蛾遊庵徒然草

おこがましくもかの兼好法師にならい、暇にまかせて日頃感じたよしなし事を何方様かのお目に止まればと書きしるしました。

老いゆくことの哀しみ

2005-12-08 00:40:11 | 日常雑感
12月7日(水)晴れのち曇り 寒し

 曇り空の日は、何故かこちらの心までドンヨリト落ち込む感じがする。届いた荷をほどき取り出したキャンバスに、NHKラジヲを聴きつつ地塗りを始めた。

 ラジオは視聴者からの健康相談をやっていた。今日は眼科の相談である。聞くともなしに聞いていると相談の電話をかけて来る人はみな60歳以上の高齢者である。

 瞼が垂れ下がり手術しても涙が止まらない人。眼に霞がかかったようようでよく見えないという白内障の人。

 回答者は某医大の眼科の名誉教授だ。

 患者の訴えている症状は皆加齢によるもので今後はかばかしく症状の好転は期待できず、薬を飲みながら現状を少しでも長く維持していくしか方法は無いとのことである。

 聞いていて幸い自分にはまだそのような症状は出ていない。

 しかし時間の問題かもしれないと微かな恐れの気持ちが湧く。

 老いとはこうして我が肉体を構成している部品の一つ一つが少しずつ壊れていくことに他ならないのだと思う。いわゆる緩慢なる死への歩みの過程である。

 それは、ちょっとした拷問にもにているのではないかと想像する。

 そんなめに合うぐらいならいっそ一思いに死にたいものだと思う。心筋梗塞、心不全なであっという間に死ねたらどんなにいいだろう。

 あるいは夜、寝酒の勢いを借りて眠り、そのまま朝を迎えても覚めることがなかったらどんなにかいいだろうと思ってみる。

 しかしこんな思いは、現在、どこにも異常のないわが身においてはなんと言う神への冒涜かとも恐畏するしだいである。

 晩年、人間の最大関心事はいかに安らかに死ねるかと言うことに尽きるのではないかと言う思いに捉われる。

 しかし、一方では、そんなこと思い煩ってもしょうがないや。

 とにかく、今遣りたいと思っていること、自分にとっては一枚でも多く気に入った風景の絵を描いていくしかないかとも思い直してみるのである。

 



 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿