9月19日(火) 晴れのち曇り。やや蒸し暑し。
「耐震強度偽装」。昨年末から今年春にかけて、連日のようにメディアを賑わせ、一時は政界・官界をも巻き込み、どんな一大疑獄になるかと思いきや、年明け早々のライブドアショックで、あっという間に、引き幕の陰にかくれてしまった。
そして、先日(9月6日)初公判が開かれてみれば、何のことはない、「全ては、私が金欲しさに、注文とりのためにやったことです。」と、姉歯被告の一人芝居に矮小化されていた。
そこには、一時は議員辞職かとまでも報じられていた、大先生の影も形も掻き消えていた。今じゃ、あのお邪魔虫とか、何とか散々揶揄されたフェーザーだかカイザーだかの悪徳(?)大社長閣下も、被害者席(損害賠償請求、原告?)に席変えか、というどんでん返しだ。
この頃、どなたのお尻も、猿芝居のお猿さんより、ぽんぽんこ、ひょいひょい、あっちの杭からこっちの杭へ、いくら軽くはなったとはいえ、こんな茶番が、俄かに信じられるだろうか?
どうせ、姉歯被告が、いっそこの際全部の罪を被ったところで、たかだか罰金50万円だか、何だか、たとえ懲役くらったところで、執行猶予か実刑だとて何年か?
「全ては、私が…」何て、いまさら言った所で、国民注視の万天下の国会でも、平気で偽証する人間が、まして、大地震で他人様のマンションが、何軒ぶっつぶれようが、知ったこっちゃないとの、手前勝手なニヒルな人間の言葉なんかが、本音だなんて、誰が信じられるだろうか?
それよりも、関係者ご一同様からの監獄へ入る前か後かは、分からねど、大枚カンパのお約束あったとしても不思議じゃなかろか?下司の勘ぐりアングレラ!だ。
安く作って高く売る!。安く作るにゃ、材料ケチって、下請け叩いて、言うこと聞かなきゃ契約切るぞと、脅かせば、それで十分。「法律違反をしろ」なんて、言わなくたって、阿吽の呼吸でいかようにも、なろうというもの。
それを、後から、乾いた畳みを、いくら叩いてみたところで、「はいそうでございます」と、尻尾を出すようなお人よしのお仲間同士ではあるまいものよ、というものだ。
それにしても、こんな手合いの罠にはまった方々は、一体、誰を訴えればいいのだろうか?
人が、人生の大半をかける住まい作り、それを商売とするものに瑕疵担保責任も満足に果たせない輩に許すなんてことが、先ず間違いではなかろうか。
さらに、建築確認が下りなければ建物が建てられないというのであれば、その審査の権限をもち、そうした仕組みを作っている特別行政庁とか言う国なり自治体が、第一義的に責任を負うべきではなかろうか?
後は、そんな「お上」の目を誤魔化すような、狡(コス)い輩は、それこそ国家権力でも国策捜査でも存分に咬まして、きついお灸を据えるが筋ではなかろうか?
でなければ、一体我々は誰を頼りに、何を信じて暮らしていけばいいのだろうか?
これではまるで、ギャング横行、西部の荒野を、丸腰でいくようなものではなかろうか?
そして、正義の味方、あの颯爽として、音吐朗々、○研、○村大狐(?)代表を、震えあがらせた平成の鞍馬天狗かと見た「馬渕議員」は、この頃この問題について、とんとご発言を耳にしないが、どうされているのだろうか?
と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
<参 照>
一建築士の犯行で終わるのか、姉歯被告の初公判 [週刊nikkeibp.jp 09/19]
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「耐震強度偽装」。昨年末から今年春にかけて、連日のようにメディアを賑わせ、一時は政界・官界をも巻き込み、どんな一大疑獄になるかと思いきや、年明け早々のライブドアショックで、あっという間に、引き幕の陰にかくれてしまった。
そして、先日(9月6日)初公判が開かれてみれば、何のことはない、「全ては、私が金欲しさに、注文とりのためにやったことです。」と、姉歯被告の一人芝居に矮小化されていた。
そこには、一時は議員辞職かとまでも報じられていた、大先生の影も形も掻き消えていた。今じゃ、あのお邪魔虫とか、何とか散々揶揄されたフェーザーだかカイザーだかの悪徳(?)大社長閣下も、被害者席(損害賠償請求、原告?)に席変えか、というどんでん返しだ。
この頃、どなたのお尻も、猿芝居のお猿さんより、ぽんぽんこ、ひょいひょい、あっちの杭からこっちの杭へ、いくら軽くはなったとはいえ、こんな茶番が、俄かに信じられるだろうか?
どうせ、姉歯被告が、いっそこの際全部の罪を被ったところで、たかだか罰金50万円だか、何だか、たとえ懲役くらったところで、執行猶予か実刑だとて何年か?
「全ては、私が…」何て、いまさら言った所で、国民注視の万天下の国会でも、平気で偽証する人間が、まして、大地震で他人様のマンションが、何軒ぶっつぶれようが、知ったこっちゃないとの、手前勝手なニヒルな人間の言葉なんかが、本音だなんて、誰が信じられるだろうか?
それよりも、関係者ご一同様からの監獄へ入る前か後かは、分からねど、大枚カンパのお約束あったとしても不思議じゃなかろか?下司の勘ぐりアングレラ!だ。
安く作って高く売る!。安く作るにゃ、材料ケチって、下請け叩いて、言うこと聞かなきゃ契約切るぞと、脅かせば、それで十分。「法律違反をしろ」なんて、言わなくたって、阿吽の呼吸でいかようにも、なろうというもの。
それを、後から、乾いた畳みを、いくら叩いてみたところで、「はいそうでございます」と、尻尾を出すようなお人よしのお仲間同士ではあるまいものよ、というものだ。
それにしても、こんな手合いの罠にはまった方々は、一体、誰を訴えればいいのだろうか?
人が、人生の大半をかける住まい作り、それを商売とするものに瑕疵担保責任も満足に果たせない輩に許すなんてことが、先ず間違いではなかろうか。
さらに、建築確認が下りなければ建物が建てられないというのであれば、その審査の権限をもち、そうした仕組みを作っている特別行政庁とか言う国なり自治体が、第一義的に責任を負うべきではなかろうか?
後は、そんな「お上」の目を誤魔化すような、狡(コス)い輩は、それこそ国家権力でも国策捜査でも存分に咬まして、きついお灸を据えるが筋ではなかろうか?
でなければ、一体我々は誰を頼りに、何を信じて暮らしていけばいいのだろうか?
これではまるで、ギャング横行、西部の荒野を、丸腰でいくようなものではなかろうか?
そして、正義の味方、あの颯爽として、音吐朗々、○研、○村大狐(?)代表を、震えあがらせた平成の鞍馬天狗かと見た「馬渕議員」は、この頃この問題について、とんとご発言を耳にしないが、どうされているのだろうか?
と思うこの頃、さて皆様はいかがお思いでしょうか?
<参 照>
一建築士の犯行で終わるのか、姉歯被告の初公判 [週刊nikkeibp.jp 09/19]
それにしても偽装された住宅を購入した住民の人々の気持ちを考えるとやりきれない気持ちです。
家を買うことは一生のうちでも本当に大きな買い物であるのにその買った商品が偽装されていると知った時のショックは計り知れないと思います。人生の針が大きく狂ったも同然でしょう。
日本の人口は1億2千万人ほどです。多くの人は安心して自分の家に住んでいると思います。その人たちが1円でも寄付すれば1億2千万円になります。
税金だけではなくそんな救済措置がとられたらいいのではないかと私は考えます。現実的には不可能ですが・・・
そして私たちは第二の「耐震偽装」を出さない努力をするべきだと思います。そのためには昔からいるような頑固で仕事についてはスペシャリストな大工、職人を育てることが必要ではないかと思います。
その職人を作る基盤はやはり教育だと思います。
本当に家が大好きだ、と言う人は耐震偽装などをしないと思います。
次から次に事件や事故が起こるので、わたし自身も以前に比べ「事件のその後」にアンテナを張っていない気がします。
主人が確認申請の仕事をしていますので《その時》は大変でした。
権限委譲で県がやっていたものを市がやるようになったのですが。
守備範囲が広く、歌舞伎町の雑居ビル火災、耐震偽装、シンドラーのエレベーター、何かあるたび実態調査をしなければなりません。
国から県へ、県から市へ調査依頼があります。
建築確認の仕事をしながらですので、主人も毎晩遅くまで残業をしていました。
主人も1級建築士ですが「まさかそんな偽装をするとは考えも及ばない」と怒っていました。
プライドのない男たちの起こした事件だと思います。
公共機関でさえ、あってはならない見逃しをした今回の事件。
民間の検査機関を責められませんが、官から民へ・・も加速し過ぎない方が良いのでは・・と思います。
人生で一番大きな買い物、家族のお城・・被害にあわれた方々の怒りをわたし達も忘れてはいけませんね。
お二人の、コメント拝見して、奇しくも共通しているのは、職人魂、プロとしてのプライドの大切さです。
ところが、こればかりは、傍からとやかく言ってみてもどうにでもなるものではなく、所詮、本人の自覚次第ということでしょうか。
しかし、彼らがプライドを感じるためには、依頼者の側でも彼らの力量、努力を評価してあげることが、不可欠だと思います。
賢明なお二人向かってこんな譬えは失礼かと思いますが、家庭での毎度の料理でも、作り手の苦心を察して、家族が美味しいねと一言、声にだしてくれるのと、全く黙ったままで、「おいしい?」と聞かないと、返事がかえってこないようでは、作り手は、次回から、力を入れる気がしなくなるかとおもいます。
大工さんや建築家も一緒だと思います。その人の技量を評価する目を、依頼者の方も勉強して養うべきではないでしょうか。
私事になって恐縮ですが、私は、家を建てるにあたって、建築関係の本を積めば高さ1mになるほど読んでべんきょうしました。すると、日本の在来工法の建築技術の素晴らしさに魅了されました。
ところが、今そのような技術は、手間とお金がかかるということで、ないがしろにされ、技術の伝承が風前の灯火となっています。もったいないことです。
私は、幸い、地元で三代続く若い兄弟大工さんにめぐり合い、じぶんで学んだ仕様書をつくり、大工さんに提示しました。
二人は、こういう仕事がしたかったといって、大出血で請け負ってくれました。
私が、南側の開口部をもう1間開けてくれといっても、地震に危ないからと言って、頑として聞き入れてくれませんでした。
自分の道具を大切にし、一箇所も過ちのない仕事振り、私は自分の子供と同じぐらいの年齢に二人を深く、敬愛するにいたりました。
出来上がった家は、住めば住むほど、すがすがしく、彼ら二人の暖かく誠実な魂の気配を感じています。
私から、見ていますと、皆様、安易に住宅展示場へ行ってパンフレットを見比べるぐらいで、高い買い物を決めてしまっているように思えます。
良い家が欲しいと思ったら、2~3年は準備して勉強して、かかってはと思います。マンションを購入する場合でも、業者の履歴、経営状況、施工販売物件を過去に遡って調べ、現場を見てみる、住んでいる人から感想を聞くなど、やればできることはたくさんあると思います。
小鳥や、小さな動物たちでさえ自分の巣は自分でつくります。文明化した人間は、何でも分業であまりにもなんでも他人まかせにしてしまっているところにも、このような問題の生じる一因があろうかと思います。
住宅こそは、安物買いの銭失いになりたくないものです。
四国へ旅行したとき、あの地方は伝統工法の家造りを大事にされ方々が多いとみえ、漆喰の壁を左官職人さんが二人で、スプーンほどの大きさのコテで仕事をしているのをみてびっくりしました。
職人さんも良い仕事がしたいのです。だが、その価値を評価して、頼む人がいなくてはどうしようもないのです。
鶏(ニワトリ)談義めいてしまいますが、良い仕事の価値を評価せずになんでも値段だけで目先よければが、習慣化している私たち消費者にも問題があるのではないでしょうか。
それにしても、さくら様、ご主人とんだとばっちりで大変ですね。
おっしゃるとおり、官として何をやるべきか、この見極め難しいですね。何でも「民へ」の風潮も問題がありますね。
一寸、長談義になってしまい申し訳ありません。
本当の家作りとは家族でワイワイ話し合いながら作っていくべきだと思います。
人間は時間や労力の効率化を突き進めることにより、結局はその効率化に人間がついていけないといった矛盾に突き当たっているのが今の現状ではないかと思います。
効率化によってあいた大きな時間の空間(なんでも吸収していく空間)が人間を悩ませ、苦しめているのではないでしょうか?
今の家作りとは何かが抜けた寂しい作業だと感じます。
ヒューザーのマンションは「広いわりに安い」が売りでした。
入る前に強度を調査してもらってOK(調査ミス?)だった気の毒な方もいましたが、買い手もこれからは勉強しなければなりませんね。(家だけではなく)
蛾遊庵様のお住まい、最高ですね!
私がお伝えしたかったこと、読み取って戴いたようで嬉しく思いました。
ぱんちょ様は、近き将来(?)先ずは、よき伴侶、家族をもたれて、それに相応しいお住まいを、よく勉強されてお持ちになるようお祈り申します。
さくら様。ご主人が日頃どのように、さくら様に、こうした問題にお話になっているのか伺いたいものですね。
同じ思いとは、こちらもビックリです。
このような問題、心ある方が一生懸命考えれば、常識的なところに落ち着くのかもしれませんね。
今は、その常識的なことが、ぱんちょ様のご指摘の”巨大な空間”に飲込まれて、多くの人々が見失っているということではないでしょうか?
そのためには、さくら様のおっしゃるように、何に対しても、受身にならないよう億劫がらず勉強してみることでしょうか。