今回、肩取りと片手取りをいっしょに考察する理由は、それらが自分と対手との間に特定の間合いを強いる体勢を形作るからです。このことは以前にも触れていますが、間合いという、武道ではもっとも重要な感覚に関わることなので、重複を厭わず思うところを述べてみたいと思います。
特定の間合いを形作るとはどういうことか、この点をについてお話しします。技法の考察といった場合、一般的には肩取りの〇〇投げあるいは片手取りの◇◇押さえといった技の、〇〇や◇◇の部分に興味関心が向くことが多いと思います。それはそれで大事なことですし、とりわけ古流武術では表向き(あくまでも表向き)それが技法鍛錬の中心になっていることが多いようです。
しかし、武道あるいは武術の本質を考えると、実際はその〇〇、◇◇までもっていくための環境づくりこそが大事だといえます。その環境づくりの要点こそが≪間合い≫であると考えます。
肩取りや片手取りでは(もちろんそれだけに限るわけではありません)、相手の肩や手首を掴んだ時点で、それぞれ特定の間合いが形成されます。ごく大雑把にいえば、自分と対手両者にとって、肩取りはボクシングのフックやアッパーカットの間合い(距離)、片手取りはストレートの間合いです。ボクシングをたとえに出すのは、わたしの先生がボクシングの出身であることもありますが、往々にして合気道家は相手の打ち、突きに関して無頓着だからです。実際の格闘では隙があれば打つ、蹴るなどは当りまえなのですが、そのようなことを想定しながら体捌きをする方はそう多くないように見受けられます。
現代において合気道を学ぶ目的は決して闘争の具としてではないでしょう。別の言い方をすれば、闘争手段として合気道を修練しても合気道の本当の意義は見つけられないでしょう。そのことは大先生はじめ歴代道主や多くの先人がおっしゃっています。
しかし、そのことは合気道が戦いの手段としての技法や理合を捨て去り、それとかけ離れてよいということではないと、わたしは考えるものです。このことを説明するためにわたしが好んで例として取りあげることに居合道があります。いまどき、しっかりとした居合道家で、人を斬ることを前提に稽古をしておられる方は一人もいらっしゃらないでしょう。しかし、人を斬らないのだから使用する刀は手入れが行き届かないナマクラ刀でよいのかといえば、ほとんどの方は同意なさらないでしょう。つまり、斬る斬らないということと別の次元で、彼らには斬れる刀が大切なのです。
合気道もそれと同じです。ただそれらしく動き回るぶんには間合いなんか気にしなくても、それこそ間に合います。でもそれでは武道ではありません。ひとと戦ったり痛めつけたりするわけでは全くないとしても、十分にその能力を秘めているというのが武道、武術の実態でなければなりません。
その、いうなれば危険な技能を修練し、しかもそれを遣わないことによって大いに精神を磨くことが、現代において武道を学ぶ意義でありましょう。振り回して、誤ってひとに当たってもちょっとコブができるくらいの刀や、蚊に刺されたくらいの影響しか与えられない体術では、とても武道家としての高みには到達できないでしょう。それでいいのだとお思いの方には、武道ではないもっと適切な方法があることを教えてさしあげるのが良いと思います。
さて、そういうわけで、間合い感覚を身につけることは武道家として必須の条件であると考えていますが、今回のテーマである肩取り、片手取りなどがそのために役立つ技法であることをお伝えしたいわけです。
間合い感覚を身につけるためにはいろんな方法があります。道場長さんが許してくれるのであれば、ボクシングのスパーリングのようなものでもいいでしょうし、竹刀を構えて剣道のまねごとをするのもいいかもしれません(同じような興味を持っている相手が必要ですが)。しかし、一般の愛好者の方にとっては『そこまでしなくても、合気道の枠の中で何かいい方法がないのか』というのが本音でしょう。その一番簡単なのが、肩取りや片手取りをするときにできる間合いを意識することです。
たとえば肩取りでは、相手は稽古の決まりだから肩を取りにきているのであって、その間合いは顔をなぐろうと思えば完璧になぐることのできる位置取りなのです。そう考えれば、こちらがなすべきことは、その間合いの内で、できるだけ自分有利に持ち込むことのできる体遣い以外にありません。それができて初めて〇〇投げや◇◇押さえができるのです。
そのように、合気道技法はちょっと視点を変えれば武道の本質に触れることのできる動きがあらゆる局面に表れるようにできています。それを知る時点でナマクラ刀は伝家の宝刀に大変身します。
黒岩師範の記事を中心にブログを少し拝読させて頂きました。
師範には直接手を取って教えを受けたことはありません。
かなり以前に江戸川の演武会において間近で拝見したのみです。その後友好演武のビデオを見て、間合いが近いなと思ったことを記憶しています。また、あの独特の理念、動きに、ひき付けられたのも事実です。
ご健在であれば教えを受けに行きたいのですが、それも今となっては叶わぬことで残念です。
日を追って、もう少しブログを読ませて頂きます。
ありがとうございました。
平伏
黒岩先生の間合いが近いのはおっしゃる通りです。
その理由として先生は次の三点をあげておられます。
1.相手に打たれるくらいの所まで入っていかないと、こちらも打てない。
2.合気道の技は、相手と自分との間にできる空間を自分の体で埋めるようにできている。
3.手が有効に働くのは、体の前で両手で輪(球)を作った、その範囲内(およそ直径40cm以内くらい)。
そういうわけで必然的に近間になります。ですからあまり見映えはしないと思いますが、使い物になる技というのはそういうものかもしれません。
本ブログをお読みになって不明なところがありましたら、どんなことでもお尋ねください。