知らない範囲で、外の人が見ているかもしれないと思い、情報収集のつもりでビラを作りました。今回の事件まで情報はなかった。
 
 --能代署の説明についてどう思いますか
 ◆警察からは、「コップ一杯の水も飲んでいない」と説明されたうえで「水死だった」と言われた。親として(捜査状況を)全部知る必要はないかもしれないが、ある程度知りたい。対応に反感を持った。
 
 --彩香さんの遺体に不自然な点は
 ◆解剖の傷以外、目立った傷はなかった。彩香は水が嫌いで、普段川に行かなかった。それは私との約束の一つでした。納得できる捜査、説明がほしいのです。
 
 --豪憲君が遺体で発見され、どう感じましたか
 ◆住宅団地の子供たちは年齢に関係なく仲が良く、みんな団地の公園と道路で追いかけっこをして遊んでいる。豪憲君と彩香も遊ぶことがあった。ショックです。行方不明になったと聞いて、直感的に「川だ」としか思い浮かばなかった。彩香のことがあったから。豪憲君、彩香の死には不自然なところがある。徹底的に捜査してもらいたいです。
            (毎日新聞) - 5月21日17時28分更新  』

◎ この記事を読んで思った。

  全く、このような捜査官たちは、「一人の人間の死」をどう考えているというのかという怒りである。少なくともたった一人の幼い娘を亡くして悲嘆に暮れている若い母親を前にして、自分たち(捜査機関として)の見方は見方として、どうして親身に話を聞いてみようという、人間としての普通の神経、思いやりも持ち合わせていないのだろか?

  こういう職業倫理の有無を問う前に、人間としてのごく自然な同情も持ちえないような集団が、法治国家の建前の下、住民の治安、財産を守るなんて信じられるだろうか?
 
  私は、先日のブログの中で、このような警察不信の場合は所管の「公安委員会」に訴えてみてはと提案したが、今朝、公安員会について、googleで検索して見て自分の無知さ加減に驚き、恥ずかしくなった。

  公安委員会は名誉職みたいなもので、おまけに非常勤とのこと。どこに専属の事務方がいるのかも不明である。いわば、国民の警察不信除けの“神社のおふだ”みたいなものらしいことが、漠然とだが分かった。

  そして何故か、「公安委員会」について、あれこれ書くことは2000年まで、マスコミではアンタッチャブルだったそうだ。

  警察関係者にとって目の上のたんこぶみたいな「公安委員会」の強化、なんて議論を書こうものなら、事件報道の際、そでにされて記事を書くための情報提供やなにやかやに支障をきたすとでも言うのだろうか?

  法治国家の美名の下、国民から実力行使のための武器携行権を取り上げておいて、自分たちだけがその暴力装置を独占しておき、しかもその集団を監視する仕組みがないとすれば、それは誰だってこの世に怖いもの知らずにもなろうというものではないか?
 
  だから、事件といわれても極端な想像をめぐらせば、「え?、子供が死んだ?何だよ、めんどくせえーな!」ということになるのではないか?

  江戸時代の行政(まつりごと)の仕組みには大人の知恵があったように思う。それは、人間は放っておくと必ず悪さをするというか、横着になりがちだという人間性悪説に立った、組織づくりというか仕組みづくりである。

  江戸町奉行所は南北二つ置かれていたそうだ。月番で偶数月は南、奇数月は北というふうにである。訴える方は評判の良いお奉行様のいるほうへ訴えでたそうな。また、必ずお目付役が置かれていて、その仕事振りを不正がないか横にいて監視し、おかしいと見れば、しかるべく上役に上申報告する仕組みである。

  外交交渉でも何でもそうであったらしい。いわば役職複数制である。一人は表向きに職務を行い、それよりも実権的には上席のお目付けがいて、たえず横からその仕事ぶりを黙ってみている。これは凄い知恵ではないか。

  江戸時代は古いなんて片付ける風潮が強いが、とんでもないと思わないだろうか?

  江戸時代の奉行所に比べたら月とスッポンの権力、人員を要する国家権力そのものの観がある現行の警察機構に真の意味での主権者たる国民の目が、声が届かない仕組みというのは、ある意味で官僚独裁国家とさえ言えはしないだろうか?

  このような戯画の下では、今の日本国民が、主権在民なんてのは、今議論沸騰の憲法第9条同様の、もぬけのなんとかで、官僚様にご奉仕申し上げる奴隷にすぎないのではとさえ見えてくるではないか?
  だからこそ、その子供が死んだって生きていようがしっちゃあいないのではないか?とさえ穿ちたくなるのだ。
 
  この戯画を見ていると、わが国が、民主主義国家だなんて幻想は、お笑いゲラゲラ、くらげまがいのタレントひらひらのテレビ画面の中だけではないのか?と思えてくる。
  その陰でにんまり笑う官僚様「国民だか市民だかなんてのは、全く馬鹿でおめでたい奴らで、俺たちにとっちゃあ結構毛だらけ猫はいだらけだ。銭がたりなくなりゃあ、与党議員にちょいとゴマすり陰でおどかしゃ税金ほいほい上げてくれ、小遣い稼ぎの駐車取締り強化改悪ほいほい何でも意のままはらのなかだ。」と嘯いているかに思えてくるのだが?

  私たち国民は、いつになったらこのような欺瞞に気づき怒りをもって、真の意味での主権者になりうるのか?。
  今こそ、少しはテレビのチャンネル切って、静かに自分の頭で、めいめいが考え直してみるべきときではないのか?

  そして、先ず手始めは公安委員会の改革を!

と、思うこの頃さて皆様はいかがお思いでしょうか?



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2 コメント

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死とは何か・・・・? (Mr.James)
2006-05-30 16:46:18
はじめまして。



人(私)はどこから来て

何のために生きて

どこへ向かっているのだろう・・・?。

この世界の終末はどうなるのか?



私は、若い頃から人生についていろいろ考え、

人間はどこから来て、何のために生きて

どこに向かって生きているのかを問い続けて来ました。



神の存在、人生の意味は何か、いのちと死の問題」など

について、初心者にも分かりやすくブログでキリストの福

音を書き綴っています。



どうか、時間のあるとき、ご訪問ください。



http://blog.goo.ne.jp/goo1639/



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何故でしょうか? (蛾遊庵徒然草)
2006-06-01 12:20:37
 コメントありがとうございました。

 どうして、このページにこのようなコメントをいただいたのか、いささか首をひねっております。



 あまり、死刑、死刑と絶叫しているのをご覧になられてのご憐憫からでしょうか?



 私とて根っからの無神論者ではないつもりです。この地上のあらゆる生物が、目鼻立ちは、ほとんどのものがシンメトリーに作られ、その中身の巧妙精緻なこと一つを見ても、これが、何ものの意思によることも無く、ただ偶然の賜物としてできあがっているとは到底信じられません。



 そして、物事の運びにおいても、悪事は一時は燃え上がっても長続きせず、正しいことの方へ傾いておさまるようです。



 これらのことを考えてみると、そこに目に見えないこの宇宙を何らかの意図で設計し、つくり動かしている偉大なちからの存在をじっかんしております。



 しかし、だからといってその大いなるなるものを「イエスキリスト」とみなし信じることには、同意しかねるものであります。



 私は、キリストも釈迦も孔子も、かれらはそれ以前に生きた人々の尊い経験や智恵を集大成して、庶民に分かりやすく説き聞かせてくれた、言わば人生の教師のような存在だと考えております。



 ゆえに、キリストの奇跡をもって信仰の道にみちびかれようなんてことは、思ってもみられません。



 悪しからず意のあるところをお汲み取りください。
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