蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

田舎暮らしの泣き笑い

2008-04-06 00:41:06 | 田舎暮らし賛歌
4月5日(土)晴れ、暖かい一日。

  一昨日の朝、庭に出ていると東側の隣地の道路に車が止まり二人の男が降り立つのが見えた。
  作業服の男がもう一方の男に何か尋ねている様子。それに応えるかのもう一方の男が両手を鋏にしてザクザクと交差させた。

  それを見て私は事態の推移を瞬時に覚った。
  今、我が家の周囲では、僑々と思い思いの方向に、天に枝をはっていた樹齢5、6十年の赤松が松食い虫の害で一斉に伐採されつつある。
  そしてその後には、植林事業としてヒノキの苗木を植えると言う。
  私は、我が庭先にやがて鬱蒼たる濃緑の壁がたちはだかることになるのかと思うとやりきれない気持ちになった。そこで、私は南隣地の地主さんを訪ねて、何とかヒノキの植林は止めて、そのまま雑木林として残してもらえないかと懇願してみた。
  だがそれは虚しい行為であった。

  地主さんにとっては、跡にヒノキの植林をしないと、伐採費用を自己負担しなければならないのだという。そうと聞けばそれも已むをえないものかと一旦は思った。しかしそんな政策を推し進めようとする行政に対して猛烈にはらがたった。
 
 一体、この里山をヒノキの林に変えるということはどういうことだろうか。赤松の林が虫にやられたのも、山に人が入らなくなり下草を刈らず、落ち葉を掻かない為に、湿気が貯まり虫が繁殖したのではないか。
 今後、ヒノキを植林したところで、誰が面倒をみるのだろうか。ヒノキ林なんかには小鳥もこなければ虫もよりつかないだろう。結局は、痩せた木々が繁茂し、その根方はゴミ捨て場になるだけではないか。

  そんな私の思いに応えてくれるかに東側の隣地の地主さんは、当初、松だけ伐って、クヌギやコナラの雑木は残すと私に、つい先日語ったばかりだったのだ。
  そして、事実、隣地は松だけ伐って、その跡に何本かの雑木が残されたのだ。

  それを見て私はいささか安堵した。
  その矢先、一昨日の午後、残っていた雑木はきれいさっぱり伐られてしまった。
  私は、裏切られた気持ちになった。東隣の地主さんにとっても、いざとなれば、自己負担の額を考えればきれいごとではすまなくなったのだろうか…。
  
  私がこの地を選んだのは、赤松と雑木の林の中だったからだ。夏だった。その林の中で郭公の鳴き声を聞いた。
  とは言いながら、自分が買った土地に生えていた樹木は、家を建て、庭や畑とするため、道路沿いと、将来隣家ができるかもしれない西側の一部を残して伐採してしまったのだ。
  南と東側は、地主さんの「ずっとこのままですよ」と言う言葉を信じて、ぎりぎり境界まで伐採してしまったのだ。
  もし、こんな事態が早晩来ると分かっていれば、そちら側だっていくらかは所有地内に木を残しておいたのだ。
  
  緑の木々や景観の好さに憧れて田舎暮らしを始める人は、私を含めて多い。だが、そんなに変る事はあるまいと思う田舎の景観ほど、今、思いもかけない破壊に遭うことが実に多い。
  「こんなはずではなかった。富士山が毎日見られると思って買った土地。なけなしの資金を遣り繰りしてやっと家を建てたと思ったら、翌年には、前の土地が切り開かれて、二階家が忽ち建ってしまい、何てことだ」と、地団駄踏まされるのだ。
 結局、私もたった5年でその一人になった訳である。

  こんな思いしないためには、これから田舎暮らしをしようと計画されている方は、5、6百坪から千坪は確保しておくことが必要だと思う。

  
  そんな経緯(イキサツ)で鬱々たる気分で居る所へ、今度は、先日、我が画廊に来られて、拙作をお買い上げくださった近くの別荘のご夫婦から、夕飯を食べにきませんかとのお誘いの電話がきた。
  喜んでお受けした。早速、教えられた住所を住宅全図で確かめてお訪ねした。

  素晴らしいお宅だった。玄関を入ると敲きの土間に据えられた薪ストーブ、壁には昔の木挽き鋸が飾られている。土間に立つと、吹き抜けの広々とした居間。私の絵も好い場所に飾られていた。
  そして、炉のある座卓に招じられて座れば、右手のテラスの向こうには、夕焼けに染まる八ヶ岳の全貌が大パノラマとなっている。
 
  ご夫婦が丹精込められた野菜を主とした料理。蕗味噌が微かにほろ苦く美味しい。ミズナの花の和え物が香り高い。珍しいパンダ豆の煮物。サーモンのサラダ和え。ササゲのおこわ等々。
  そして自家製のワイン。
  このワインは、ご夫妻が近くの一人暮らしの老人のブドウ農家へ援農に行き、戴いてきたぶどうででつくられたとか…。貴重な逸品なのである。 

  部屋の壁に飾られたご主人の蒐集に係わる火縄銃やなにやかやに目を遊ばせながら、話が弾んだ。お互いのこれまでの人生。伺えば年齢も三つ違い。生きてきた時代への思いが交差し、共感することばかり。
  
  楽しく愉快な時は忽ちすぎた。

  こうゆうお付き合いは、東京に居た時はついぞ無かった。
  しかし、この地に来てからは、ちょくちょくこうしたお招きに預かる事が多い。

  これこそは、田舎暮らしの醍醐味である。

  単純な私の昼間の怒りは、いつしか幾分和らいだ。気を取り直して、明日から、丸裸になった隣地との境界に、少しずつ好きな雑木を植え込んでいくこととしよう。
  


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