蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

その時歴史が動いた“ニッポン外交力 維新直後の神戸占領・ 伊藤博文の挑戦”を視る。

2007-06-14 00:11:24 | 日常雑感
6月13日(水)晴れ。日中暑し。
 
  夜10時、NHK総合で「その時歴史が動いた“ニッポン外交力 維新直後の神戸占領・ 伊藤博文の挑戦」を視た。
  幕末維新史、知らないこと、あるいは何かで昔めにしたのかもしれないが、改めて聞けば、そんなことがあったのかとおもわされることの何と多いことだろうか。

  今日の番組の中身もそうだった。

  神戸事件とは、『慶応4年1月11日(1868年2月4日)、神戸三宮神社前で備前藩(現・岡山県)兵が隊列を横切ったフランス人水兵を負傷させた事件。明治政府初の外交問題となった。
この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。』というものである。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ja.wikipedia.org/wiki/神戸事件 - 28k)

  番組では、その外交交渉の実務に当たり、日本の武士社会の慣習と国際慣例(万国公法)に無知な誕生したばかりの政権の中にあって、いかに対処すべきかの苦心が縷々紹介された。
  伊藤は、藩命で攘夷実行のために西欧列強の軍事を学ぶために英国へ留学する途中、上海でアヘン戦争に負けた清国の人民が奴隷のように酷使されている様をみて、強い衝撃を受ける。
  彼は、この神戸事件でもまかり間違えば、清国同様の憂き目をみることになりかねないと憂慮する。
  そして、一戦を辞せずとする備前藩を説得し、上記のとおり、事件関係者の滝を切腹させるにあたり、外国公使にも処刑に立ち合わせると共に、今後の外交問題は、万国公法にのっとって対処することを宣告して、何とか神戸占領を解除させることに成功する。

 この時、伊藤博文、若干27歳である。

 この後、伊藤は幕府が締結した不平等条約改定のために岩倉使節団の一員として渡米するが、その際、サンフランシスコにおける演説で、「今、開国したばかりの日本には、欧米諸国に勝る能力はない。しかし日本は、西洋列強の優れたところを学び、必ずや、日本国旗の象徴であるひの丸が示す朝日の如く、やがて輝かしい国になるであろう」と述べたという。
 
 それから、半世紀も経たずして、彼ら明治という時代を背負った人たちは、見事にその夢を実現した。

 このことは、その後の大正、昭和といわば負け戦の歴史に続くとはいえ、世界史上にも素晴らしいことではなかっただろうか。
 今の我々の世代の混迷や体たらくを見るとき、同じ血がながれている子孫として、時代によってどうしてこうも大きな違いが出てしまうのだろうか。

 この番組を見終わった今、つくづくとこんな思いにたたづまされるのである。 


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2 コメント

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切腹 (小林正樹)
2011-12-03 21:00:28
この論理で行くとオリンピック招致に失敗し
多大な財政損失を招いた石原慎太郎は切腹すべし
しかし、責任転嫁して自己弁護。
多大な犠牲を出した乃木も切腹…していない。
得てして武士道を叫ぶ者に限って
責任をなすりつけるものです…
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”切腹”コメントありがとうございました。 ( 蛾遊庵徒然草)
2011-12-05 13:43:41
 コメントいただいた記事、4年も前に書いたもので中身が何だったか読み直してみました。
 『得てして武士道を叫ぶ者に限って
責任をなすりつけるものです…』全く同感です。
 ただ、乃木さんは、明治天皇の崩御の際、夫妻で殉死されていますので、石原唯我独尊閣下とは同列視してはお気の毒かと思います。
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